エジプト第27王朝
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| エジプト第27王朝 | |||||
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| 𐎲𐎼𐎮𐎡𐎹 | |||||
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| 首都 | メンフィス | ||||
| ファラオ | |||||
| 前525年 - 前522年 | カンビュセス2世 | ||||
| 前423年 - 前404年 | ダレイオス2世 | ||||
| 変遷 | |||||
| ペルシウムの戦い | 前525年 | ||||
| アミュルタイオスによる独立 | 前404年 | ||||
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| 古代エジプトの王朝 |
|---|
| 王朝誕生前のエジプト |
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第21(並立:アメン大司祭) 第22 第23 第24 第25 第26 |
| エジプト末期王朝時代 |
| 第27 第28 第29 第30 第31 |
| グレコ・ローマン時代 |
| アレクサンドロス大王 |
| プトレマイオス朝 |
| アエギュプトゥス |
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エジプト第27王朝(エジプトだい27おうちょう、紀元前525年 - 紀元前404年)、または第1次ペルシア支配時代[5]は、古代エジプト(古代ペルシア語: 𐎸𐎭𐎼𐎠𐎹 mu-d-r-a-y(Mudrāya(-)) ムドラーヤ)の王朝であり、アケメネス朝ペルシア帝国がエジプトをサトラペイアとして支配していた1度目の時代である。この時代、ペルシア王はエジプト王(ファラオ)でもあった。
この時代は紀元前525年にペルシア王カンビュセス2世がエジプトを征服したときから、紀元前404年にアミュルタイオスによって独立するまでの約120年間続いた。その後、再びペルシアがエジプトを支配するまでの約60年間、エジプトは独立していた。
エジプト第26王朝最後の王プサメティコス3世は紀元前525年5月、ナイル川東岸のペルシウムの戦いでカンビュセス2世に敗れた。プサメティコス3世はメンフィスに逃れたが、捕らえられスサで処刑された[6]。カンビュセス2世はその年の夏までには正式なエジプトの王として即位し、初めてアケメネス朝によるエジプト統治が始まった。これを一般にエジプト第27王朝と呼ぶ。エジプトはキプロス、フェニキアと共にアケメネス朝の第6州を形成し、アリュアンデスがサトラップ(総督)に任命された。総督の居館はメンフィスに置かれた[7]。
カンビュセス2世の治世において、エジプトの伝統的な神殿群の財源がかなり減少していることが確認できる。デモティック体でパピルスに書かれた一片の法律は、メンフィス、ヘリオポリス、ウェンケム(Wenkhem アブシール近郊)を除く全てのエジプトの神殿の資産制限を命じている。カンビュセス2世は紀元前522年頃エジプトを離れたが、ペルシアへの帰途に歿した。カンビュセス2世の地位は弟のバルディヤに継承された。だが、ベヒストゥーン碑文第1欄11-15において、バルディヤは実際には僭称者ガウマタであり、偽物であるとダレイオス1世は主張している。彼はこの僭称に気づき、バルディヤを打倒して正統な王位を回復したとしている[8]。翌朝ダレイオス1世はペルシア王、そしてエジプトのファラオとして即位した。
ペルシアの新たな王となったダレイオス1世は、全帝国で続発した反乱の鎮圧に多くの時間を費やした。紀元前522年後半、もしくは紀元前521年前半、エジプト人の諸侯が反乱を起こし、自身がエジプトの王ペティバステト3世であることを宣言した。この反乱の主たる原因は不明である。しかし、古代ギリシアの軍事史家ポリュアイノスは総督アリュアンデスによる過酷な課税のためであると述べている。ポリュアイノスは更にダレイオス1世がエジプトに親征を行い、聖牛アピスの死に伴う喪中に到着したと書いている。ダレイオス1世は次のアピスを育てた者には数百タラントの賞金を出す事を宣言することで、自らの信心深さをエジプト人に示して大衆の支持を獲得し、反乱を終結に導いた[9]。
ダレイオス1世はカンビュセス2世よりもエジプトの内政に大きな関心を寄せていた。彼はエジプトの法律を成文化した[10]と伝えられており、またスエズでビター湖と紅海を結ぶ運河掘削事業を完成させた[11]。このルートは過酷な砂漠を行く陸路よりも遥かに優れていた。この工事はまた、ダレイオス1世がペルシアで彼の宮殿を建設するためにエジプトの熟練労働者と職人を移住させることを可能とした。これは小規模ながらエジプトからの頭脳流出であった。これら熟練した技能者の喪失によって、この時期からエジプトの建築と芸術における品質低下が生じた。にもかかわらず、ダレイオス1世はカンビュセス2世よりも熱心なエジプトの神殿の後援者であり、エジプトにおける宗教的寛容によって高い評価を得た[12]。紀元前497年、ダレイオス1世がエジプトを訪問している最中、アリュアンデスは反逆者として処刑された。この反逆行為とは、彼が自身のコインを鋳造しようとしたことである可能性が高い。これはエジプトがペルシア帝国から離れた存在であることを視覚的に示す試みであった[13][14]。紀元前486年ダレイオス1世が死に、クセルクセス1世が即位した。
