ラグビーニュージーランド代表

ラグビーユニオン競技のニュージーランド代表チーム From Wikipedia, the free encyclopedia

ラグビーニュージーランド代表英語: New Zealand national rugby union team)は、ニュージーランドラグビーユニオンナショナルチーム。愛称は「オールブラックス」 (英語: All Blacks)。エンブレムはシルバー・ファーンシダの葉)。

愛称 オールブラックス
概要 ユニオン, 愛称 ...
ラグビーニュージーランド代表
ユニオン ニュージーランドラグビー
愛称 オールブラックス
エンブレム シルバー・ファーン
最多キャップ サム・ホワイトロック (153)
最多得点選手 ダン・カーター (1598)
最多トライ選手 ウィル・ジョーダン (50)
ファースト
ジャージ
セカンド
ジャージ
初国際試合
 オーストラリア 3–22 ニュージーランド 
(1903年8月15日)
最大差勝利試合
 ニュージーランド 145–17 日本 
(1995年6月4日)
最大差敗戦試合
 ニュージーランド 10–43 南アフリカ共和国 
(2025年9月13日)
ラグビーワールドカップ
出場回数 10 (1987年初出場)
最高成績 優勝 (198720112015)
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概要

試合の前に、ニュージーランドの先住民であるマオリの伝統舞踊「ハカ」(カマテ、カパオパンゴ)を行う。

チームの初戦は1884年にオーストラリアニューサウスウェールズ州で行われた。最初の国代表試合(テストマッチ)は1903年にオーストラリアのシドニーオーストラリア代表と対戦した。翌1904年、ホームでの初のテストマッチとして、ウェリントンでイギリス諸島のチームと対戦した。1905年にはヨーロッパと北米で34試合を戦ったが、テストマッチ5試合のうち、ウェールズ代表との初テストマッチで1敗しただけだった。

1996年からラグビー南アフリカ代表(スプリングボクス)およびオーストラリア代表(ワラビーズ)との国際対抗戦トライネイションズを開催し、2012年からは新たにラグビーアルゼンチン代表を加えたザ・ラグビーチャンピオンシップを開催している[1]

ユニフォームとチーム愛称

シルバーファーンを意匠にした旗。
1905年のジャージ。肩当ての布で補強。紐で結ぶストリングネック仕様。

1884年のオーストラリア遠征では、紺色のジャージを着用し、ジャンパーの左側に金色のファーン(シダの葉)の紋章を付けた[2]

1893年にニュージーランドラグビー協会が設立されたとき、シダ類の一種であるシルバー・ファーンがあしらわれた黒のジャージと、白のショーツまたはニッカーボッカーズだった[3]

1901年に全身黒のユニフォームとなり、オーストラリアのニューサウスウェールズ代表と対戦した[3]

1905年から1906年にかけてブリテン諸島遠征を行ったニュージーランド代表チームは、現在「オリジナルズ (The Originals)」と呼ばれる。

オリジナルズの一人、ビリー・ウォーラスは、ロンドンの新聞が代表チームの戦いぶりを評して、全員バックスのように戦うと書きたてたことから「オールバックス」と呼ばれるようになり、それが誤植などで変じて「オールブラックス」になった、と述べている[4]。しかし実際は、前述のとおり、遠征前から全身黒のユニフォームにより すでに「オールブラックス」と呼ばれており、ブリテン諸島遠征での活躍により愛称が定着した[4]

「ALL BLACKS」は、ニュージーランドラグビー協会登録商標である[5]

1990年創設の女子ニュージーランド代表の愛称は、ブラックファーンズ (Black Ferns) である。

スポンサー

1925年から1999年まで75年間に渡り、カンタベリー・オブ・ニュージーランドと公式サプライヤー契約を結び、ユニフォームを提供していた。1999年シーズンからは、アディダスと公式サプライヤー契約を結んでいる。

2012年シーズンから保険会社AIGが公式スポンサー契約を締結し、初めて、ジャージの前面にロゴ「AIG」を入れた。2022年からは、フランスの建設資材企業アルトラッドグループが、ジャージ前面のロゴ「ALTRAD」を掲出している[6]

代表資格とサバティカル

海外チームでプレーする選手は、ニュージーランド代表資格を持てないというニュージーランド協会独自の規定がある。その例外規定として「サバティカル(sabbatical、日本語の『長期休暇』に相当)」があり、1年間の休暇を利用して海外でプレーをすることができる。これを利用し、季節が半年ずれている日本のリーグワンなど北半球で、多くのオールブラックス選手が活躍している[7][8][9][10]

