リットリナ (鉄道車両)

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イタリア国鉄のFiat製リットリナであるALn556.1202号車、当時のFiat製自動車と同デザインのラジエーターが設置されている、ピエトラルサ国立鉄道博物館、2008年
イタリア国鉄のBreda製リットリナであるALn556.2312号車、Breda製軽量気動車の標準的な形態を持つ、ピエトラルサ国立鉄道博物館、2012年

リットリナイタリア語: Littorina)は、 1930年代イタリアで製造され、イタリア国鉄(Ferrovie dello Stato Italiane(FS))などで使用されていた軽量気動車の総称である。

リットリナ以前のイタリア気動車

  • イタリアにおける気動車の実用化は、1906年自動車メーカーであったFiat[注釈 1]ミラノ万博ガソリンエンジンを搭載した車両を走行させたことにはじまっており、その後1920年代に開発・導入が本格化して1924年には北ミラノ鉄道[注釈 2]向けに機械・鉄道車両メーカーであったBreda[注釈 3]機械式のM-1気動車が製造された後、いくつかのメーカーによって同様に小型の客車にガソリンエンジンと機械式の変速装置を搭載した気動車や蒸気動車が試作され、一方で同年代には自動車をそのまま軌道に載せたレールバス的な形態の小型の気動車も、OM[注釈 4]が北ミラノ鉄道向けに製造したMd.500形などいくつかのメーカーで製造されている。
  • その中で、Fiatも1917年に鉄道車両部門を設立して本格的に鉄道車両の製造に参入している。1924年にはプロジェクト名TA180と呼ばれる電気式気動車とTA150と呼ばれる機械式気動車を試作しており、TA180の標準軌間の車両はNe.8としてイタリア国鉄で運行された一方で、1931年には自動車に近い単端式で定格出力55kWの主機と自動車用変速機を搭載したALb25を製造し、こちらもイタリア国鉄で運行されたが、いずれの方式も本格的に量産されるには至らなかった。
  • なお、ALb25のような2軸の単端式気動車はその後イタリアの輸送力の少ない私鉄用としていくつかの機種が量産されておりCarminati & Toselli[注釈 5]やOMといったメーカによって地方私鉄向けにエミーネ[注釈 6]と呼ばれる単端式気動車が北ミラノ鉄道、地中海-カラブロ-ルカネ鉄道[注釈 7]の各線やサルデーニャ鉄道[注釈 8]向けに製造されていた。なかでもPiaggio[注釈 9]では、アメリカバッド[注釈 10]のライセンスに基づくステンレス製車体を有する、単端式のM1C 80形と2軸ボギー・電気式気動車であるM2DE 50形が製造されている。

Fiatにおける製造

  • Fiatではそれまでの気動車とは異なる、小型客車並みのサイズの軽量構造の車体に大型自動車の技術を用いた走行装置を組合わせた新しい設計の軽量気動車が開発され、1932年にAU4.Aと呼ばれる最初の機体が製造された。この気動車は全長約15mの流線形の車体と、88kWのガソリンエンジンと空気制御の4段変速機を搭載した動台車を組合わせたものであった。その後イタリア国鉄にALb48.101-103号車[注釈 11]として3両が納入され、最初の運行区間にちなんでリットリナ[注釈 12]と呼称されるようになり、引続いてFiat型番004AのALb48、004BのALb64と、Fiat型番004Cで前後の台車に主機を装荷して2機関搭載車としたALb80が導入されて各地で本格的な運行が開始されるている。
  • その後イタリア国鉄ではリットリナを量産することとなり、ガソリンエンジンを搭載した50両のALg56.100と並行してディーゼルエンジンを搭載した100両のALn56.1000が生産されたほか、イタリアの私鉄や当時のイタリアの植民地の鉄道などにも広く導入されるようになっている。また、普通列車だけでなく高速都市間列車にも使用されており、1等室/2等室[注釈 13]と、厨房・配膳室、荷物室を装備するALn40V型12気筒のFiat製V1612を搭載を2基搭載して3車体連接、全長60550mmとしたATR100といった車両が導入されている。
  • しかし、ALn56.1000などでは重連時には連結した各車に運転士が乗る協調運転で運行されており、輸送力の増強と運行の効率化が望まれていた。そこで、イタリア国鉄では欧州で実用化されつつあった重連総括制御により2両編成で運行できる機材を導入することとなり、1936年には電磁空気もしくは電磁油圧制御による重連総括制御が可能なALn556.1200およびその出力増強型であるALn556.1300、派生型のALDUn220の計200両が1936-39年に生産されている。また、これらの機体は先頭部のデザインが大きく変更されて上下方向に後退角を持った丸みを帯びた形状となり、同じFiat製の508、518、500(トポリーノ)といった同年代の自動車と共通デザインの型の形状をしたラジエーターグリルを採用している。
  • 1940年からは主機を台車搭載から車体搭載とし、DF1.15液体変速機を搭載する液体式気動車であるALn772.1000が生産されている。

