カラブロ-ルカネ鉄道M2DE 50形気動車

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ピアッジオ博物館に静態保存されているM2DE 54号車、2017年

カラブロ-ルカネ鉄道M2DE 50形気動車(カラブロ-ルカネてつどうM2DE 50がたきどうしゃ)はイタリア南部の地中海-カラブロ-ルカネ鉄道(Società Mediterranea per le Ferrovie Calabro Lucane(MCL))およびその後身であるカラブロ-ルカネ鉄道(Ferrovie Calabro-Lucane(FCL))[注釈 1])で使用されていたステンレス製電気式気動車である。

イタリア南部の私鉄であった地中海-カラブロ-ルカネ鉄道では、カンパニアプッリャバジリカータカラブリアの各州に1915-56年に建設された[1]950 mm軌間の13路線、計737 km[2]を運行していた。

イタリアにおける気動車の開発は1906年自動車メーカーであったFiat[注釈 2]ミラノ万博ガソリンエンジンを搭載した車両を走行させたことから本格化し、その後、FiatやBreda[注釈 3]により、大型自動車の技術を使用したリットリナと呼ばれる中型の軽量気動車がイタリア国鉄を中心に広く導入されていた[注釈 6][4]。一方で、自動車をそのまま軌道に載せたレールバス的な形態の小型の気動車もOM[注釈 7]が北ミラノ鉄道向けに製造したMd.500形など、いくつかのメーカーで製造されており、1931年にはFiatが自動車に近い単端式で定格出力55kWの主機と自動車用変速機を搭載したALb25を製造してイタリア国鉄で試験運行されていた。

このような中、旅客輸送量の少ない地中海-カラブロ-ルカネ鉄道ではリットリナより小型のエミーネ[注釈 8]と呼ばれる、キャブオーバーバスと同じく車体前部に主機と運転室を配置した車軸配置1Azの単端式気動車を導入して、蒸気機関車が牽引する短編成の旅客列車を代替して効率化とサービス向上を図ることとなり、1933-35年にCarminati & Toselli[注釈 9]製のM1 1形とOM製のM1 30形の計21両が導入されており、M1 1形のうちM1C 14号車がラック区間用の試作機であった。

さらに、これらのエミーネの使用実績を基に1937年4月に気動車の増備がされることとなり[5]Piaggio[注釈 10]により製造された機体がM1C 80形および本項で記述するM2DE 50形であり、M1C 81号車からM1C 90号車までの10両が導入されたM1C 80形はラック式の単端式気動車、M2DE 50形は長距離列車に単行で使用する[5]ための2軸ボギー式気動車となっている。これらの気動車はアメリカバッド[注釈 11]が開発したステンレス製車体を有する[6]ことが大きな特徴となっていた。 ステンレス車体は1934年にバッド社が製造技術を確立したもので、イタリアではPiaggioが気動車・電車・客車の生産をしており[7]、本形式とM1C 80形のほか、北ミラノ鉄道[注釈 12]E.750形イタリア語版電車が同じ1937年に、カザレッキオ-ヴィニョーラ鉄道[注釈 13]M1形およびR11形イタリア語版電車が1938年に、イタリア国鉄で全長21mクラスの荷物郵便客車であるDUiz93000-001、1等客車のAiz13000-001、2等客車のBiz23000–003が1939年に製造されている。

M2DE 50形はリットリナと同じく小型客車並みのサイズの軽量構造の車体と、主機と変速装置を搭載した動台車を組合わせた構造の小型の2軸ボギー式気動車となっている。一方で、リットリナが遠隔制御式の4段もしくは5段変速機を装備する機械式気動車であったのに対し、本形式はOM製の主機る[6]とTIBB[注釈 14]製の発電機や主電動機などの電装品を搭載した[5]、同じくTIBB製の1軸駆動の動台車を2基装備する[8]電気式気動車であり、1990年代まで遠隔制御式多段変速機を搭載した機械式気動車が主に導入されていたイタリアの気動車においては特色のある動力伝達方式となっている。また、車体正面は流線形で、バッドがシカゴ・バーリントン・アンド・クインシー鉄道[注釈 15]向けに製造したパイオニア・ゼファーやFiatが南サルデーニャ鉄道[注釈 16]むけに製造したALn200形などと類似のデザインとなっているが台形で大面積のラジエーターグリルが特徴となっている。

なお、形式名の"M"は動力車両、"2"は動軸数、"DE"は駆動方式のディーゼル・エレクトリックを表すもので、続く51-60の数字が機番を表している。各機体の形式機番と製造年、製造所は以下の通りである。