日本への影響

オールブラックスは、そのプレースタイルの他に、以下のような日本への影響がみられる。

オールホワイト

1919年(大正8年)、第三高校(京都大学の前身)と同志社のOBが中心となり、「オールホワイト」 こと関西ラグビー倶楽部(KRAC)を設立した[11][12]。現在の関西ラグビーフットボール協会の母体となる[12][13][14]

天理大学ラグビー部

1925年(大正14年)、天理大学の前身である天理外国語学校が開校した年の6月に、ラグビー部を創設。創部まもなく、天理教の二代真柱中山正善は、オールブラックスのユニフォーム、パンツ、ストッキングを15組、ラグビー部に寄贈した[15]。現在、天理大学ラグビー部のユニフォームは、オールブラックスと同じく全身黒色である。

脚注

歴史

ラグビー王国の誕生

1905年 - 1906年に北半球遠征を行ったオリジナル・オールブラックスメンバー。
1905年に掲載された英国の風刺漫画雑誌パンチの1ページ。当時の風刺画ではブリテン諸島代表を強靭なライオン、オールブラックスを足の速いピューマに見立てた。

ニュージーランドへのラグビー伝来は医学者で政治家のデビッド・モンロ(出身はスコットランドエジンバラ)の息子であるC.J.モンロにより伝えられた説が有力である[16]。C.J.モンロは留学先のロンドンでラグビーと出会い1860年代後半にニュージーランドへ伝えたとされている[17]。1870年5月にネルソン・カレッジとネルソン・クラブとの間でラグビーの試合が開催された[18] 。1882年にサザンラグビー協会(現:ニューサウスウェールズ州ラグビー協会)がニュージーランド遠征を行い[19]、1888年にブリテン諸島チーム(イングランド、スコットランドおよびウェールズの選手から構成)がニュージーランド遠征を行った[20]

1892年にニュージーランド・ラグビーフットボール協会(NZRFU、現在のニュージーランド・ラグビー協会(NZRU))が設立され、1893年にニューサウスウェールズ州へ遠征。翌年にはニューサウスウェールズを招き初のホーム試合を開催。公式な初のテストマッチは1903年にシドニーで開催されたラグビーオーストラリア代表(ワラビーズ)との試合になる。

1905年から1906年にかけ初の北半球遠征(ブリテン諸島フランスアメリカ合衆国)を行った際にオールブラックスと呼ばれるようになったとされる(詳細は#ユニフォームとチーム愛称を参照)。この北半球遠征に帯同したメンバー27名は“オリジナル・オールブラックス”と呼ばれ、伝説のチームとされている。この遠征成績は35戦34勝1敗、うちテストマッチ5戦4勝1敗。

1921年にラグビー南アフリカ代表(スプリングボクス)がニュージーランド遠征を行い、1928年にはオールブラックスが南アフリカへ遠征。この遠征試合はともに引き分けとなった。

1924年から1925年にかけて行われたブリテン諸島・フランス・カナダ遠征では32戦全勝(うちテストマッチ4戦全勝)を達成。この遠征メンバーは“インヴィンシブル(無敵艦隊)”と称された。

1932年よりワラビーズとの国際対抗戦「ブレディスローカップ」を開催。

1965年から1969年にかけてテストマッチ17連勝を達成。

1976年に当時人種隔離政策(アパルトヘイト)により国際社会から強い批判を受けていた南アフリカへオールブラックスを派遣したことからアフリカ諸国がモントリオールオリンピックをボイコットするなど国際問題へ発展。

1978年の北半球遠征ではホーム・ネイションズの4チームと対戦し全勝、グランドスラムを達成。

初開催となるラグビーワールドカップ1987で優勝。ジョン・カーワンとクレイグ・グリーンが6トライを挙げトライ王に輝く。ラグビーワールドカップ1991では準決勝でワラビーズに敗れ3位に終わる。

ラグビーワールドカップ1995では優勝候補から外れ、ヘッドコーチのローリー・メインズはベテランのグレアム・バショップ、ジンザン・ブルックを復帰させる一方、新戦力のジョナ・ロムーアンドリュー・マーティンズジョシュ・クロンフェルドらを起用し新旧融合チームを結成。下馬評を覆し決勝へ進出。決勝はスプリングボクスと大会初となる延長戦に突入するも3点差で2位に終わる。メインズは辞任し、ヘッドコーチにノンキャップの知将ジョン・ハートが就任。

