U331 (潜水艦)
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| U-331 | |
|---|---|
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U-331 | |
| 基本情報 | |
| 建造所 | ノルトゼーヴェルケ、エムデン |
| 運用者 |
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| 艦種 | 潜水艦 |
| 級名 | UボートVIIC型 |
| 艦歴 | |
| 発注 | 1939年9月23日 |
| 起工 | 1940年1月26日 |
| 進水 | 1940年12月20日 |
| 就役 | 1941年3月31日 |
| 最期 | 1942年11月17日に沈没 |
| 要目 | |
| 基準排水量 | 769t |
| 水中排水量 | 871t |
| 全長 | 67.1m(耐圧殻50.5m) |
| 最大幅 | 6.2m(耐圧殻4.7m) |
| 吃水 | 4.74m |
| 高さ | 9.6m |
| 主機 | ディーゼルエンジン2基 |
| 電源 | 電動モーター |
| 電力 | 750PS |
| 出力 | 2800 - 3200PS |
| 推進 | 2軸 |
| 速力 | 水上17.7ノット、水中7.6ノット |
| 航続距離 | 8500海里(水上10ノット)、80海里(潜航4ノット) |
| 潜航深度 | 230m、圧壊深度250 - 295m |
| 乗員 | 将校4名、士官40~56名 |
| 兵装 |
533mm魚雷発射管(前方4門、後方1門)、魚雷14またはTMA機雷26 8.8 cm SK C/35 艦載砲 1門 2cmC/30対空火器2機 |
U-331は第二次世界大戦中のナチス・ドイツ海軍のVIIC型Uボートであり、戦艦バーラムを撃沈したことで有名である。
U-331は1940年1月26日にエムデンのノルトゼーヴェルケ造船所で起工され、1940年12月20日に進水し、1941年3月31日にハンス=ディートリヒ・フォン・ティーゼンハウゼン中尉の指揮下で就役した。U-331はイギリス空軍の追跡を受け航行不能となり、1942年11月17日にイギリス海軍艦隊航空隊によって多くの乗組員と共に沈没した。
第1哨戒
1941年7月2日、U-331はキールを出港して初めての哨戒を開始し、大西洋中部へ進み、8月19日にフランスのロリアンに到着した[1]。
第2哨戒
9月24日、U-331はロリアンを出航して地中海へ向かった。10月10日、エジプトのシディ・バラニ沖でイギリス戦車揚陸艦3隻と交戦した。魚雷が外れた後、U-331は艦載砲で交戦し、TLC-18(A18)にわずかな損傷を与えたが、40mm砲弾の命中により2名が負傷(うち1名は死亡)し、司令塔が損傷したため攻撃を切り上げた。翌日の10月11日、U-331はギリシャのサラミス島に到着した[2]。
第3哨戒、バーラム

1941年11月21日、サラミス島を出航したU-331はエジプト沿岸に戻った。11月17日、U-331はラス・ギベイサの東で線路を爆破する任務のため教導連隊ブランデンブルクの兵士7名[3]を上陸させたが、任務は失敗した[4]。1941年11月25日、シディ・バラニの北でU-331はイギリスのクイーン・エリザベス級戦艦バーラムに向けて3本の魚雷を発射した。転覆したバーラムは弾薬庫が爆発して急速に沈没[5]して861名が死亡し、395名が救助された[6]。12月3日、U-331はサラミス島に帰還し、艦長のハンス=ディートリヒ・フォン・ティーゼンハウゼンはその後大尉に昇進し、騎士鉄十字章を受章した[7]。
第4、第5哨戒
1942年1月14日、U-331はエジプト沿岸の哨戒のためサラミス島を出港したが、戦果は無かった。その後、U-331はイタリアのラ・スペツィアに向けて出航し、2月28日に到着した[8]。
次の哨戒は前回とは逆で、4月4日にU-331はラ・スペツィアを出港し、敵陣地沿岸を哨戒した後、4月19日にサラミス島に帰還した[9]。
第6から第9哨戒
次の4回の哨戒も比較的平穏で、1942年5月から9月にかけてシチリア島のメッシーナ、ラ・スペツィアから北アフリカ沿岸を哨戒したが、戦果は無かった。
第10哨戒
1942年11月7日、U-331は「トーチ作戦」に集まった船を攻撃するためラ・スペツィアを出港して最後の哨戒を開始した[10]。2日後の11月9日、U-331はアルジェ沖で9,135総登録トンのアメリカ軍隊輸送船リードスタウン(AP-73)を発見した。11月7日から8日にかけての夜、リードスタウンは兵士を上陸させていたが、翌日にIII./KG 26に所属するJu 88雷撃機からの航空魚雷が命中して操舵装置が破壊され、艦尾が浸水していた。U-331はリードスタウンに4本の魚雷を一斉掃射し、2本を命中させた。リードスタウンは艦尾から沈み、右舷側に大きく傾いたため放棄され、2時間後に沈没した[11]。
11月13日、U-331は護衛船の攻撃を受け、深く潜航しすぎたため海底にぶつかり、小破した[10]。
沈没
11月17日、U-331はアルジェの北北緯37度05分 東経2度27分 / 北緯37.083度 東経2.450度座標: 北緯37度05分 東経2度27分 / 北緯37.083度 東経2.450度.[12]で沈没した。U-331はイギリス空軍第500飛行隊に所属するロッキード・ハドソン爆撃機の攻撃を受け大破し、前部ハッチが開いたままになり潜航不能となったためハドソン機に降伏の信号を送った[13]。駆逐艦ウィルトンはU-331を接収するよう指令を受けたが、損傷したU-331はイギリス空母フォーミダブルから発艦した第893海軍飛行隊所属のグラマン・マートレット戦闘機2機に護衛された第820海軍飛行隊所属のフェアリー・アルバコア雷撃機3機から空襲を受けた[13]。降伏の信号に気付かなかったマートレット機はU-331に機銃掃射を行い、その後U-331はアルバコアの一機が投下した魚雷によって沈没した[14]。乗組員のうち32名が死亡し、艦長含む17名が生存した[15]。
ウルフパック
U-331は1つのウルフパックに参加した。
- ゲーベン (1941年9月24日~30日)