蒔田広定
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代前期 |
|---|---|
| 生誕 | 元亀2年(1571年)[1][2]または天正3年(1575年)[3][4] |
| 死没 | 寛永13年8月23日(1636年9月22日) |
| 改名 | 権之助、広定 |
| 別名 |
廣定(旧字)、正時[4]、通称:権佐、権之助(権肋)、左衛門権佐 異名:八専之助[3][4][5] |
| 戒名 | 隆栄院殿覚真日見大居士 |
| 墓所 | 万年山勝林寺(東京都豊島区駒込) |
| 官位 | 従五位下左衛門権佐 |
| 幕府 | 江戸幕府 |
| 主君 | 豊臣秀吉、秀頼→徳川家康、秀忠、家光 |
| 藩 | 伊勢雲出藩→備中浅尾藩主 |
| 氏族 | 蒔田氏(藤原南家維兼支流) |
| 父母 | 父:蒔田広光、母:木下備中守の娘 |
| 兄弟 | 政勝(主水正)、広定 |
| 妻 | 正室:大島光義の娘、継室:石川勝政の娘 |
| 子 | 定正、右京[6]、長広、次広、女(片桐貞晴室)、正之[7]、勘左衛門 |
蒔田 広定(まいた ひろさだ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将、大名。備中浅尾藩初代藩主。通称は権佐(ごんのすけ)。諱は正時(まさとき)ともする。