ハート就任後は1996年から始まったトライネイションズで2年連続全勝優勝するなど若手とベテランが噛み合ったラグビーワールドカップ1995での好調を維持する。

低迷期

長らくチームを支えたショーン・フィッツパトリック、ジンザン・ブルック、マイケル・ジョーンズ、フランク・バンス等のベテランが次々と代表を引退すると、1998年にブレディスローカップをワラビーズに明け渡すなど低迷期に突入、1998年から1999年の対ワラビーズは5戦1勝4敗と負け越す。ラグビーワールドカップ1999は準決勝でフランスに、3位決定戦でもスプリングボクスに敗れ4位に終わる。ハートは辞任しヘッドコーチにウェイン・スミスが就任。

スミス就任後の2000年、2001年のトライネイションズは2位に終わりブレディスローカップの奪回に失敗。スミスは更迭され当時37歳のジョン・ミッチェルがヘッドコーチに就任。ミッチェルは若手選手を中心にチーム編成を行い2002年・2003年のトライネイションズ優勝、2003年には5季ぶりにブレディスローカップの奪回に成功した。しかしラグビーワールドカップ2003は準決勝でワラビーズに敗れて3位。ミッチェルは辞任しグラハム・ヘンリーがヘッドコーチに就任。

復活

2004年にヘンリーがヘッドコーチに就任してから2006年までのテストマッチは33勝4敗、2004年11月以降は27勝2敗と圧倒的な強さを取り戻す。2005年11月の北半球遠征でホーム・ネイションズの4チームを相手に27年ぶり2度目のグランドスラム(全勝)を達成。その初戦ウェールズ戦と続くアイルランド戦では先発メンバーを全員入れ替えながらともに38点差で圧勝した。ラグビーワールドカップ2007は優勝の大本命とされたが、準々決勝でホスト国のフランスに敗れた。NZRUは新ヘッドコーチの選考を行うと表明し、ロビー・ディーンズとの指名争いが展開されたが、最終的にヘンリーの再任人事を発表。敗れたディーンズはワラビーズのヘッドコーチに就任した。この決定は賛否両論の議論を招いたが、2008年・2010年のトライネイションズ優勝と北半球遠征でグランドスラム達成、ブレディスローカップ3季連続防衛に成功するなど、勝率9割以上を言われるヘンリーの戦術は高い評価を得た。

2007年大会と同じく優勝候補の大本命とされたラグビーワールドカップ2011は圧倒的な強さで決勝まで進み悲願の優勝を果たした。この大会中、スタンドオフに3名の怪我人を出しながら優勝を果たし選手層の厚さを証明した。2011年シーズン終了後にヘンリーの勇退が発表され、ラグビーウェールズ代表時代から9年間に渡りヘンリーのアシスタントを務めたスティーブ・ハンセンがヘッドコーチに昇格した。

ハンセン就任後もオールブラックスの快進撃は止まらず、2013年には年間全勝となるテストマッチ14戦全勝を達成するなど、ブレディスローカップとザ・ラグビーチャンピオンシップ3季連続防衛に成功、2015年はザ・ラグビーチャンピオンシップの優勝こそワラビーズに奪われるもののブレディスローカップは防衛。本命視されて臨んだラグビーワールドカップ2015において優勝。ラグビーワールドカップ史上初の連覇を達成した。

ラグビーワールドカップ2019ではプールBを4戦全勝で1位通過。この中には、後に同大会を優勝するスプリングボクス戦が含まれていた。しかし、準決勝でイングランドに19-7で敗れ、ワールドカップ3連覇とはならなかった。3位決定戦ではウェールズ代表に40-17で勝利し3位が確定した。

フォスターHC時代

2019年12月11日(現地時間)、ハンセンのアシスタントを8年間務めたイアン・フォスターがヘッドコーチに就任した。

2022年7月9日、アイルランドに敗れ、世界ランキングはそれまでの2位から史上ワーストの4位に転落[21]。翌週7月16日もアイルランドに敗れた。

2022年南半球四カ国対抗ザ・ラグビーチャンピオンシップにおいて、8月7日の開幕戦で南アフリカに敗れた。これでテストマッチ3連敗となり、8月8日付の世界ランキングはチーム史上最低を更新し5位になった[22]

