高野博師
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茨城県立水戸第一高等学校を経て、東京外国語大学外国語学部中国語学科に入学し、1972年(昭和47年)3月に卒業する。同年4月、外務省にノンキャリアとして入省する。外交官としてアメリカ、アルゼンチン、コロンビアなどに赴任し、30ヶ国あまりを歴訪した。1991年(平成3年)にコロンビアで発生した日本人技師2人が左翼ゲリラに誘拐された事件では、当時帰国中で不在だったコロンビア国駐箚特命全権大使塚田千裕に代わり、臨時代理大使としてコロンビア政府や州知事に事件解決の要請を行うなどして対応の指揮を執った。
1995年(平成7年)7月23日、第17回参議院議員通常選挙に埼玉県選挙区から新進党公認候補として立候補し、初当選する。
2001年(平成13年)7月29日、第19回参議院議員通常選挙に埼玉県選挙区より公明党公認候補として立候補し、再選を果たす。
2007年(平成19年)7月29日、第21回参議院議員通常選挙に埼玉県選挙区から立候補して3選を目指すも、落選する。
2008年(平成20年)2月からの1年間、ハーバード大学国際問題研究所に客員研究員として赴任するため、日本を離れることから、公明党埼玉県本部代表を辞任(後任には西田実仁が就任)し、公明党埼玉県本部顧問となる。
2011年(平成23年)9月から10月にかけて、外交レポートを民国連立政権の野田内閣に提出[1]。こうしたことが評価され、11月に内閣官房参与となる予定であるが、かつて所属していた公明党が反発したため、発令が延期される事態になった[2][3]。当時野党であった公明党関係者を内閣官房参与に起用しようとした背景には、公明党との関係を重視したい野田内閣の意向もあったとされる[1]が、本人が正式に辞退の申入れを行った。
2012年(平成24年)4月17日、野田第1次改造内閣の外務大臣玄葉光一郎によって外務省参与(日本外交のグローバル化と情報発信担当)に任命された[4]。
