いのちのとりで裁判
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- 自民党による政策
- 2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙で、自由民主党が「生活保護基準の10%引き下げ」などを選挙公約に掲げて選挙戦を戦った結果、政権復帰を果たした。
- その後、2013年(平成25年)8月から生活保護の引き下げが開始され、約3年かけて、2012年度ベースに対して基準生活費の平均6.5%、最大10%の減額を実施した。
- いのちのとりで裁判 ~ 原告勝訴
- 2014年(平成26年)以降、かつてない大幅な引き下げにより「命を削る」との悲鳴が上がり、全国各地の1,000名を超える被保護者が、日本国憲法第25条が保障する生存権の侵害ではないかと裁判を起こすに至った。
- 2025年(令和7年)6月27日、最高裁判所で「生活保護費の減額は違法」との判決が出されて以降、各地の訴訟においても「原告勝訴」の判決が続けて出されるようになった。
- 厚労省の方針により再燃
- しかし、厚生労働省は2025年11月21日、原告を含む当時のすべての生活保護利用世帯に対し、「ゆがみ調整(2分の1処理)」を存続させ、「デフレ調整(-4.78%)」の数値を「-2.49%」に変更して再実施し、原告については「特別給付金」として追加給付するという方針を発表した。
- これに対して、原告団は反発して国の対応を不服とする審査請求を行う方針を固め、不服の申し立てが認められない場合は再び集団訴訟を起こすことも視野に入れている。
背景
- 日雇い派遣の合法化批判と年越し派遣村開設への動き
- 明治大学教授、遠藤公嗣のメモであるが、「年越し派遣村」の開設のきっかけは2004年(平成16年)労働者派遣法の改正で合法化された「日雇い派遣」への批判である。2007年(平成19年)10月、貧困問題に対応していた個人ネットワーク「反貧困ネットワーク(代表:宇都宮健児、事務局長:湯浅誠)」が結成された。派遣村開設につながる直接のアイディアは2008年(平成20年)12月4日に開催された「労働者派遣法の抜本的改正をめざす12.4集会(日比谷公園野外音楽堂で開催)」直後の集会を企画した関係者同士の食事のときであった[1]。
- 世界金融危機「リーマン・ショック」と「年越し派遣村」の開設

- アメリカ合衆国で住宅市場の悪化によるサブプライム住宅ローン危機がきっかけ[2]となり投資銀行のリーマン・ブラザーズ・ホールディングスが2008年9月15日に経営破綻し、そこから連鎖的に世界金融危機が発生した[3]。

- 日本国内でもいっせいに派遣切りが起き、特に寮生活を送っていた非正規社員たちは、住宅を失った。そんな人たちが2008年(平成20年)末に日比谷公園に開かれた「年越し派遣村」に集まった[4]。
- 「派遣村」に関する一連の報道、及び厚生労働省の対応は、国民の生活保護を受けることへの抵抗感を弱め、受給者増の一因になったとの見方もある[5]。経済学者の鈴木亘は、2009年以降から20代〜30代の若年層による生活保護の申請が急増した背景として「年越し派遣村」を挙げている。鈴木は、超党派の大物議員が年越し派遣村を支援したことが、役所が申請を受理するお墨付きを与えることになったと述べている[6]。
- 国政の動き「政権交代」

- 2009年(平成21年)8月30日に実施された第45回衆議院議員総選挙の結果、自公連立政権から民社国連立政権への政権交代が行われた。野党だった民主党が単独過半数を大きく上回る308議席を獲得する一方、与党だった自由民主党は119議席に激減する惨敗を喫し下野した[7]。
- 引き金
- 元・朝日新聞記者でフリー記者の阿久沢悦子によると、2011年(平成23年)に「生活保護の被保護者が過去最多になった」との報道が引き金になったという[8]。
- 2008年(平成20年)から2011年(平成23年)にかけて4.78%も物価が下落しているとする「デフレ調整」であったが、この「デフレ調整」は専門家部会の審議を経ずに、部会の報告書が発表された後に「厚生労働省の事務方が、独自に開発した物価指標を用いて実施したもの」だった[9]。
