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姜尚中

日本の政治学者 (1950-) From Wikipedia, the free encyclopedia

姜 尚中(カン サンジュン、朝鮮語:강 상중、英語:Kang Sang-jung[注 1], 1950年〈昭和25年〉8月12日 - )は、在日韓国人の政治学者、思想家、エッセイスト[1]。東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。長崎県の学校法人鎮西学院学院長・理事。鎮西学院大学の初代学長。 専門は政治学・政治思想史。特にアジア地域主義論・日本の帝国主義を対象としたポストコロニアル理論研究。所属事務所は三桂[2]。

全名 姜 尚中
(강 상중)
別名 永野 鉄男
(ながの てつお)
生誕 (1950-08-12) 1950年8月12日(76歳)
日本の旗 日本・熊本県熊本市
国籍 大韓民国の旗 韓国
概要 人物情報, 全名 ...
姜 尚中
(カン サンジュン)
鎮西学院大学学長として(2021年)
人物情報
全名 姜 尚中
(강 상중)
別名 永野 鉄男
(ながの てつお)
生誕 (1950-08-12) 1950年8月12日(76歳)
日本の旗 日本・熊本県熊本市
国籍 大韓民国の旗 韓国
学問
時代 20世紀 - 21世紀
活動地域 日本の旗 日本
研究分野 政治学
政治思想
ナショナリズム
主要な作品 『在日』(2004年)
『姜尚中の政治学入門』(2006年)
『愛国の作法』(2006年)
『悩む力』(2008年)
『母 オモニ』(2010年)
など他多数。
影響を受けた人物 藤原保信
夏目漱石など
主な受賞歴 青丘文化賞(1995年)
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熊本県熊本市出身。 在日韓国人二世。通名は永野 鉄男(ながの てつお)。姜尚中の日本式の音読みは「キョウ ショウチュウ」。 メディアで論客として活躍。日本の偏狭なナショナリズムを否定し、韓国・朝鮮に対する歴史的な偏見を指摘する。著書に『愛国の作法』(2006年)、『悩む力』(2008年)、『悪の力』(2015年)など。

来歴

熊本県熊本市春日町で在日韓国人二世として生まれる。父は1916年(大正5年)に当時日本統治時代の朝鮮南部、慶尚南道昌原郡南山里(現・昌原市義昌区)の小作人の長男として生まれ、1931年(昭和6年)に仕事を求めて自らの意思で日本本土へ渡った。母も1923年(大正12年)に日本統治時代の朝鮮で生まれ、1941年(昭和16年)に釜山近くの鎮海(現・昌原市鎮海区)から許嫁の父を訪ねるべく関釜連絡船で渡日した[3]。母親は母国語を含め文盲だった[4]。両親は親戚を頼って各地を転々としたのち、日本の大学で法学を学び憲兵となった父方叔父が暮らす熊本に落ち着いた[5]。叔父は日本の敗戦後帰国して軍人となり、その後ソウルで法律事務所を開いて成功した[6]。両親は熊本市内の朝鮮部落で養豚や闇酒造りなどに従事したのち、1956年頃に土地を買って転居し、廃品回収業「永野商店」を開いた[7]。

熊本県立済々黌高等学校卒業。高校時代は野球部に所属、また吃音を発症する[8]。当初、日本名「永野鉄男(ながのてつお)」を名乗っていたが、早稲田大学在学中に韓国文化研究会に参加し、1972年(昭和47年)の訪韓以来、韓国名を使用する。2011年(平成23年)に開催された句会の席上、姜は自らの生い立ちについて「生まれは熊本で本名は永野鉄男です。でも今から三十八年前、二十二歳のときに、思うところがあって姜尚中を名乗りました」[9] と語っている。1974年(昭和49年)同大学政治経済学部卒業後、1979年(昭和54年)同大学院政治学研究科博士課程修了。指導教官藤原保信の助言により西ドイツ・エアランゲン大学文学部研究生として留学(1979年(昭和54年) - 1981年(昭和56年))。帰国後、ソウル大学に留学経験を持つ日本女性と結婚して埼玉県上尾市に暮らし、一男一女を得る[10]。明治学院大学講師などで一家を支える。1985年に埼玉県における指紋押捺拒否表明第一号となり(翌年押捺)、その後、支援者であった地元牧師の尽力で国際基督教大学助教授(のち准教授)の職を得る[11]。

1991年(平成3年)1月、テレビ朝日の「朝まで生テレビ! 異議あり!湾岸戦争ソ連そして日本」に出演し、マスメディアへの露出が始まる[12]。1995年(平成7年)、青丘文化奨励賞受賞。1998年(平成10年)東京大学社会情報研究所助教授、2004年(平成16年)東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授(所属:社会情報研究所 情報行動部門)就任。

