那須川瑞穂
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2002年5月のゴールデンゲームズinのべおかでは1500mで、2位ながら4分16秒24の自己ベスト記録をマーク。それから1年後、2003年5月のゴールデンゲームズinのべおかでは、同じく1500mで4分22秒74のゴールタイムで初優勝。
初マラソンだった2004年1月25日の大阪国際女子マラソンでは、レース前半超スローペースながらも冷静に進めて25Km過ぎ迄先頭集団に加わり、結果ゴールタイムは2時間29分台をマークし、4位に入る健闘を見せた。2回目のマラソンも翌2005年1月30日の大阪国際女子マラソンだったが、2時間30分台の8位に留まった。
2008年6月28日開催の、北京オリンピック日本代表選考を兼ねた第92回日本陸上競技選手権大会では、女子3000mSC(障害走)に出場。自己記録となる10分05秒37のタイムを出したが、優勝の早狩実紀には及ばず4位に留まり、自身初の夏季オリンピック選出は成らなかった。
4年ぶり3回目のフルマラソンとなる、2009年3月22日の東京マラソン女子の部において、強風が吹き荒れる悪コンディションの中、2時間25分台の自己ベストタイムでマラソン初優勝を果たし、また優勝賞金1100万円を獲得した。
2012年11月18日の横浜国際女子マラソンは、日本女子でトップの2位に入った。しかしゴールタイムは2時間26分台後半と、世界陸上モスクワ大会女子マラソン選考内定条件の2時間24分未満には3分近く届かず、さらに優勝のリディア・チェロメイ(ケニア・2時間23分7秒)には3分35秒も離されてしまい、大きな課題が多く残るレース内容となる[1]。結局は設定された選考基準記録に遠く及ばない完走タイムと、消極的過ぎたレース展開がマイナス材料となり、翌2013年4月25日に日本陸連は世界陸上女子マラソン代表を5枠から3枠に削減したため、那須川は無念の落選となってしまった[2][3]。
2016年11月13日のさいたま国際マラソンでは、日本女子首位の5位でフィニッシュ。だが、翌2017年8月開催予定の世界陸上ロンドン大会・女子マラソン派遣記録(2時間22分30秒以内)から10分以上も遅れ[4]、自身念願だった世界陸上選手権代表入りは絶望となり、結果的に同マラソンが那須川自身現役最後のレースとなった。
2016年11月末、所属先だったユニバーサルエンターテインメントを退社。2017年1月24日、「体力の限界」を理由に現役引退を表明した[5]。
現在は三重県桑名市在住。マラソンやロードランニングのゲストや、プレイベントで走り方の指導を行っている。
自己記録
- 1500m 4分16秒24(2002年5月、ゴールデンゲームズinのべおか)
- 3000m障害 10分05秒37(2008年6月28日、日本陸上競技選手権大会)
- 5000m 15分23秒00(2006年10月1日、全日本実業団対抗陸上競技選手権大会)
- 10000m 33分27秒51(2012年5月19日、東日本実業団陸上競技選手権大会)
- ハーフマラソン 1時間11分58秒(2003年11月9日、神戸全日本女子ハーフマラソン)
- マラソン 2時間25分38秒(2009年3月22日、東京マラソン2009)