その後4位に戻したものの、8月27日に自国開催のアルゼンチン戦で歴史的敗北を喫し、8月29日付の世界ランキングで再び5位に落たが[23]、翌週には4位に戻した。

2022年10月29日、ランキング10位の日本代表と4年ぶり7回目の対戦を行い、38-31で辛勝した[24]

スコット・ロバートソンHC時代

2024年から4年契約[25]でヘッドコーチに就任したスコット・ロバートソンは、2026年1月15日に2シーズンを残し 解任された[26][27][28]

2025年8月28日にアルゼンチン代表戦で2年連続敗戦[29]、2025年9月13日にホームでの南アフリカ共和国代表戦で10-43の歴史的な大敗[30]、2025年11月15日にイングランド代表戦で19-33で敗戦、南半球4か国対抗戦「ザ・ラグビーチャンピオンシップ」で2年連続で優勝を逃す[31]など、強豪国に対する不振が続いた。また、2025年にアシスタントコーチ2人(レオン・マクドナルドジェイソン・ホランド英語版)が辞任したほか[32][33]、選手の起用方針をめぐって チーム内外の不満も高まっていた[34]

世界ランキングと成績

さらに見る 順位, 前週比 ...
上位20チーム(2026年8月3日時点)[35]
順位前週比チームポイント
1 増減なし 南アフリカ共和国093.96
2 増減なし ニュージーランド092.28
3 増減なし アイルランド088.08
4 増減なし フランス087.43
5 増減なし イングランド085.68
6 増減なし スコットランド084.78
7 増減なし アルゼンチン083.13
8 増減なし オーストラリア081.61
9 増減なし フィジー078.00
10 増減なし 日本076.42
11 増減なし ウェールズ076.38
12 増減なし イタリア076.30
13 増減なし ジョージア073.94
14 増減なし アメリカ合衆国070.22
15 増減なし ポルトガル069.39
16 増減なし チリ066.94
17 増減なし スペイン066.83
18 増減なし ウルグアイ065.75
19 増減なし トンガ065.14
20 増減なし サモア064.73
21 増減なし ルーマニア062.45
22 増減なし ベルギー061.03
23 増減なし ホンコンチャイナ060.74
24 増減なし カナダ060.37
25 増減なし ジンバブエ057.68
26 増減なし ナミビア056.96
27 増減なし オランダ056.44
28 増減なし スイス055.47
29 増減なし チェコ054.78
30 増減なし ポーランド054.54
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New_Zealandのランキング推移
date123452003/10/62009/7/132015/4/202021/1/25New ZealandMen's World Rugby rankings
出典:ワールドラグビー[35]、グラフ:2026年8月8日現在
元データ:Data:Men's World Rugby rankings.tab

世界ランキング

2009年11月16日付から2019年8月12日付まで、509週連続で1位を記録していた。2019年8月17日に2位ウェールズが4位イングランドに勝利し、その前週に1位ニュージーランドが3位オーストラリアに敗れポイントを下げていたことで、2019年8月19日付ランキングで1位をウェールズに譲り、2位に落ちた[36]

長期にわたり3位以内をキープしていたが、2022年7月から8月にかけてテストマッチ3連敗を喫し、2022年8月8日付ランキングで5位に落ちた[37]。さらに8月29日付でも5位を記録した[23]

テストマッチ成績

2025年11月22日現在の テストマッチの対戦成績は以下の通り。

さらに見る チーム, 試合数 ...
チーム試合数勝率(%)
 アルゼンチン41361487.8%
 オーストラリア18112884570.7%
ブリティッシュ・アンド・アイリッシュ・ライオンズの旗 ブリティッシュ・アンド・
アイリッシュ・ライオンズ
41304773.2%
 カナダ6600100.0%
 イングランド47362976.6%
 フィジー8800100.0%
 フランス675111576.1%
 ジョージア1100100.0%
 アイルランド39331584.6%
 イタリア171700100.0%
 日本6600100.0%
 ナミビア3300100.0%
パシフィック・アイランダーズの旗 パシフィック・アイランダーズ1100100.0%
 ポルトガル1100100.0%
 ルーマニア2200100.0%
 サモア7700100.0%
 スコットランド33312093.9%
 南アフリカ共和国1106344357.3%
 トンガ7700100.0%
 アメリカ合衆国4400100.0%
 ウルグアイ1100100.0%
 ウェールズ38350392.1%
世界選抜 (World XV)320166.7%
6645092313276.7%
チーム試合数勝率(%)
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ワールドカップ