2006年(平成18年)自殺対策基本法制定を求める署名活動の賛同者代表を務める[13]。

2008年(平成20年)に開設したインターナショナル・スクール、コリア国際学園の理事長に就任する予定だったが、東大の兼業規程に違反するとの指摘があり辞退。2010年(平成20年)東京大学大学院情報学環教授 兼 現代韓国研究センター長就任。2013年(平成25年)3月末、東京大学の定年を3年残し退職。同年4月より次期学長含みで聖学院大学に移籍して[14]、全学教授に就任、同年7月22日の理事会で正式に第6代学長に選出された(任期5年)[15]。同年1月には、長男の自死をきっかけに執筆した小説『心』を刊行し、同5月、NHK総合テレビ(首都圏局)の「我が息子へ~姜尚中“死”と向き合った4年~」に出演[16]。同年6月に東京大学より名誉教授の称号を得る。2014年(平成26年)4月より聖学院大学長兼総合研究所長 兼政治経済学科教授に就任。しかし任期途中の2015年3月31日付けで聖学院大学学長を辞任した[17]。辞任理由については「諸般の事情」としている[18]。

近年は『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日)をはじめ、多くの討論番組やトーク番組に頻繁に出演。2016年(平成28年)1月熊本県立劇場館長兼理事長[19]、2018年(平成30年)4月学校法人鎮西学院学院長・理事に就任。 2021年(令和3年)4月から学校法人鎮西学院鎮西学院大学の初代学長に就任。

学歴

思想・主張

在日韓国人という立場を、エドワード・サイード[20]の言う「周辺者」あるいは「亡命者」とみなし、日本と韓国という二つの祖国を持つ独自の存在とし、日本社会が歴史的に捉えてきた朝鮮史観、およびそこにあるいわゆる「偏見」に対して批判を加えている。ここでは、日本の戦前の朝鮮史観の始まりは、山縣有朋の「主権線・利益線」にまで遡ると主張。日本の近代化としての理想像が西欧社会であるならば、その反転としての未開地域、停滞地域として朝鮮半島・東北アジアが「発見」されたと主張している。また、戦後の日本の対朝鮮史観については、丸山眞男のいう「悔恨の共同体」を経て、経済復興、高度経済成長を背景に「日本特殊論」などが登場してくる中で、西欧との同一化と差異化のプロセスとして、再び戦前と同様の対朝鮮・東北アジア史観が「再発見」されたと主張している。

ナショナリズム批判についての著作も多い。ただし、現在の世界システムを自由主義経済による支配システムとして考えた場合、その中枢にいる一握りの経済大国と周辺に追いやられた諸国との経済格差はますます大きくなっている[21]とし、有無を言わさず周辺化される力学に反抗する手段としての、いわばイマニュエル・ウォーラーステインのいう「反システム運動」として発現するナショナリズムに対しては一定の理解を示している。また、サミュエル・P・ハンティントンが主張した「文明の衝突」に対しても、世界システムにおける中枢国と周辺国の格差を無視したオリエンタリズム的観点であると批判している。

「マガジン9」発起人を務めている[22]。

政治活動

2016年夏季オリンピックの立候補都市を巡る誘致では、韓国・釜山の共同開催を期待して福岡市の応援活動を行った[23]。

政治評論

日韓・日朝関係

  • 日韓両国が新しい時代に対応するために東アジア共同体を構成する必要があると考えている。東アジア共同体の中心はソウルに置くべきだと主張している[24]。
  • 日米関係ではなく日韓関係を外交の基軸とするべきだと主張している[25]。
  • 現在、日本は韓国に追い抜かれるかもしれないという危機感が高まっていると主張し、この現象を「キム・ヨナ症候群」と呼んでいる[26]。
  • 2012年(平成24年)8月にソウルで開かれた金大中逝去3周忌祈念式典の講演会で、任期末の李明博の竹島訪問と天皇に対する謝罪要求に対する日本の反発について、「特に日王に対する発言が最も大きかった。独島問題だけでは事態はこれほど大きくならなかっただろう」、「李大統領の独島訪問と日王に対する謝罪要求は、韓国に友好的だった日本国内の左派勢力の反発まで招いている」と語っている[27]。なお、「日王」の呼称は、韓国内における小中華思想の観点から、歴代中華王朝に対する日本の自立性を認めずに、韓国と同様に歴代中華王朝の属国であったとする観点から使用されるものであり、「天皇」が持つ漢語の意味を意図的に格下げさせる呼称である[28]。

竹島問題

  • 2010年(平成22年)1月2日、韓国『MBC』の取材を受けて、竹島問題に関して「独島は韓国が実効支配してるじゃないか。だから日本は戦争をしない限り、独島を実効支配することは不可能です。日本が竹島だと主張しても、放っておいてかまいません。私達が我々の領土を実効支配しているからね」と述べている[24]。
  • 2010年(平成22年)3月10日、韓国『中央日報』の取材を受けて、「日本から独島問題をめぐる妄言が出てきても、韓国は実効的支配をしているため感情的に対応する必要はない」と述べている[29]。

