ギオルギ・バグラティオン=ムフラネリ
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ギオルギ・アレクサンドレス・ゼ・バグラティオン=ムフラネリ(ジョージア語: გიორგი ალექსანდრეს ძე ბაგრატიონ-მუხრანელი、ジョージア語ラテン翻字: Giorgi Aleksandres dze Bagration-Mukhraneli、1884年7月16日 – 1957年9月29日)は、ロシア帝国下のジョージアの貴族。旧バグラティオニ王家の傍流であるムフラニ家の名目上の当主を務めた[1]。
生涯
生い立ち
ギオルギは1884年7月16日、ロシア帝国のサンクトペテルブルクにて生まれた。父はムフラニ家のアレクサンドレ公、母はマリア・ゴロヴァチョヴァであった[2]。若年期のギオルギは、サンクトペテルブルクにある貴族幼年学校で教育を受けた。
活動
ギオルギは1916年から1917年にかけて、ティフリス県のドゥシェティ郡において貴族集会の団長を務めた[2]。ロシア革命(1917年)後、ギオルギは独立を維持していたジョージア民主共和国を支持した。ロシア内戦中、ギオルギは1921年に白軍とともにボリシェヴィキと戦った[2]。
1921年のソビエト化以降、妻と子供たちは国外に亡命したが、ギオルギはジョージア国内に留まることを選んだ[3]。1930年にはソビエト当局により逮捕されたが、作家マクシム・ゴーリキーらの尽力により釈放された[4]。その後ヨーロッパに亡命して家族と合流し、1944年にスペインに定住した[1]。
死と追葬
1957年9月29日、スペインのマドリードにて73歳で死去した。遺骸は1995年に孫ホルヘ・デ・バグラチオンによりジョージアへ移送され、ムツヘタのスヴェティツホヴェリ大聖堂に埋葬された[1][4]。
結婚と子女
1908年7月、ギオルギはポーランド貴族の娘ヘレナ・ズウォトニツカ(1886年–1976年)と結婚した[3]。ヘレナの父はズウォトニツキ家の貴族であり、ヘレナの母はカルトリ=カヘティ王エレクレ2世[2]の遠縁であるクサニ皇女マリア・エリスタヴであった。またヘレナの父方の祖父はチェルニゴフ県副知事ドミトリー・アントノヴィチ・ズロトニツキーであった[5][6]。
ギオルギとヘレナの間には、以下の子供が生まれた[2]。
- イラクリ(1909年–1977年) - 2番目の妻マリアとの間に息子1人をもうけた。3番目の妻マリアとの間にも1男1女をもうけた。
- マリア(1911年–1992年) - 国外に亡命したが、学業修了後に故郷への郷愁からジョージアに戻り、1948年に逮捕され、マガダンで流刑8年を過ごした[4]。アレクサンドル・イワノヴィチ・スミルノフと結婚したが1932年に離婚。2番目の夫はパベル・プラトノヴィチ・ドメルシコフ、3番目の夫はソロモン・バグラトヴィチ・ヴィルサラゼ、4番目の夫はヴァシリ・コルガナシヴィリ。
- レオニーダ(1914年–2010年) - 最初の夫であるアメリカ人実業家サムナー・ムーア・カービーとの間に娘1人をもうけ、1937年に離婚[3]。2番目の夫ウラジーミル・ロマノフとの間に娘1人をもうけた。ウラジーミルはロシアの帝位請求者であり、ギオルギをジョージア王家(バグラティオニ王家)の当主とみなした[7]。
系譜
| イオアネ・ムフランバトニ | |||||||||||||||||||
| コンスタンティネ4世・ムフランバトニ | |||||||||||||||||||
| ケテヴァン・バトニシヴィリ | |||||||||||||||||||
| イラクリ・バグラティオン=ムフラネリ | |||||||||||||||||||
| ホレシャン・グラミシヴィリ | |||||||||||||||||||
| アレクサンドレ・バグラティオン=ムフラネリ | |||||||||||||||||||
| イヴァン・アルグチンスキー=ドルゴルーコフ | |||||||||||||||||||
| カタリナ・アルグティンスカヤ=ドルゴルーコヴァ | |||||||||||||||||||
| ニナ・トゥマニシヴィリ | |||||||||||||||||||
| ギオルギ・バグラティオン=ムフラネリ | |||||||||||||||||||
| アレクセイ・イヴァノヴィチ・ゴロバチョフ | |||||||||||||||||||
| ザカール・アレクセーヴィチ・ゴロバチョフ | |||||||||||||||||||
| ドミトリー・ザハロヴィチ・ゴロヴァチョフ | |||||||||||||||||||
| ヴァルヴァラ・アレクサンドロヴナ・イヴィナ | |||||||||||||||||||
| マリア・ゴロヴァチョヴァ | |||||||||||||||||||
| フリードリヒ・レオンハルト・フォン・ヘッセン | |||||||||||||||||||
| エゴール・フョードロヴィチ・ヘッセン | |||||||||||||||||||
| エリーザベト・シドニア・フォン・トール | |||||||||||||||||||
| レオニーダ・エゴロヴナ・ヘッセン | |||||||||||||||||||
| ラインホルト・シェルティンガ | |||||||||||||||||||
| エリザヴェータ・ラインゴリドヴナ・ファン・シェルティンガ | |||||||||||||||||||
| ヴィルヘルミーネ・ヘンリエッテ・フォン・ネッテルホルスト | |||||||||||||||||||
