豚屋火事
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旧暦では慶応2年10月20日午前8時頃、港崎遊廓の西(旧末広町、現在の尾上町一丁目付近)にあった豚肉料理屋の鉄五郎宅から出火。港崎遊廓へ燃え広がり、遊女400人以上が焼死、更に外国人居留地や日本人町も焼き尽くし、午後10時頃鎮火した[1]。
アーネスト・サトウの『一外交官の見た明治維新』によれば、外国人居留地の1/4、日本人町の1/3が灰燼に帰したとしている[2]。
幕府と外国公使団との間で居留地再建計画が立てられ、「横浜居留地改造及び競馬場墓地等約書」を締結、翌年これに基づき現在の山手地区が新たに外国人居留地に編入した[3]。
火事の2年前に居留民と幕府との間で交わされた『横浜居留地覚書』には「大火があった場合は再建しない」との条項があり、それに基づき遊廓は1872年(明治5年)に高島町へ移転となった[4]。
遊廓跡地は10年後の1876年に避難場所も兼ねた洋式公園(現・横浜公園)となり、横浜居留地は日本家屋の町並みも西洋風へと改められていった。
脚注
参考文献
- 石野, 瑛『横濱近郊文化史』文學社、1927年6月。 NCID BN07661549。
- 池田, 正一郎『日本災変通志』新人物往来社、2004年12月15日、717頁。ISBN 4404031904。
- 齋藤, 譲司、市川, 康夫、山下, 清海「横浜における外国人居留地および中華街の変容」『地理空間』第4巻第1号、地理空間学会、2011年、56-69頁、NCID AN00161120。
- 小林, 泰彦『小林泰彦の謎と秘密の東京散歩-どうぞご一緒に-』JTBパブリッシング、2013年5月。ISBN 9784533091056。 NCID BB20857562。
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