トライネイションズとザ・ラグビーチャンピオンシップ

さらに見る トライネーションズ (1996–2011; 2020), 国/地域 ...
トライネーションズ (1996–2011; 2020)
国/地域 試合 ポイント ボーナス
ポイント
テーブル
ポイント
優勝
回数
P 得点 失点
 ニュージーランド 765202420541449+6053524311
 オーストラリア 763034315911817−226341603
 南アフリカ共和国 722814314801831−351241383
 アルゼンチン 41215684–28080
出典: lassen.co.nz – Tri-Nations, Australia, New Zealand, South Africa

ボーナスポイントはT – 4*W − 2*Dとして算出。T=テーブルポイント、W=勝利数、D=引き分け数

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さらに見る ザ・ラグビーチャンピオンシップ (2012-), 国/地域 ...
ザ・ラグビーチャンピオンシップ (2012-)
国/地域 試合 ポイント ボーナス
ポイント
テーブル
ポイント
優勝
回数
P 得点 失点
 ニュージーランド 69552122,3131,348+965432689
 南アフリカ共和国 69374281,8451,534+311331853
 オーストラリア 69283381,5631,900−337161411
 アルゼンチン 69141541,3582,277−91916660
更新: 2025年10月4日
出典: lassen.co.nz – TRC, Argentina, Australia, New Zealand, South Africa
ボーナスポイントはT – 4*W − 2*Dとして算出。T=テーブルポイント、W=勝利数、D=引き分け数
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さらに見る トライネーションズとザ・ラグビーチャンピオンシップを含めた全期間 (1996–), 国/地域 ...
トライネーションズとザ・ラグビーチャンピオンシップを含めた全期間 (1996–)
国/地域 試合 ポイント ボーナス
ポイント
テーブル
ポイント
優勝
回数
P 得点 失点
 ニュージーランド 1451072364,3672,797+1,570 7851120
 オーストラリア 141655713,3253,365−40 573236
 南アフリカ共和国 145586813,1543,717−563 503014
 アルゼンチン 73153551,4142,361−947 16740
更新:2025年10月4日
ボーナスポイントはT – 4*W − 2*Dとして算出。T=テーブルポイント、W=勝利数、D=引き分け数
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選手

現在の代表

ニュージーランド代表スコッド ※所属、 キャップ数(Cap)は、2025年11月9日現在[38]

