龍仁の戦い
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| 龍仁の戦い | |
|---|---|
| 戦争:文禄の役 | |
| 年月日:文禄元年(1592年)7月13日~14日 | |
| 場所:朝鮮国京畿道龍仁 | |
| 結果:日本軍の勝利 | |
| 交戦勢力 | |
| 指導者・指揮官 | |
| 脇坂安治 脇坂左兵衛 渡辺七右衛門 真鍋左馬允 |
李光 郭英 尹崇徳 金粛 権慄 白光彦 † 李之時 † 李之礼 † 黄進 |
| 戦力 | |
| 約1,600~1,900人 | 約60,000人[1] |
| 損害 | |
| 不明 | 約1,200人戦死 |
龍仁の戦い(ヨンインのたたかい)は、1592年(文禄元年)6月に朝鮮半島中部の龍仁付近で行われた戦闘であり、朝鮮軍の李光が率いる部隊が漢城(漢陽)の奪回を目的として北上する過程で日本軍と交戦したものである。李光は約4万の兵力を集めて進軍したが、龍仁付近において日本軍と交戦し、戦闘は日本軍の勝利に終わった。朝鮮軍は十分に態勢を整えないまま混乱し、組織的な抵抗が困難となって大きな損害を受けた。その後、李光は責任を問われて罷免され、朝鮮軍の再編が進められることとなった[2]。