名尾良孝
日本の政治家
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来歴
青森県青森市生まれ[1]。名尾良辰の四男[4]。1921年に浦和に移り[1]、浦和中学を経て、1921年に中央大学法学部卒業[1]。
戦後に弁護士を開業する[1][4]。1959年、埼玉県議会議員に当選[1]。以来連続6期在任する[1]。在職中には埼玉県議会議長を務めた。その後1980年の第12回参議院議員通常選挙に自民党公認で埼玉県地方区(1986年の参院選は埼玉県選挙区)から立候補し初当選。鈴木派→宮沢派に属した。法務政務次官、参議院内閣委員長、同商工委員長、自由民主党埼玉県支部連合会会長、埼玉菊花連盟顧問などを歴任した。
参議院議員2期目途中となる1991年5月6日、投身自殺した。74歳没。病気を苦にしていたという。同月10日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付をもって従四位勲二等に叙され、瑞宝章を追贈された[5]。哀悼演説は同年8月5日、参議院本会議で瀬谷英行により行われた[6]。