その他のメーカー

Bredaにおける製造

  • Bredaは1933年にFiatとは異なる独自設計の軽量気動車の試作車をイタリア国鉄向けに製造している。この機体は製造当初はFS AUTO 72.01-03号車、後にALb72.201-203号車と呼ばれたもので、台車に主機や変速装置を搭載する方式はFiat製の機体と同様であるが、変速機に常時噛合式のものを使用しているほか、車体は鉄道車両用の軽量車体をベースに、Fiat製の機体と同様の車体断面の縮小や、短編成での使用を前提とした連結器や台枠の強度設計とすることによって軽量化を図ったものとなっている。1935年にはこれをディーゼル機関に換装してALn72.2001-2003としているほか、荷物気動車のALDb.200が3両導入されていた。
  • これらの実績を基に、イタリア国鉄ではBreda製の機体も量産することとなり、1935年からディーゼルエンジンを搭載したALn56.2000が90両と、ガソリンエンジンを搭載したALb56.200が10両生産され、その後、BredaにおいてもFiat製のALn556.1200/1300と同様に重連総括制御が可能な機体が開発され、1938-40年ALn556.2200が140両導入されている。

OMにおける製造

  • 1930年代にリットリナより小型の単端式気動車などをイタリアの私鉄向けに製造していたOMでは、1938年に液体式気動車の試作機であるALn72.3000を3両をイタリア国鉄向けに製造しており、その量産型であるALn772.3200を1940年から製造している。これらの機体はスイストラックメーカーであるSaurer[注釈 15](サウラーまたはザウラー)製の主機とスウェーデンのユングストローム[注釈 16]製のものをライセンス生産したリスホルム・スミス式液体変速機であるDF1.15を搭載している。なお、OMは企業規模が小さく、イタリア国鉄への鉄道車両の納入実績も乏しかったため、ALn772の量産に当たってはFiatと生産を分担することとなり、Fiat製の機体がALn772.1000、OM製の機体がALn772.3200となっている。
  • また、同社ではALn72.3000と類似の軽量車体を持つ蒸気動車であるALv72を1938年にイタリア国鉄向けに3両製造している。本機は96気圧の小型高圧ボイラーと運転台から遠隔制御する蒸気エンジン2基を搭載して定格出力166kW、最高速度120km/hの性能を発揮するものであった。

Ansaldoにおける製造

  • 1939年にはAnsaldo[注釈 17]ALn56.4000をイタリア国鉄向けに製造している。この機体は比較的大型の車体断面を持つ流線形のものとなっており、Breda製の機体と同じく、常時噛合式の変速機を装備する機械式気動車となっている。
  • また、同社ではALn56.4000と類似の軽量車体を持つ木炭ガス動車であるALg56を1940年にイタリア国鉄向けに3両製造している。本機は木炭ガス発生装置、Ansaldo製のQ122/8V改ガスエンジン2基と機械式4段変速機を搭載し、定格出力176kW、最高速度120km/hの性能を発揮するものであった。

