ゴーカイ
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第1回新潟ジャンプステークス出走時 (1999年8月28日) | ||||||||||||
| 欧字表記 | Gokai[1] | |||||||||||
| 品種 | サラブレッド[1] | |||||||||||
| 性別 | 牡[1] | |||||||||||
| 毛色 | 黒鹿毛[1] | |||||||||||
| 生誕 | 1993年5月6日[1] | |||||||||||
| 死没 | 2019年4月26日(26歳没)[2] | |||||||||||
| 父 | ジャッジアンジェルーチ[1] | |||||||||||
| 母 | ユウミロク[1] | |||||||||||
| 母の父 | カツラノハイセイコ[1] | |||||||||||
| 生国 |
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| 生産者 | タイヘイ牧場[1] | |||||||||||
| 馬主 | 吉橋計[1] | |||||||||||
| 調教師 | 郷原洋行(美浦南)[1] | |||||||||||
| 厩務員 | 新村正男[3] | |||||||||||
| 競走成績 | ||||||||||||
| タイトル | JRA賞最優秀障害馬(2000、2001年)[1] | |||||||||||
| 生涯成績 | 52戦9勝[1] | |||||||||||
| 獲得賞金 | 5億1074万4000円[1] | |||||||||||
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ゴーカイ(Gokai[1])とは日本の競走馬・種牡馬。主な勝ち鞍に2000年と2001年の中山グランドジャンプ、2000年の東京ハイジャンプ、1999年の東京オータムジャンプ。2000年度、2001年度のJRA賞最優秀障害馬に選出された。
2世紀に渡って活躍し、史上初の父子障害重賞制覇や史上初の中山GJ二連覇等の新記録を打ち立てた[4][5][6][7]のみでなく、障害競馬史上初の国際招待競走において海外の強豪を相手に勝利する[8]等、現役時は障害競馬において一時代を築いた。
障害競馬の先駆者的存在、障害競馬の元祖王者として知られる[8]。
馬名の由来は「豪快」で、管理調教師の郷原洋行と馬主の吉橋計が食事をした時に「賞金を稼いだらワーッと豪快にやるか」という会話が出たことから[9]。
- 特記事項なき場合、本節の出典はJBISサーチ[10]
1996年4月28日、新潟競馬場での4歳未出走戦でデビューし、5着。3戦目で初勝利を挙げるが、500万下条件では2年近くにわたって5着以内に入る成績を挙げれず、4歳時の北洋特別以来の芝のレースとなった1998年4月の条件戦3着が500万下条件での最高成績であった。7月函館競馬場での条件戦10着を最後に障害競走に転向する。
1999年1月の障害未勝利戦以降3戦して勝てなかったが、4月の障害未勝利戦で障害初勝利を挙げ、中京競馬場の障害オープン競走6着を挟み出走の福島ジャンプステークスでオープン初勝利。小倉サマージャンプ、新潟ジャンプステークスはそれぞれ8着、12着に終わったが、ナッキージャンプステークス3着から臨んだ東京オータムジャンプではメイショウデンセツを下して重賞初制覇を果たした[2]。11月の障害オープン3着を経て中山大障害に駒を進め、ゴッドスピードとタイム差なし、わずか数センチ差の2着に入った[11]。2000年に入り、春麗ジャンプステークス2着、3月の障害オープンを1着としたのち、この年に国際招待競走となった中山グランドジャンプでは海外勢のボカボカを4分の3馬身差下して障害G1競走初制覇[2][12]。6月の東京ハイジャンプもメイショウワカシオを退けて障害重賞3勝目を挙げた。秋はイルミネーションジャンプステークス3着から中山大障害に出走も、ランドパワーの2着。この年は6戦して3勝、うち重賞2勝を挙げ2000年度のJRA賞最優秀障害馬に選ばれた[13]。
8歳になった2001年は、春麗ジャンプステークス2着から直接中山グランドジャンプに向かい、同競走において落馬したコバノスコッチと1着入線争いをしながら[14]連覇を達成[2]。同競走は一番人気馬を含み5頭が落馬(うち1頭は再騎乗)する[15]等波乱のレースとなった。秋は前年同様にイルミネーションジャンプステークスから始動して2着となった後、中山大障害では半弟ユウフヨウホウの2着に終わって3年連続の2着を記録した[2]。2002年、初戦の春麗ジャンプステークスを勝ったもののペガサスジャンプステークス5着、中山グランドジャンプではオーストラリアのセントスティーヴンの2着に終わり、次の東京ハイジャンプ3着が最後のレースとなった。
現役引退後、JRAの公式サイトにおいて「障害ルネッサンス ゴーカイ」という題名で現役時の活躍を紹介されており、一部メディアなどに「名障害馬[16]」「平成の名ジャンパー[17]」「障害界の頂点[18]」「ジャンプ界の王者[19]」と評されている[20]。出走した障害レースでは一度たりとも落馬・競走中止がなく[21]、重賞初制覇以降は、18戦して馬券圏外に敗れたのは2回(4、5着が各1回)だけで、J・G1には6回挑戦して00、01年の中山グランドジャンプを制覇するなど全て連対し、ジャンプ界の王者として9歳に引退するまで息の長い活躍を演じた。一部の記事によると、郷原は「最初は、こんな脚で障害を跳べるのかと不安だったんだ」と語っており、前肢の左右の爪がアンバランスで、それが遠因となり調教中の骨折で引退を余儀なくされた[22]。
競走成績
引退後
引退後は種牡馬として日高軽種馬農協門別種馬場に繋養された[24]。種牡馬としては10シーズンの供用で血統登録頭数75頭、出走頭数はそのうちの64頭、そのうちの39頭が勝ち馬となった[25]。2004年生まれのオープンガーデンが2011年の阪神スプリングジャンプを制した[2]。2010年に門別種馬場から日高スタリオンステーションに移動[26]。気性が穏やかなため、門別種馬場時代には新人担当馬としてダイタクリーヴァと二択の存在であった[24]。種牡馬引退後はえりも町の寺井文秀牧場で功労馬として余生を送っていたが、2019年4月26日に老衰のため死亡した[2][27]。寺井は「東日本大震災から間もない2011年3月21日に、産駒のオープンガーデンが菊沢調教師の初勝利という形で、阪神スプリングジャンプ勝利という明るいニュースをプレゼントしてくれたことがとても印象深いです。」等をコメントした[28]。
主な産駒
- オープンガーデン:阪神スプリングジャンプ[29]
- アラバマフォンテン:荒尾ダービー2着[30]