北朝鮮による日本人拉致問題

  • 2006年(平成18年)11月25日の世界海外韓人貿易協会での講演にて、「北朝鮮核問題や拉致問題を取り上げて北朝鮮を批判する日本の世論を変えねばならない。在日同胞たちが過去に日本に連れて来られたことに対しては何も言わず、冷戦時代の拉致ばかり話すというのは矛盾したことだ。私は横に横田夫妻(横田滋、横田早紀江)がいても、これを言うことができる」と、日本社会の対北朝鮮世論を批判した[30]。
  • 2007年(平成19年)10月1日、ソウル大学での統一政策フォーラムにて、北朝鮮による日本人拉致問題に関して、「日本が拉致問題を理由に北朝鮮を支援しない態度でいれば、国際社会から孤立してしまうので経済支援をするべきである」と主張した[31]。

朝鮮半島の永世中立化構想

  • 2017年北朝鮮危機以降の軍事衝突の危機を受けて、朝鮮半島の永世中立を主張しており、朝鮮半島が永世中立化すると、中国の勢力圏に南北朝鮮が併呑されるという指摘については、アジアで4番目の経済力かつG20の一国である韓国を過小評価すべきではないとし、「そうした見方の背景にあるのは、韓国は日米の支援なしには存続しえないという、戦前以来の事大主義的な他律性史観」(他律性史観とは、朝鮮の歴史は箕子朝鮮、衛氏朝鮮、漢四郡から始まる有史以来、常に中国によって他律的に動かされ、有史以来常に中国の属国であり続けたという歴史認識)と批判しており、朝鮮半島非核化宣言の趣旨を生かし、休戦協定の平和協定への転換、暫定的な在韓米軍の残留と将来の在韓米軍撤退、北朝鮮の完全な非核化と中立維持に必要なだけの常設的武装力の維持などの周辺大国に対する非同盟中立政策を堅持すれば、「日米中ロの周辺四大国がひしめき合う朝鮮半島の地政学的な条件を考えれば、永世中立化構想は、単なる画餅に終わる幻想ではない」「周辺大国に対する非同盟中立政策を堅持できれば、朝鮮半島は紛争から平和の回廊になりうる」と主張している[32]。

日本の嫌韓感情

日本の政治と政治家評

  • 2007年(平成19年)に、日本の政治家に関する発言としては、「田中真紀子さんに日本の首相になってほしい」[39] と発言している。また、吉田茂、岸信介、池田勇人、佐藤栄作、田中角栄を指して、日本のリーダーは米国におむつを履かされた存在に過ぎないが、金大中はおむつを履いた似非リーダーたちと戦った真のリーダーであり、日本人は金大中を見習いなさいと主張している[40]。

昭和天皇評

著書『在日』(講談社、2004年)において、昭和天皇の崩御のことを「昭和の野辺送り」と記述している[41]。

人物

50歳で運転免許を取得。

最近の趣味は登山・ドライブ・絵画。また、俳句の鑑賞も好んでおり、2011年(平成23年)には金子兜太が宗匠を務める句会にも参加している[9]。癌で亡くなった友人を悼む気持ちを布団の情景に重ねた句や、諧謔を凝らした句などを披露した[42]。

絵画趣味に関連して、2009年(平成21年)4月 - 2011年(平成23年)3月には『日曜美術館』(NHK教育テレビ)の司会を務めた。

2025年現在、学園長を勤める鎮西学院において、学校法人のホームページに第三者委員会による調査報告書が公開された。それによると理事会で暴言をはき、独善的な学校運営を強行していることや、出勤日数が100日未満であり、理事会から改善を求められているとの内容となっている。[43][44]

親族

韓国帰郷時に訪ねた叔父は日本の大学出身であり、その後は日本軍憲兵となり日本人と結婚して子供をもうけ、戦後に妻子を残して韓国に帰郷。良家の韓国人と結婚し弁護士として成功している[45]。叔母にあたる日本人と混血の従妹は行方不明であるとしている[45]。『続、悩む力』を執筆前、2011年頃に長男を亡くしている(26歳)[46]。

著書

著作の一部はデジタル化されており、国立国会図書館デジタルコレクションなどで公開されている。

単著

論説

共著

編著

共編著

共訳書

  • Z・A・ペルチンスキー 編『ヘーゲルの政治哲学 課題と展望』藤原保信ほか訳、御茶の水書房、1989年11月。ISBN 4-275-01361-1。 - 原タイトル:Hegel’s political philosophy.

監修

  • 稲葉茂勝 著、こどもくらぶ 編『韓国』姜尚中 監修、あすなろ書房〈さがし絵で発見!世界の国ぐに 第2巻〉、2011年10月。ISBN 978-4-7515-2672-9。
  • 稲葉茂勝 著、こどもくらぶ 編『中国』姜尚中 監修、あすなろ書房〈さがし絵で発見!世界の国ぐに 第3巻〉、2011年11月。ISBN 978-4-7515-2673-6。
  • 総監修 『アジア人物史』〈全12巻〉集英社、2022年。 NCID BC18657954。[47]

翻訳

音声資料

テレビ

教養番組

他多数

ドラマ
その他

ラジオ

映画

関連項目

脚注

外部リンク

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