- 2012年(平成24年)3月、当時野党の自由民主党に「生活保護に関するプロジェクトチーム」(座長:世耕弘成)が設置され、生活保護基準の引き下げや不正受給対策の厳格化を提言した。同時期に芸能人の母が生活保護制度を利用していて、適正な利用だったが、あたかも不正受給であるかのようなバッシング(生活保護バッシング)が巻き起こった[10]。第一報は小学館が発行する女性週刊誌『女性セブン』2012年4月26日号記事で「芸人A」と人物を伏せたが、その後にニュースブログ『日刊サイゾー』が実名報道をした。自由民主党の片山さつきも自身の公式ブログ記事を更新するほどの関心を持った[11]。片山は「生活保護制度は運営実態があまりにもずさんで、真面目に働き、納税している国民に不公平感を生んでいる」と語る[12]。
→「芸能人親族生活保護受給騒動」も参照
- 10%引き下げの選挙公約、再び「政権交代」
- 2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙で、自由民主党が「生活保護基準の10%引き下げ」などを選挙公約に掲げて選挙戦を戦った結果、政権復帰を果たした[10]。2012年(平成24年)12月26日に成立した第2次安倍内閣による同年の第46回衆議院議員総選挙における「生活保護費の1割カット」の公約が強行された。
- その後、2013年(平成25年)1月にとりまとめられた「社会保障審議会生活保護基準部会における検証結果や物価の動向を勘案する」という考え方に基づき、必要な適正化を図るため見直しが行われた。生活保護費のうち、主に生活扶助の食費・被服費等、光熱費・家具什器等に充てる生活扶助基準を減額することを決定した。
- 引き下げの実施
- 2013年(平成25年)8月から順次開始され、約3年かけて、2012年度ベースに対して基準生活費の平均6.5%、最大10%を減額、削減を実施し[13][14]。厚生労働省は与党・自由民主党の要求「10%」に対して「平均6.5%」と、引き下げ割合の縮小に成功した。
- しかし、フリーランスライターの、みわよしこは「低所得層にとっての『平均6.5%』は、まさしく生存を削る重みがある。厚労省に感謝はできない」と語る[14]。生活保護法制定以来、生活扶助が引き下げられたのは、2003年度及び2004年度で、その率もそれぞれ0.9%、0.2%。今回は前例のない大幅引下げだった。
- 生活保護者による訴訟
- 2014年(平成26年)以降、全国各地の1,000名を超える被保護者が、日本国憲法第25条が保障する生存権の侵害ではないかと裁判を起こした[15][16][17]。
引き下げ額
訴訟
判決
2025年(令和7年)6月27日、最高裁判所で「生活保護費の減額は違法」との判決が出された[21]。
国家賠償請求については棄却された。
最高裁による「原告勝訴」判決は出たものの、いのちのとりで訴訟の原告1,027人のうち、22.5%にあたる232人がすでに他界していた[22]。亡くなった者への遺族に、生活保護費の減額分が支給されるかは、2025年11月現在は不明である。
- 物価変動率のみを直接の指標として用いたことは、従来なかった。
- 専門的知見との整合性を欠く。
その上で、厚生労働大臣の判断に「裁量権の範囲の逸脱または濫用」があり、生活保護法第3条、同第8条2項に違反しているとした[23]。
受給者間の均衡を図る「ゆがみ調整」(約90億円削減)については、違法と認定しなかった。
訴訟意義
- 生活保護はナショナル・ミニマムとして各種の社会保障制度と連動していることから、最高裁判決が広く一般市民の生活を守るための重要な要素になった。
- 自由民主党の生活保護基準引き下げ公約と生活保護バッシングののちに、命の線引きを公然と主張し、生存権を否定する言動が日本社会で起きていたが、それらの動きに対する社会運動が組織された。
判決後
専門家委員会による審議
- 政府からは謝罪なし
- 東京新聞によると、最高裁判所の判決から10日が過ぎても、政府は依然として生活保護の被保護者に謝罪せず、違法減額された分の保護費をどう支払うか明らかにしなかった。厚生労働大臣の福岡資麿は判決後に謝罪せず、専門家審議会を設置して今後の方針を検討すると表明した。
- 本訴訟の原告たちは2025年(令和7年)7月7日、厚生労働省に「謝罪と専門家審議会の設置方針の撤回、違法と指摘された保護費の差額分をさかのぼって支払うこと」を求めたものの、対応したのは大臣や副大臣、政務官を務めている国会議員でなく省職員だった[25]。
- 同年7月20日に第27回参議院議員通常選挙が行われたが歴史的な判決が出た直後だというのに、7月8日時点の状況だが、自民、立憲、公明、維新、国民民主、共産、れいわ、社民、参政、保守各党は沈黙していた[26]。
- 同年7月15日、石川県内に住む生活保護被保護者と弁護団は生活保護費の減額分の支給を求めていて、金沢市に独自の支援策の実施を要望した。金沢市は国の方針を受けて速やかに対応したいとした[27]。
