江戸時代初期には財田川の河口左岸に船だまりがあり、商港や漁港としての性格を有していた[1]。現在の高松地方裁判所観音寺支部である[2]。観音寺周辺は遠浅であるため帆船の入港は困難であり、後の三豊郡の中では豊浜や仁尾より悪条件だった[2]。
1925年(大正14年)には観音寺町が一ノ谷川の左岸に防波堤を築造する工事を行い[2]、一ノ谷川の河口や沖合に港湾を拡大させた[1]。1928年(昭和3年)1月には3か年計画で観音寺港築港工事に着手され、1930年(昭和5年)12月には埋立工事を含む築港工事が竣工した[2]。以後も数度の改修が行われ、大型貨物船の着岸も可能となった[1]。