西元徹也

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死没 (2024-04-03) 2024年4月3日(87歳没)
日本の旗 日本 東京都
所属組織 陸上自衛隊
軍歴 1959年 - 1996年
西元 徹也
生誕 (1936-06-01) 1936年6月1日
日本の旗 日本 鹿児島県垂水市
死没 (2024-04-03) 2024年4月3日(87歳没)
日本の旗 日本 東京都
所属組織 陸上自衛隊
軍歴 1959年 - 1996年
最終階級 統合幕僚会議議長たる陸将
除隊後 防衛庁顧問東芝顧問、
防衛大臣補佐官(現防衛大臣政策参与)、
公益社団法人隊友会会長
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西元 徹也(にしもと てつや、1936年昭和11年〉6月1日[1] - 2024年令和6年〉4月3日[2])は、日本陸上自衛官軍事評論家。第23代陸上幕僚長、第20代統合幕僚会議議長。元隊友会会長。1佐までの職種は機甲科

鹿児島県垂水市出身[3]。父親の仕事の関係で小中学校の時に二度ほど横浜に住んだが、中学一年の時に垂水市にもどる。県立垂水高校卒業後、防衛大学校に入校するが[3]、高校の野球の試合の時に鹿児島の桟橋で防大生に出会ったことがきっかけであった[3]。防大卒業後の1959年(昭和34年)に陸上自衛隊に入隊[4][5]幹部候補生学校卒業後は機甲科に進み[3]、初任地は北恵庭第101戦車大隊。ここでの勤務がその後の部隊勤務の基礎ができたと語っている[3]。その後、富士学校勤務を経て、第101戦車大隊に中隊長として戻る。幹部学校CGS課程を卒業後、第104戦車大隊中隊長を経て幹部学校教官となり、その間に米国に留学し、米国陸軍機甲学校と第2機甲師団の隊付を経験する[3]1976年(昭和51年)8月に第4戦車大隊長兼玖珠駐屯地司令、1978年(昭和53年)3月から2度目の米国留学をする。その後は陸幕運用課長、防衛部長等を務め、1988年(昭和63年)7月に陸将に昇任し、第7師団長、陸上幕僚副長、中部方面総監を歴任、1992年(平成4年)3月に第23代陸上幕僚長に就任した。1993年(平成5年)7月から第20代統合幕僚会議議長に就任し、1995年(平成7年)1月に発生した阪神大震災への災害派遣などを指揮した[5][6]。1996年(平成8年)3月に退官した。陸幕長在任中の1992年に日本が初めて参加した国連平和維持活動(PKO)において、内戦後のカンボジアの復興を支援するため、自衛隊初のPKO部隊を同国に派遣するなどの対応にあたった[4][5]。退官後は日本地雷処理を支援する会会長、防衛大臣補佐官[5]、隊友会会長などを務めた。

年譜

栄典

  • 瑞宝重光章 - 2007年(平成19年)11月3日

脚注

出典

参考資料

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