観光アイヌ
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明治政府はアイヌが日本人に同化することを望んでいた。その結果としてアイヌは自分たちの慣習を次世代に受け継がせることが困難となった[1]。特に歌や踊りといった文化は1930年代半ばまでに壊滅的な打撃を受けた。貧困の中で一部のアイヌは観光業で生計を立てることを選んだ。1930年代に観光客から収益を得るために儀式的な踊りや歌を調整した[2]。
日本人はアイヌを少数民族と見做してアイヌ文化に関心を持っていた。1950年代には『観光アイヌ』という用語が、観光の拡大などに伴って生み出された。農業を生業とするアイヌいわゆる『農民アイヌ』からは「アイヌを売る連中」と伝統的なアイヌ文化で商売することを批判された[3]。アイヌ観光は伝統的なアイヌ文化を保存しつつアイヌとしての精神性を刺激しようという試みであったが、当時は批判が多く議論の的となっていた[2]。
北海道における観光と文化の展示は1950年代後半から1970年代にかけて最盛期を迎えた。観光客は1966年で60万8219人、1974年には237万9688人と推計されている。観光客の増加とこれらの発展に対する批判から、アイヌ文化振興法の基礎となった可能性がある。この法律はアイヌを法律で先住民と正式に認めるとともに、アイヌ集団を支援する文化産業や経済発展の支援への必要性を認めた[1][4]。
脚注
- 1 2 角田猛之「日本政府のアイヌ政策の変遷と2019年アイヌ施策推進法の制定 : 国際社会の動向をも踏まえて」『關西大學法學論集』第69巻第6号、關西大學法學會、2020年3月9日、1149–1178頁、ISSN 0437648X。
- 1 2 木戸調「戦前期におけるアイヌ民族の同化をめぐる戦略」『現代社会学研究』第32巻、2019年、51–68頁、doi:10.7129/hokkaidoshakai.32.51。
- ↑ 崔銀姫「「観光アイヌ」とは何か: まなざしの歴史的な変容をめぐって」『社会情報学』第1巻第2号、2012年、93–108頁、doi:10.14836/ssi.1.2_93。
- ↑ 木戸調、Kido, Shirabe「北海道ウタリ協会の運動とアイヌ民族の「主体性」 : 1960年代から1984年「アイヌ新法(案)」まで」『アジア社会文化研究』第20号、2019年3月31日、87–101頁、doi:10.15027/47474、ISSN 1346-1567。
