1957年の近鉄パールス

From Wikipedia, the free encyclopedia

球場 藤井寺球場(デーゲーム)
大阪球場(ナイター)
オーナー 佐伯勇
経営母体 近畿日本鉄道
1957年の近鉄パールス
成績
パシフィック・リーグ6位
44勝82敗6分 勝率.349[1]
本拠地
都市 大阪府大阪市
球場 藤井寺球場(デーゲーム)
大阪球場(ナイター)
球団組織
オーナー 佐伯勇
経営母体 近畿日本鉄道
監督 芥田武夫(6月20日まで)
加藤久幸(6月22日から代行)
« 1956
1958 »

テンプレートを表示

1957年の近鉄パールスでは、1957年の近鉄パールスの動向をまとめる。

この年の近鉄パールスは、芥田武夫監督の5年目のシーズンである。

当年及び近年のシーズン成績
成績 リーグ 平均得点 平均失点 開幕時監督
1957 レギュラー敗退6位44826.349芥田武夫
1956 レギュラー敗退5位68824.453芥田武夫
1955 レギュラー敗退5位60802.429芥田武夫
1954 レギュラー敗退4位74633.540芥田武夫
1953 レギュラー敗退7位48693.410芥田武夫
1952 レギュラー敗退7位30780.278藤田省三
1951 レギュラー敗退7位37565.398藤田省三
1950 レギュラー敗退7位44724.379藤田省三

シーズン開始前、大映ユニオンズの永田雅一オーナーから、「リーグ強化のために今シーズンの最下位球団を合併させる」案が出され、1954年のAクラス入り以降、年々成績が下降するチームは危機感を持ってのシーズン開幕となった[2]

チームは6月初めまで最下位に転落すると芥田監督が休養。6月22日から加藤久幸助監督が監督代行として指揮を執るが、8月までは最下位を独走した。しかし、加藤監督代行のもと、息を吹き返したチームは9月に9勝7敗、10月に7勝6敗と勝ち越し、最下位脱出をかけて戦っていた大映との直接対決でも9月の4連戦で4連勝、10月の5連戦も3勝2敗で勝ち越した。最終的には大映を5ゲーム差で突き放して7球団6位でシーズンを終えるが、最終的には優勝の西鉄には38ゲーム差を、5位の東映には10ゲーム差もつけられる体たらくだった。投手陣はこの年から関根潤三が野手に転向したものの[2]榎原好がチーム最多の12勝で奮闘し、黒田勉は打線の援護なく負け越したものの防御率9位に入る活躍を見せ、チーム防御率3.22とまずまず。打撃陣は小玉明利が急成長を見せたものの、南海から移籍の木塚忠助が打率2割台と衰えを見せた。

一方、最下位となった大映はシーズン終了後に毎日と合併。8球団→7球団と変遷してきたパ・リーグはようやく6球団制となり、現在の2リーグ12球団制に移行した。

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 五島道信
2 木塚忠助
3 戸口天従
4 小玉明利
5 武智修
6 木村勉
7 大石雅昭
8 原勝彦
9 武智文雄
1957年パシフィック・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 毎日-- 西鉄-- 南海-- 西鉄-- 西鉄-- 西鉄-- 西鉄--
2位 西鉄1.0 毎日2.0 毎日1.0 毎日2.0 南海6.0 南海5.0 南海7.0
3位 阪急1.0 南海3.0 西鉄3.0 南海2.5 毎日6.5 阪急6.5 毎日8.0
4位 南海2.0 阪急4.5 阪急4.0 阪急6.0 阪急10.5 毎日8.0 阪急8.0
5位 東映4.5 東映6.5 東映6.5 東映7.5 東映19.0 東映20.5 東映28.0
6位 大映5.5 大映13.0 大映14.5 大映14.5 大映27.5 近鉄35.5 近鉄38.5
7位 近鉄7.0 近鉄 近鉄20.0 近鉄23.5 近鉄35.5 大映36.5 大映43.5
1957年パシフィック・リーグ成績
順位球団勝率
優勝西鉄ライオンズ83445.654--
2位南海ホークス78531.5957.0
3位毎日オリオンズ75525.5918.0
4位阪急ブレーブス71556.56311.5
5位東映フライヤーズ56733.43428.0
6位近鉄パールス44826.34938.5
7位大映ユニオンズ41892.31543.5

[1]

オールスターゲーム1957

ファン投票 選出なし
監督推薦 小玉明利

できごと

選手・スタッフ

表彰選手

脚注

Related Articles

Wikiwand AI