長崎競輪場
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沿革
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)
- 1959年(昭和34年)12月23日 - 市議会、議員提出の競輪事業廃止に関する決議案を可決。
- 戦後15年で復興が進んできたことから、競輪場を継続する必要性がうすくなっていたことから。
- 1960年(昭和35年)
- 1961年(昭和36年)9月25日 - 市議会、調査特別委員会の「1963年(昭和38年)3月31日廃止が適切」という報告を了承。
- しかし、市側は存続を決定。
- 1965年(昭和40年)
- 長崎市、自転車競技法の改正に伴い、予算計上の上、競輪場の改修整備を計画していたが、県から難色を示され、改修整備工事の施行を断念。
- 理由 - 競輪場が松山町の都市公園内(総合運動場建設予定地)に設けられており、都市公園内での競輪場の恒久的存続は都市公園法に抵触すると考えられたため。
- 長崎市、自転車競技法の改正に伴い、予算計上の上、競輪場の改修整備を計画していたが、県から難色を示され、改修整備工事の施行を断念。
- 1966年(昭和41年)
- 1967年(昭和42年)