陳微之

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職業 貴族
馬徒郡参司軍
子供 陳法子
ちん びし

陳 微之
職業 貴族
馬徒郡参司軍
子供 陳法子
陳徳止
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陳 微之
各種表記
ハングル 진미지
漢字 陳 微之
発音: {{{nihonngo-yomi}}}
日本語読み: ちん びし
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陳 微之(ちん びし、朝鮮語: 진미지生没年不詳)は、中国から百済に移住していた中国系百済人貴族[1]。百済の官職「徳率」に任ぜられ、参司軍を務める。官職は「馬徒郡参司軍」。馬徒郡は、馬突(現在の鎮安郡)と推定される。「参司軍」の具体的な職務は不明であるが、名称からみて、中国王朝の「参軍」「司馬」の影響を受けていることは明らかであり、「参司軍」は、中国官職「参軍」「司軍」を百済式に改名したものとみられる[2]。「参司軍」のなかに「司軍」という名称があるため、軍事職であることは明らかであるが、軍事顧問、あるいは軍事補佐官とみる見解がある[2]。陳微之の生年は、息子の陳法子615年 - 680年)より一世代前であるため、585年から595年の間と推測される。関連して、陳微之が「德率」の高位に上り詰めたのは40歳前後とみられるため、陳微之が「馬徒郡参司軍」に任命された時期は、625年から635年の間と推定できる[2]

中国で出土した息子の陳法子墓誌によって陳氏一族の出自と活動が詳らかになった。なお、陳法子の墓誌は、大唐西市博物館が所蔵している[2]。先祖は、2世紀末黄巾の乱を避けて中国から朝鮮に移住した中国移民であり、陳氏一族は熊津に定住していたが、漢城百済の崩壊後の百済の熊津遷都後に一族が頭角をあらわし、主に百済政府の外交教育で活躍した。

家族

考証

脚注

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