400フィート打線

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400フィート打線(400フィートだせん)は、南海ホークス打線愛称である。

400フィートメートルに換算すると約132メートルで、この飛距離があればスタンドインする(=本塁打になる)ということから名付けられた。

南海ホークスはパシフィック・リーグが発足した1950年から1956年までの7年間で6度のチーム200盗塁以上を記録する[1]ほど、積極的な盗塁・走塁を駆使した機動力と、「100万ドルの内野陣」と呼ばれた内野の堅い守備を大きな特徴としていた。この間に4度のパ・リーグ制覇を果たしているが、日本シリーズではすべて打力と投手力で勝る読売ジャイアンツ(巨人)に敗れた。

加えて、1956年に盗塁数では南海を下回るも、打率、本塁打、打点のすべてでリーグ1位となった流線型打線を擁する西鉄ライオンズが巨人を打倒し、日本一を勝ち取った。このため、監督鶴岡一人(当時は山本姓)はそれまでの機動力野球の方針から転換し、強打線形成に着手した。同年のオフ、機動力野球の象徴的存在であった木塚忠助[2]飯田徳治[3]を放出し、野村克也杉山光平穴吹義雄長谷川繁雄寺田陽介といった打撃評価の高い選手の起用へシフトしていく。

1957年、チーム盗塁数は前年の238から102に激減。一方で野村が南海では1939年の鶴岡以来となる本塁打王を獲得し、チーム本塁打数では創設以来初めてリーグ1位となり、さらに1958年には打率、本塁打、打点のすべてでリーグ1位となる。投手力と守備力の差で西鉄の3連覇を許したが、打力では西鉄にひけを取らないチームが形成されつつあった。

布陣

脚注

関連項目

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