イタリア国外への輸出

イタリアの旧植民地の鉄道

ユーゴスラビア

その他の諸国

  • 1935年には ソビエト連邦(現在のロシア)にFiat製のALb80と類似の機体2両が輸出されている。これはALb80を使用してトリノからモスクワサンクトペテルブルクソチへまでを走ったデモ走行の結果を受けてのものである。
  • 1937年にはブラジルのブラジル中央鉄道にFiat製で2車体連接式の1形1-5号機として5編成が導入され、リオデジャネイロ - サンパウロ間やリオデジャネイロ - ベロオリゾンテ間などの軌間が1,600 mmの路線で運行された。リトリーナ(Litorina)として知られる。
  • 1941年にはブルガリア国鉄にイタリア国鉄のALn40とほぼ同一の機体が7両輸出され、04-00形として運行されている。この機体はイタリア国鉄のALn40の一部が輸送力見直しのためFiatに返却されていたものをブルガリア国鉄仕様としたものである。
  • 1949年ポーランド国鉄へALn772.3200と同一の機体3両がOMで製造され、SD80形として運行されている。これは当時イタリア国内で不足していた良質な石炭を輸入する際のの対価として輸出されたものである。
  • スペインでは同国のCAF[注釈 23]ライセンス生産されており、1941年に北スペイン鉄道[注釈 24]に6両、マドリッド-サラゴサ-アリカンテ鉄道[注釈 25]が発注し、同鉄道がスペイン国鉄に統合されたために1947年に直接スペイン国鉄に納入された機体が6両、それぞれ導入されている。これらの機体は車体幅が2950mmと広くなっていることが特徴であり、後にスペイン国鉄の9215-9226号車となっている。

その他の機体

  • 前述のとおり各国がその支配地域で運行していた1940年代前半のユーゴスラビアにおいて、パルチザンからイタリア陸軍が支配地域の鉄道を防御するためにリットリナをベースとした装甲列車である8機のM42と8機のM43が1942-44年に生産され、装甲車をベースとしたAB40、AB41、OM42といった装甲列車とともに配備されている。また、これらは後に北イタリアにも配備されているほか、1944年にはドイツ軍にも4機程度が供給され、062の30-34号機となっている。リブリイタリア語版[注釈 28]と通称されるこの装甲列車はAnsaldoで製造されたもので、同社製の車体にFiat製のALn56.1000と同じ主機、台車、制御系とM13/40中戦車と同じDa 47/32を装備する砲塔2基などの兵装や無線通信機等を搭載している。
  • 同様にイタリア陸軍が使用するために1941-42年にFiatで、1942年にOMでリットリナの主機、台車、制御系を使用したディーゼル機関車がそれぞれ製造されている。これらは北アフリカ戦線で使用する予定で、製造期間の短縮や費用の低減のために既存のリットリナをベースとしたものであり、Fiat製のものはALn556.1347、1348、1354、1358号車の装備を流用したとされる[1]、12面体の木鉄合造の車体を載せた機体、OM製のものはALn772.3200をベースに凸形の車体を乗せた機体となっており、いずれも車軸配置は(1A)'(A1)'のままであるが、牽引力を増強するために歯車比を変更している。いずれの機体も北アフリカには渡らずイタリア国内に残存して戦後イタリア国鉄の保有となり、前者は356の001-004号機に、後者はLn372の001-004号機となっており、こちらはリビア東部の都市に因んだトブルク[注釈 29]の名称で呼称されている。
  • 1937年にはイタリア北部ピエモンテ州のトリノ-リーヴォリ軌道[注釈 30]にFiat製リットリナの車体を使用した電車であるTTR74形2両が導入されている。Fiat型番022でリットリーネ[注釈 31]と呼称されていたこの機体は、イタリア国鉄のALb80に類似ながら正面のラジエターがなく、屋根上にトロリーポールを装備した車体を持ち、定格出力40kWの主電動機4基をはじめとするSNOS[注釈 32]製の電機品を搭載していた。

