アーサー・フリード
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サウスカロライナ州生まれ。はじめボードビルの芸人であったが、作詞家に転じて頭角をあらわし、MGM専属となる。ナシオ・ハーブ・ブラウンと組んで『ブロードウェイ・メロディー』『雨に唄えば』などの作品を生み出した。
1940年代に入ると主としてミュージカル映画専門のプロデューサーに転向。会社はフリードに半独立の製作集団「フリード・ユニット」を組織することを認め、ヴィンセント・ミネリ、バスビー・バークレイなどの監督やMGMの「星の数より多い」俳優たちを自由に指揮する権限を与えた。
フリードの製作方法は、才能ある人材を集め、その顔合わせで観客を引きつけるもので、1940年代から1950年代のミュージカル最盛期にMGMが製作した映画のほとんどにかかわっている。ただしその製作手法は、徐々に映画の人気が凋落し、特に予算の大きなミュージカルが下火となってくると、会社の方針とあわなくなり、後にフリード・ユニットはMGMから独立して、独自の製作を行うようになった。
セクシュアルハラスメント
フリードはキャスティング・カウチ(セックスをした相手に役や契約を回すこと)や、大人の女優以外に子役にも手を出すペドフィリアでもあり、当時13歳のジュディ・ガーランドとも性的関係をもっていた。[要出典]
また『オズの魔法使』の当初の主役は20世紀フォックスから同社の看板スターで、国民的子役のシャーリー・テンプルを借り受けて起用する予定であったので[要出典]、自分のオフィスに当時12歳のシャーリーを招き入れ面接をした。その際にフリードはズボンを下ろし陰部を彼女に見せるというセクハラ行為を行ったが、大スターの彼女は大笑いして彼の性的な誘いを拒絶したため、フリードは激怒しオフィスからシャーリーを追い出した。
このセクハラ事件で20世紀フォックスが激怒しMGMはトラブルになり、『オズの魔法使』の主役を演じる話が頓挫したエピソードを、フリードが死んで十数年後にシャーリーが伝記内で暴露した。