さらに見る 選手, ポジション ...
選手 ポジション 誕生日 (年齢) キャップ フランチャイズ
ジョージ・ベル英語版 フッカー (2002-01-29) 2002年1月29日(24歳) 3 ニュージーランドの旗 クルセイダーズ / カンダベリー
サミソニ・タウケイアホ フッカー (1997-08-08) 1997年8月8日(29歳) 40 ニュージーランドの旗 チーフス / ワイカト
コーディー・テイラー フッカー (1991-03-31) 1991年3月31日(35歳) 104 ニュージーランドの旗 クルセイダーズ / カンダベリー
ジョージ・バウワー プロップ (1992-05-28) 1992年5月28日(34歳) 24 ニュージーランドの旗 クルセイダーズ / オタゴ
イーサン・デグルート プロップ (1998-07-22) 1998年7月22日(28歳) 38 ニュージーランドの旗 ハイランダーズ / サウスランド
テヴィタ・マフィレオ英語版 プロップ (1998-02-04) 1998年2月4日(28歳) 0 ニュージーランドの旗 ハリケーンズ / ベイ・オブ・プレンティ
フレッチャー・ニューウェル プロップ (2000-03-01) 2000年3月1日(26歳) 32 ニュージーランドの旗 クルセイダーズ / カンダベリー
パシリオ・トシ プロップ (1998-07-18) 1998年7月18日(28歳) 13 ニュージーランドの旗 ハリケーンズ / ベイ・オブ・プレンティ
タマティ・ウィリアムズ プロップ (2000-08-10) 2000年8月10日(26歳) 24 ニュージーランドの旗 クルセイダーズ / カンダベリー
スコット・バレット ロック (1993-11-20) 1993年11月20日(32歳) 87 ニュージーランドの旗 クルセイダーズ / タラナキ
サム・ダリー英語版 ロック (2000-07-18) 2000年7月18日(26歳) 6 ニュージーランドの旗 ブルーズ / カンダベリー
サミペニ・フィナウ英語版 ロック (1999-05-10) 1999年5月10日(27歳) 12 ニュージーランドの旗 チーフス / ワイカト
ファビアン・ホラード英語版 ロック (2002-10-09) 2002年10月9日(23歳) 10 ニュージーランドの旗 ハイランダーズ / オタゴ
ジョシュ・ロード英語版 ロック (2001-01-17) 2001年1月17日(25歳) 9 ニュージーランドの旗 チーフス / タラナキ
ルーク・ジェーコブソン バックロー (1997-04-20) 1997年4月20日(29歳) 25 ニュージーランドの旗 チーフス / ワイカト
デュプレッシー・キリフィ英語版 バックロー (1997-03-03) 1997年3月3日(29歳) 6 ニュージーランドの旗 ハリケーンズ / ウェリントン
ピーター・ラカイ英語版 バックロー (2003-03-04) 2003年3月4日(23歳) 6 ニュージーランドの旗 ハリケーンズ / ウェリントン
サイモン・パーカー英語版 バックロー (2000-05-06) 2000年5月6日(26歳) 6 ニュージーランドの旗 チーフス / ノースランド
アーディー・サヴェア バックロー (1993-10-14) 1993年10月14日(32歳) 104 ニュージーランドの旗 モアナ・パシフィカ / ウェリントン
ウォレス・シティティ バックロー (2002-09-07) 2002年9月7日(23歳) 16 ニュージーランドの旗 チーフス / ノースハーバー
フィンレー・クリスティ スクラムハーフ (1995-09-19) 1995年9月19日(30歳) 27 ニュージーランドの旗 ブルーズ / タスマン
コルテス・ラティマ スクラムハーフ (2001-03-22) 2001年3月22日(25歳) 19 ニュージーランドの旗 チーフス / ワイカト
キャム・ロイガード スクラムハーフ (2000-11-16) 2000年11月16日(25歳) 15 ニュージーランドの旗 ハリケーンズ / カウンティーズ・マヌカウ
ボーデン・バレット フライハーフ (1991-05-27) 1991年5月27日(35歳) 142 ニュージーランドの旗 ブルーズ / タラナキ
ダミアン・マッケンジー フライハーフ (1995-04-20) 1995年4月20日(31歳) 71 ニュージーランドの旗 チーフス / ワイカト
レスター・ファインガアヌク センター (1999-10-11) 1999年10月11日(26歳) 9 ニュージーランドの旗 クルセイダーズ / タスマン
アントン・ライナート=ブラウン センター (1995-04-15) 1995年4月15日(31歳) 86 ニュージーランドの旗 チーフス / ワイカト
ビリー・プロクター英語版 センター (1999-05-14) 1999年5月14日(27歳) 9 ニュージーランドの旗 ハリケーンズ / ウェリントン
クィン・トゥパエア センター (1999-05-10) 1999年5月10日(27歳) 22 ニュージーランドの旗 チーフス / ワイカト
ジョーディー・バレット センター (1997-02-17) 1997年2月17日(29歳) 75 ニュージーランドの旗 ハリケーンズ / タラナキ
レロイ・カーター ウイング (1999-02-24) 1999年2月24日(27歳) 4 ニュージーランドの旗 チーフス / ベイ・オブ・プレンティ
ケイレブ・クラーク ウイング (1999-03-29) 1999年3月29日(27歳) 31 ニュージーランドの旗 ブルーズ / オークランド
リーコ・イオアネ ウイング (1997-03-18) 1997年3月18日(29歳) 87 ニュージーランドの旗 ブルーズ / オークランド
セヴ・リース ウイング (1997-02-13) 1997年2月13日(29歳) 36 ニュージーランドの旗 クルセイダーズ / サウスランド
ウィル・ジョーダン フルバック (1998-02-24) 1998年2月24日(28歳) 51 ニュージーランドの旗 クルセイダーズ / タスマン
ルーベン・ラヴ フルバック (2001-04-28) 2001年4月28日(25歳) 4 ニュージーランドの旗 ハリケーンズ / ウェリントン
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個人記録

関連項目

外部リンク

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