リットリナの名称について

  • リットリナの名称はイタリア中部ラツィオ州の都市であるラティーナの第二次世界大戦終了までの名称であるリットリアに由来している[2]。1932年に、ベニート・ムッソリーニやFiatの創業者の一人で、当時会長であったジョヴァンニ・アニェッリ[注釈 34]らが乗車した、後にALb48となる同社製の新しい気動車による列車がローマからリットリアまで運行された際に、ジャーナリストによりつけられたものである[3]
  • リットリナは明確に定義されたものではないため、その範囲の解釈、使用法はさまざまであり、概略以下のように分類される
    • 狭義のリットリナ:ALb48から始まるFiat製の一連の軽量気動車をリットリナとするもの。同社はリットリナの名称をブランド名として使用しており、整備マニュアル、パーツカタログ等にも”Littorina"の名称を記載している[3]
    • 一般的なリットリナ:1930年代から第二次世界大戦前までの期間のイタリア製の軽量気動車をリットリナとするもの。上記のFiat製の機体のほか、Breda、OM、Ansaldo製の機体や、蒸気動車であるALv72、木炭ガス気動車のALg56や液体式気動車であるALn772も含まれる[4]
    • 広義のリットリナ:上記の機体のほか、ALn880ALn990ALn668などの戦後製のイタリア製気動車や各地の私鉄の中型・小型2軸ボギー気動車も含めてリットリナとする[5]もの。
  • イタリア国鉄における形式名のアルファベット部分の1文字目の"A"は動力車両、2文字目の"L"は軽量を表し、荷物室付の場合は”D"、郵便室付の場合は”U"が付加され、その後に続く"n"は軽油、"b"はガソリン、"g"は木炭ガスの各燃料を表している。アルファベットに続く数字の10位と1位は座席数を、100位の数字がある場合は総括制御が可能であることを表しており、10位と同じ数字が繰返されている。また、機番は3桁もしくは4桁で、最初の数字は、"1"がFiat製、"2"はBreda製、"3"はOM製、"4"はAnsard製を表し、それに続く数字が番台区分と製造順を表している。この形式付与方式では燃料種別と座席数が同一であれば同一形式となるため、例えばALn556でFiat製のALn556とBreda製のALn556機体を区別したり、Fiat製のALn556の1200番台と1300番台を区分して呼称する際にはそれぞれALn556.1200、ALn556.1300、ALn556.2200もしくはALn556.12、ALn556.13、ALn556.22と呼称されている。

仕様

リットリナ一覧

運行

運行・廃車

リットリナは1940年には約800両が運用され、前記各国の各地でさまざまな列車として使用されており、通常は1-2両での運行であったが最大4両程度までの列車もあったほか、1両程度の小型客車もしくは貨車を牽引することもあった。 そのうちいくつかの事例は以下の通り。