M2DE 50経歴一覧
形式機番製造所製造年廃車年
M2DE 50 51-60Piaggio/TIBB1937年1970年代

仕様

運行・廃車

  • 1937年に竣工した10両は各機1500 - 2000 km程度の試運転を行い、性能要件を満たしていることを確認しており、平坦線での最高速度は80 km/hであり[12]、その後M2DE 53 - 58号機の6両がバーリ-モンタルバーノ・イオーニコ線のバーリに、M2DE 51 - 52および59 - 60号機の4両がコゼンツァ-カタンザーロ・リド線のカタンツァーロに配置されて営業での使用が開始された。1937年4月21日から同年11月末までの約7ヶ月間での各機の走行実績は最少28300 km(M2DE 56号機)、 最多55600 km(M2DE 59号機)、平均43030 kmであった[12]
  • バーリに配置された機体はバーリ-モンタルバーノ・イオーニコ線やアルタムーラ-アヴィリアーノ-ポテンツァ線などで運行されていた。バーリ-モンタルバーノ・イオーニコ線は、イタリア南部プッリャ州の州都で、バーリ県の県都でもあるアドリア海沿岸のバーリにあるバーリ中央駅から、バーリ県第2の都市であるアルタムーラを経由して、バジリカータ州マテーラ県の県都で、世界遺産マテーラの洞窟住居で知られるマテーラにある標高408 mのマテーラ南駅に至る75.3 km路線であり、本形式が運行されていた当時はさらに南下して同県のフェッランディーナピスティッチを経由してモンタルバーノ・イオーニコに至る141.2 kmの路線であり、全線950 mm軌間であったが、フェッランディーナ - モンタルバーノ・イオーニコ間は1972年に、その後マテーラ南 - フェッランディーナ間が廃止されている[13]。バーリ中央ではイタリア国鉄のアドリア線[注釈 21]およびバーリ-マテーラ・フランカ-ターラント[注釈 22]に、アルタムーラではイタリア国鉄のロッケッタ・サンタントーニオ-ジョーイア・デル・コッレ[注釈 23]にそれぞれ接続し、フェッランディーナ - ピスティッチ間ではイタリア国鉄のバッティパーリア-ポテンツァ-メタポント線[注釈 24]に並行していた[13]
  • アルタムーラ-アヴィリアーノ-ポテンツァ線はバーリ-モンタルバーノ・イオーニコ線のアルタムーラから分岐してバジリカータ州ポテンツァ県アヴィリアーノのアヴィリアーノ・ルカニア駅を経由してバジリカータ州の州都でポテンツァ県の県都でもあるポテンツァのポテンツァ中央駅に至る118.3 kmと、アヴィリアーノ・ルカニア駅からアヴィリアーノ・チッタ駅に至る7.7 kmの支線からなる路線であり、全線950 mm軌間であった。アヴィリアーノ・ルカニア駅 -ポテンツァ中央駅間ではイタリア国鉄のフォッジャ-ポテンツァ線[注釈 25]と並行し、 ポテンツァ中央駅ではバッティパーリア-ポテンツァ-メタポント線と接続している[14]
  • カタンツァーロに配置された機体が運行されていたコゼンツァ-カタンザーロ・リド線はイタリア南部カラブリア州コゼンツァ県の県都である標高202mのコゼンツァから、途中標高866mのビアンキカタンザーロ県で標高201mのカタンザーロ・チッタを経由して、カタンザーロの分離集落であるイオニア海沿岸のカタンザーロ・リドに至る950mm軌間、全長109.8kmの路線であった[15]。コゼンツァではイタリア国鉄のコゼンツァ-シーバリ線[注釈 26]とパオラ-コゼンツァ線[注釈 27]に接続し、標高423mのペダーチェからはカラブロ-ルカネ鉄道のコゼンツァ-サン・ジョヴァンニ・イン・フィオーレ[注釈 28]が分岐しており、カタンザーロ・リドではイタリア国鉄のイオニア線[注釈 29]およびラメーツィア・テルメ-カタンザーロ線[注釈 30]と接続している[15]。なお、本形式が運行されていた当時はラメーツィア・テルメ-カタンザーロ線がカタンザーロ・サラ(当時の駅名はカタンザーロ) - カタンザーロ・リド間で本路線と並行していた[注釈 31]ほか、カタンザーロ・チッタおよびカタンザーロ・サラではカタンザーロ市内線に接続[注釈 32]していた[16]。同線の粘着区間の最急勾配は35パーミルであったが、尾根上に広がっていたカタンザーロ旧市街地内のカタンザーロ・プラティカ - カタンザーロ・サラ間のうち2.05kmが最急勾配100パーミルのラック区間となっており[17]。、ラック式のM1C 80形および500形蒸気機関車が主にカタンザーロ・チッタ - カタンザーロ・リド間で運行されており、本形式はラック区間では運行されていない。
  • 第二次世界大戦中の1943年にはマテーラの駅でドイツ軍の攻撃により損傷したM2DE 58号車が廃車となっている。
  • 1961年12月23日に発生したフィウマレッラ鉄道事故を契機に地中海-カラブロ-ルカネ鉄道の各路線の運行は、1964年1月1日からカラブロ-ルカネ鉄道が担当することとなり、本形式も同鉄道の所有となっている。なお、本形式運用終了後の1990年には同社は二分され、コゼンツァ-カタンザーロ・リド線を中心とするカラブリア鉄道[注釈 33]およびアップロ・ルカーネ鉄道[注釈 34]となって現在に至っている[18]
  • 本形式はコゼンツァ周辺では1970年代半ばまで運行されており[7]、バーリ-モンタルバーノ・イオーニコ線では1973年にM2DE 53号機とM2DE 56号機が解体され、最終の運行は1974年のマテーラ南 - フェッランディーナ間での運行であった。また、M2DE 59号機はコゼンツァ駅に留置されていたが1999年に解体されている。
  • 1994年ポンテデーラのピアッジオ社本社に隣接して開設されたピアッジオ博物館[注釈 35]にM2DE 54号車が静態保存されている[7]。また、1983年3月にはローマ近郊の公園であるSelva di Palianoの観光鉄道で運行する予定でM2DE 55号車およびM2DE 57号車が譲渡されたが、その後観光鉄道の運行が停止されたためそのまま放置され、現在では1両が公園施設として使用されている。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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