西尾茂之
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| 基本情報 | ||||||||||||||||
| 国籍 |
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| 出身地 | 兵庫県西宮市 | |||||||||||||||
| 生年月日 | 1954年5月23日(71歳) | |||||||||||||||
| 利き手 | 右 | |||||||||||||||
| ツアー経歴・シングルス | ||||||||||||||||
| 自己最高ランク | 263位(1979年1月3日) | |||||||||||||||
| 生涯通算成績 | 4勝14敗 | |||||||||||||||
| ツアー経歴・ダブルス | ||||||||||||||||
| 自己最高ランク | 307位(1988年4月18日) | |||||||||||||||
| 生涯通算成績 | 4勝15敗 | |||||||||||||||
| 4大大会最高成績・ダブルス | ||||||||||||||||
| 全仏オープン | 1回戦(1980) | |||||||||||||||
| ウィンブルドン | 1回戦(1979) | |||||||||||||||
| 獲得メダル | ||||||||||||||||
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| 2026年3月18日現在 | ||||||||||||||||
西尾 茂之(にしお しげゆき、1954年5月23日 - )は、日本の元男子プロテニス選手。兵庫県西宮市出身[1]。甲南高校、早稲田大学教育学部卒[1][2]。ランキング自己最高位はシングルス263位、ダブルス307位[3]。長男の西尾隆信もプロテニス選手である。
幼少期から学生時代
テニス愛好家であった父に連れられて幼稚園の頃から甲子園テニスクラブへ通い始める[4]。小学生になると自らもラケットを握り、同クラブで大人に混じって試合経験を積んだ[4]。1967年に中高一貫の六甲中学へ入学して一時テニスから離れるものの、中学2年の終わり頃から再び熱中して市や県の大会で優勝するなど実績をあげると[4]、母の反対を押し切ってテニスの強豪校である甲南高校に転校・進学した[5]。
高校3年生となった1972年7月に第9回原田杯全国選抜ジュニア選手権でシングルス優勝を飾り[6][7]、翌8月の第5回アジアジュニア選手権でもシングルスで優勝した[7][8]。同年10月には記念すべき第1回のジャパン・オープン・テニス選手権に出場(1回戦敗退)し、18歳以下の全日本年間ランキングで3位に名を連ねた[9]。
1973年に早稲田大学へ進学。1976年7月の第44回全日本学生庭球選手権の男子シングルスで優勝し、ダブルスでも75年・76年と2連覇を達成して単複2冠に輝いた[10]。同年10月デビスカップ日本代表に初選出され、1977年度東洋ゾーン準々決勝の台湾戦でダブルスに出場。勝利を挙げてチームの勝ち上がりに貢献した[11][注 1]。
社会人・プロ時代
1977年、住友軽金属工業に入社[2]。8月にブルガリアで開催されたソフィア・ユニバーシアードに日本代表として出場した[12]。1978年3月には全日本室内庭球選手権で男子シングルス初優勝を飾った[13]。同年11月、京都で開催の日本初のATPチャレンジャー大会(ヒットユニオン・ワールドテニス・イン京都)に出場し、ベスト8に進出する活躍を見せる[14]。続く12月にタイ・バンコクで行われた第8回アジア競技大会では、男子シングルスで銀メダルを獲得したほか、男子団体と混合ダブルス(パートナー:畠中君代)でも銅メダルを獲得した[15]。
1979年1月、全日本選抜室内テニス選手権にアマチュアとして出場し、平井健一、森良一、九鬼潤、神和住純のプロ4人をごぼう抜きにして優勝を果たす快挙で話題になった[16]。同年3月、前年より始まっていたジャパン・サテライト・サーキットに参戦してマスターズ大会に勝ち残ってATPポイントを稼ぎ[17][18][注 2]、4月には国内大会からチャレンジャー大会に格上げとなった第3回ダンロップ・マスターズでベスト8に進出するなど腕を磨いた[19]。6月にはウィンブルドン選手権の予選に初挑戦してシングルスは第26シードが付くも初戦敗退となったが[20]、坂本真一と組んだダブルスで予選を突破して本戦出場(1回戦敗退)を果たした[21]。同年9月、西武グループの中心企業だった国土計画社と契約してプロへ転向[22]。
1980年代は選手としての全盛期を迎え、国内トップ大会の全日本テニス選手権で1982年と1987年の2度にわたり男子シングルス王者に輝いた[23]。また、1984年5月の第8回ダンロップ・マスターズでベスト8[24]、1987年6月には前年から始まっていたアジア・サテライト・サーキットの第3戦台北大会のダブルスで坂本と組んで優勝を飾るなど国際大会でも実績を残した[25]。1988年には4月のジャパン・オープンで坂本とのペアでダブルスベスト8に進出[26]、9月の全日本プロテニス選手権で5回目のシングルス決勝進出にして悲願の初優勝を果たした[27]。1989年夏にはマレーシア・シンガポール・香港などでチャレンジャー大会に参戦[28]。プレイヤーとしての本格的な海外遠征はこれが最後になった。
指導者として
1990年代に入ると活動の軸を指導者へと移し、1990年にデビスカップのコーチ、翌1991年9月には日本テニス協会強化本部の男子準監督に就任した[29]。実業団の指導においても実績を残しており、1995年から4年にわたって日新火災海上保険の女子部コーチを務め、チームを実業団リーグ準優勝へと導いている[2][30]。2002年からは東海大学テニス部のコーチを任されるなど、プロ・アマ問わず幅広い層の育成に携わった[2]。2004年には自らの拠点となるテニススクールを川崎市にオープンし、後進の育成やテニスの普及活動に尽力している[2]。
主な戦績
著書
- 西尾茂之『強い奴に試合で勝つ強打のテニス』経済界〈リュウブックス〉、1982年2月。国立国会図書館書誌ID:000001572421。
- 西尾茂之『写真と絵で見るテニス教室: これからテニスを志す人のために』日本文芸社〈ドゥスポーツシリーズ〉、1983年8月。ISBN 4-537-00326-X。