藤井俊男
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1942年、埼玉県南埼玉郡大袋村(現・越谷市)に生まれる。農家の三男。中学生の時父が他界。1963年、苦学の末、東京都立蔵前工業高等学校卒業。東武鉄道に入社。現場の技術者として働くとともに、東武鉄道労働組合で活動した。
1979年、統一地方選挙越谷市議会議員選挙に出馬し、初当選。2期務めた。1985年、埼玉県議会議員補欠選挙(東9区・越谷市)に日本社会党公認で出馬し初当選。以後、4期連続当選。1996年、社会民主党県議団を離団し、社民党離党。「連合歩みの会・民主議員団」に所属。民主党埼玉準備会会長に就任。民主党結党に参加。1998年7月、第18回参議院議員通常選挙に埼玉県選挙区から民主党公認で出馬し当選。参議院では民主党・新緑風会副幹事長を務める。日朝友好議員連盟に参加。1999年3月、後援会(政治資金管理団体)「彩の会」発足。鳩山邦夫民主党副代表(当時)を会長に、白鳥令東海大学教授を会長代行に迎える。同月鳩山が民主党を離党し東京都知事選挙に立候補を表明。「彩の会」会長を辞任。2002年10月からは参議院国土交通委員長を務め、2003年11月まで務めた。2002年4月、前年まで公設第1秘書を務めていた長男が大麻取締法違反(所持)の現行犯で逮捕。2003年3月、長男の有罪が確定。
2004年3月、第20回参議院議員通常選挙に立候補する意思を表明。しかし長男の不祥事が問題視され、連合埼玉の推薦を得られず、民主党が公認見送りとなった。連合埼玉は新人の島田智哉子を推薦し、民主党がこれを公認。藤井は無所属で立候補する構えを見せる。同年7月、民主党が参議院議員選挙公示日2日前に2人目の公認候補者として新人の弓削勇人を擁立し、藤井は立候補を断念。2005年3月、民主党を離党。同年10月、越谷市長選挙に無所属で出馬し落選。得票8433で供託金没収となる惨敗。同年12月、「彩の会」を解散し、政界を引退。2012年11月、秋の叙勲で旭日中綬章を受章[1]。 2026年1月2日、心不全のため川口市の病院で死去。83歳没[2]。