クセルクセス1世の即位に際して、エジプトでは再び反乱がおこった。これは恐らくプサメティコス4世の元で行われたが、記録によって細部の情報が異なる。クセルクセス1世は迅速にこの反乱を鎮圧し、彼の兄弟であるアケメネスを総督に任命した。クセルクセス1世はダレイオス1世の時代にエジプトが持っていた特権を剥奪した。そして恐らくはギリシア遠征の財源を得るため課税を強化した。クセルクセス1世は更に、伝統的なエジプトの神々を排してゾロアスター教の主神アフラ・マズダへの崇拝を要求し、エジプトの記念碑への資金提供を永久に停止した。クセルクセス1世は紀元前465年にアルタバノスに暗殺された。これによって激しい宮廷闘争が生じ、アルタクセルクセス1世が即位するまで続いた。
紀元前460年、リビア人の首長イナロス2世に率いられて新たにエジプト人の反乱が発生した。この反乱は実質的にギリシアのポリス、アテナイの支援の下で行われていた[15]。イナロス2世はアケメネスが率いる軍勢を撃破し、その過程でアケメネス自身も殺害した。そしてメンフィスを占領し、エジプトの大部分を支配下に置いた。イナロス2世と彼のアテナイ人の同盟者は最終的にはメガバゾス将軍に率いられたペルシア軍によって紀元454年に打ち破られて後退した。メガバゾスはイナロス2世に対し、もしも降伏しペルシアの権威を承認するならばイナロス2世自身と彼の支援者は罪に問わない事を約束し、イナロス2世はこれを受け入れた。にもかかわらず結局アルタクセルクセス1世はイナロス2世を処刑した。それがいつ、どのように行われたのかは不明である[16]。アルタクセルクセス1世は紀元前424年に死去した。
アルタクセルクセス1世の後継者クセルクセス2世は兄弟のソグディアノスに暗殺されたため僅かに45日しか統治できなかった。ソグディアノスもまた兄弟のオコスによって暗殺された。オコスはダレイオス2世として即位した[17]。ダレイオス2世は紀元前423年から紀元前404年まで統治した。彼の治世の終盤にはアミュルタイオスに率いられた反乱が発生した。この反乱は少なくても紀元前411年には始まっていた。紀元前405年、アミュルタイオスはクレタ人傭兵の助けを得てペルシア人をメンフィスから追放し、翌年には自身がエジプトの王であることを宣言した。これによってエジプト第27王朝は終了した。ダレイオス2世の後継者アルタクセルクセス2世はエジプト再征服のための遠征を企図したが、弟の小キュロスとの間に生じた対立のために実施は政治的に困難であり、結局この努力は放棄された。アルタクセルクセス2世は紀元前401年頃まではエジプトの幾つかの地域で正当な王(ファラオ)であるとみなされていた。しかし反乱に対する彼の鈍い対応はエジプトの独立が確固たるものになることを許した。その後の独立時代にはエジプト人による3つの王朝が統治した。すなわち第28、第29、第30王朝である。アルタクセルクセス3世は紀元前343年にエジプトを再征服した。これによるペルシアの短期間の支配はエジプト第31王朝と呼ばれている。
歴代王
| 名前 | 画像 | 在位 | 即位名 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| カンビュセス(2世) | ![]() |
前525年 - 前522年 | Mesutire(メスティラー) | 紀元前525年、プサメティコス3世をペルシウムの戦いで破った |
| バルディヤ(偽物?) | 前522年 | 僭称者であるかもしれない | ||
| ペティバステト3世 | 前522/521年 - 前520年 | Seheruibre(セヘルイブラー) | アケメネス朝のファラオに反抗した | |
| ダレイオス(1世) | 前522年 - 前486年 | Stutre(セトゥトラー) | ||
| クセルクセス(1世) | 前486年 - 前465年 | |||
| プサメティコス4世 | 前480年 | アケメネス朝のファラオに対する反抗を主張 | ||
| アルタバノス | 前465年 - 前464年 | クセルクセス1世を暗殺、その後アルタクセルクセス1世に暗殺された | ||
| アルタクセルクセス(1世) | 前465年 - 前424年 | |||
| クセルクセス(2世) | 前424年 - 前423年 | 王位を要求 | ||
| ソグディアノス | 前423年 | 王位を要求 | ||
| ダレイオス(2世) | 前423年 - 前404年 | エジプト第27王朝最後のファラオ |
エジプト第27王朝の在位期間(アケメネス朝のファラオのみ)