  • イタリア北部ピエモンテ州セストリエーレスキーリゾートは、Fiat創業者のジョヴァンニ・アニェッリが開発を進めたものであり、同社の働きかけによって1935年からトリノや、コート・ダジュール方面へ接続するフランス国境近くのヴェンティミーリアから、セストリエーレ最寄のウルクスまで同社製のリットリナによる列車が運行がされている。列車は主にALb80で運行されており、赤色をベースに"Littorina Fiat"および”RIVIERA - Sestrières”のレタリングを入れた機体も使用されていた。
  • 優等列車用のALn40は、主要路線の電化が進んでいなかった1930年代において、ETR200電車で運行されていた電化区間の都市間高速列車[注釈 35]に接続する形で非電化区間での都市間高速列車に使用されていた。運行の一例は以下のとおりでローマ発は6:55と16:55、トリノ発は7:25と17:25となっており、電車、気動車を通算した全区間の表定速度は96.5km/hであった。
  • 第二次世界大戦中はほとんどのリットリナは燃料不足のために運行を外れ、終戦時には戦災や整備不良、エンジンなど機器の兵器への転用などにより約800両のうち約120両のみが稼働状態にあり、戦前のレベルまで戻ったのは1950年頃であった。
  • 戦後の復興期においてはALn40がミラノ - ローマ間で使用されたほか、戦後にマーシャル・プランによりOMで製造されたALn772.3200も各地の優等列車で使用されている。また、戦前には本格的な運用には使用されていなかった3車体連接、高速列車用のATR100は1948年からトリノ、ミラノボローニャ、ジェノバの各都市間を中心に運行を開始しており、1950年代後半にはETR300電車などと同じ濃淡の緑色塗装に変更されている。また、ALn772.3200の1両をドームカーであるALtn444.3001号車に改造して、戦後復興期の観光列車として1949-58年に運行している。これは車体中央部を高床式の展望ドームとし、その前後をサロン室としたほか、バーカウンターを設置していたものであった。
  • イタリア南部カラブリア州コゼンツァ県のパオラ-コゼンツァ線[注釈 36]はイタリア国鉄の1435mm軌間の路線としては2番目のラック式路線であり、途中3区間、計11.6kmに渡り最急勾配75パーミルのシュトループ式ラック区間となっていたが、同線では旅客列車用としてFiat製のALn56.1900が運行されていた。同形式はブレーキ用としてのみラック区間用ピニオンを有しており、力行時は粘着動輪のみで走行する方式であった。
  • その後イタリア国鉄ではALn668などの新しい気動車の増備に伴い、リットリナは一部は主機を降ろしてそれらの気動車が牽引する付随車や荷物・郵便車に改造されたほか、1970年代より本格的な廃車が始まり、1980年代までには機械式の機体のほとんどが、1990年代には液体式のALn72も廃車となっている。なお、廃車後はFiat製の機体より耐久性に優れ、機関換装および冷却系の増強改造を実施していたブレダ製のALn56.2000やALn556.2200を中心にさまざまな私鉄に譲渡されている。1979年1月時点でのイタリア国鉄におけるリットリナ各形式の配置は以下の通り。
    • ALn56.1900:9両(パオラ機関区)
    • ALn56.2000:9両
    • ALn556.1200:2両(ピサ機関区)
    • ALn556.1300:4両(フォッジア機関区、タラント機関区)
    • ALn556.2200:91両
    • ALn772.1000:83両
    • ALn772.3200:190両
    • LDn32:9両(ヴェローナ機関区、トレヴィーゾ機関区、シエナ機関区、ALb56.100を3等・荷物付随車に改造したもの)
    • Ln64:5両(トレヴィーゾ機関区、フォッジア機関区、ALb56.100を3等付随車に改造したもの)
    • ALDn32:2両(ファブリアーノ機関区、ALn56.2000を3等・荷物合造車に改造したもの)
    • Ln55:4両(トレヴィーゾ機関区、ピサ機関区、ALb48を付随車に改造したもの)
  • なお、イタリアではリットリナの後、主にOMで製造された一部の液体式気動車は1960年代までに導入が取止められ、1980年代後半に至るまで5段変速の変速機付の機械式気動車が主力として製造されている。

動態保存

  • シチリア島エトナ火山の周囲を回るエトナ環状鉄道では、所有していたFiat製リットリナのALn56形6両のうち、ALn56.01号車とALn56.06号車の2両が残されており、このうちALn56.06号車が観光用に動態保存されている。この機体は製造当初の塗装である、車体下半部を赤、上半部を白としたものに復元されている。
  • エリトリア鉄道は戦禍により1975年頃に運行を停止しているが、その後1993年のエリトリア独立後、国威発揚と観光客誘致のため鉄道が復旧され、1997-2003年マッサワ - アスマラ間117.6kmが再開通してツアー客によるチャーター列車の運行を中心とした観光鉄道として運行されている。R440形R442形蒸気機関車が計7機とディーゼル機関車1機、客車、貨車とともにリットリナのA60系も残存している2機が運行されている。車体表記では2号機および7号機となっていたこの2機はいずれも車内は大幅に改造されているほか、運転台もいくつかの操作機器や計器類が欠損し、1機は片側の主機を撤去した状態で運行されている。
  • イタリア北部の私鉄であるトリノ北鉄道[注釈 37]では、イタリア国鉄から1943年にALn40.1002、1003、1004、1008、1025号車の5両を譲受し、うち4両は1970年代まで使用されていた。このうちのALn40.004号車が同鉄道の後身のトリノ交通グループ[注釈 38]リヴァローロ・カナヴェーゼ機関区の所属でポント=カナヴェーゼ駅をベースに動態保存車として運行されている。なお、同車の室内は厨房が撤去され、座席も一部交換されるなど、譲渡された際に改造を受けているが、Fiat製のイタリア国鉄のリットリナとしては唯一の動態保存車である。
  • トリエステのトリエステ・カンポマルツィオ鉄道博物館[注釈 39]に静態保存されていたALn556.2331号車はイタリア国鉄財団[注釈 40]の所有となって復元工事が実施され、ピストイア機関区で、同じく同財団の所有するALn772.3265号車とともに動態保存されている。

脚注

参考文献

関連項目

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