- 専門家委員会の発足
- 同年8月13日、厚労省は東京大学名誉教授の岩村正彦を委員長とした専門委員会の初会合を開いた。9人のうち6人は、生活保護の金額の基準を定期的に評価、検証する厚労省の生活保護基準部会のメンバーが占めている[28]。
- 当日、厚労省がある中央合同庁舎第5号館(東京都千代田区霞が関)の前には原告や支援者らが集まり、「厚労省は最高裁での敗訴という現実に向き合うべき」と抗議の声が上がった。原告や支援者らでつくる「いのちのとりで裁判全国アクション」によると、単純に国が謝罪とともに、減額された保護費全額を遡及(そきゅう)して払うこと、ただそれだけなのに専門委の設置を表明したことも遺憾だという[29][30]。
- 一方で、遡及支給が決定すれば、生活保護被保護者約200万人が対象となり、10年分に及ぶ支給作業で自治体の混乱も予想される[30]。
- 弁護士JPニュースによると専門委員会メンバーは以下とおりである[30]。
- 高市早苗総理による謝罪
- 同年11月7日、高市早苗内閣総理大臣は「過誤欠落があったと指摘されて、違法と判断されたことについては深く反省し、お詫びを申し上げます」と初めて謝罪した。厚生省は同日に当時の家計の状況などを踏まえ、少なくとも平均2.49%の引き下げとする案などを示した[31]。
- 専門家委員会による4案
- 同年11月17日、有識者による専門委員会の報告書には、遡及支給額の減額を伴う以下の4案が示された[32]。
- 原告については改定前基準との差額保護費を全額支給するが、原告以外については再処分を行う
- 原告についても原告以外についても、最高裁判決で違法とされなかった「ゆがみ調整(2分の1処理を含む)(※)」に加えて「デフレ調整」に代わる理由(低所得世帯の消費水準との比較)による再減額改定を行う
- 原告についても原告以外についても、ゆがみ調整のみを行う
- 原告についてはゆがみ調整のみを行い、原告以外については加えて再減額改定を行う
- これに対し、原告団は「当時の受給者全員への全額支給」を訴えた。最高裁判決で5人の裁判官がそろって違法とした「デフレ調整」に代わる理屈を持ち出し、保護費を引き下げるという案については、「裁判で主張し、または主張しえた理由に基づく再減額改定は、判決で取り消された処分と同じ内容の再処分を行うことを禁じる『反復禁止効』や、紛争をなるべく1回の訴訟手続きで解決しようとする『紛争の一回的解決の要請』等に反し許されない」と訴えた[33]。
再引き下げの決定後
- 再引き下げの方針
- 同年11月21日、厚生労働省は、原告を含むすべての生活保護利用世帯に対し、下記3点を行うことを発表した。
- 最高裁判決で違法とされなかった「ゆがみ調整(2分の1処理)」を再実施する。
- 最高裁判決で違法とされた「デフレ調整(-4.78%)」に代え、下位10%にあたる低所得者の消費実態との比較による新たな調整を「-2.49%」として行う。
- 原告については「特別給付金」として②の減額分を追加給付する。
- これにより、原告に対しては差し引きして約20万円を満額支払うことになるが、それ以外の裁判に参加していない生活保護世帯については、およそ半額にあたる約10万円しか支払わないという結果となった。これに対して、原告団は到底納得できないと反発し、国の対応を不服とする審査請求を行う方針を固め北海道大学大学院公
- 今回の生活保護引き下げ訴訟については、判決から4ヶ月以上が経過してから謝罪がなされ、賠償に至っては一部の引き下げを認めた上での金額となった。今回と類似のケースとして、2024年7月に旧優生保護法についての最高裁違憲判決が出た際には、判決後すぐに謝罪と賠償が進められた。
- ゆがみ調整の比較世帯の問題
- 引き下げの根拠となる「ゆがみ調整」とは、所得下位10%との比較を行う「水準均衡方式」を指すが、現状では生活保護の捕捉率(生活保護基準を満たしている者のうち、実際に保護を受けている者の割合)は2割程度である。所得下位10%層には「生活保護以下の生活に耐えている世帯」が多く含まれており、そうした層と比較をすると、生活保護基準を際限なく引き下げることになってしまう。
- 国民全体の権利を低下させる
- 生活保護基準は、最低賃金や住民税非課税、国民健康保険料減免、就学援助などの様々な制度に連動している重要な「ナショナル・ミニマム」である。そのため、生活保護を切り下げると、その他の人々の生活も切り下げられてしまう。
遡及支給の開始
厚生労働省は2026年(令和8年)2月20日、減額分の一部補償を同年3月に始めるとの告示を出し、遡及支給(そきゅうしきゅう。遡って支給すること)が開始された。