グレゴワール・ムンスター
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Mスポーツ・フォード
ベルギー人の父とルクセンブルク人の母の間に生まれる。世界ラリー選手権には2019年シーズンのラリー・モンテカルロから参戦。
2020年の欧州ラリー選手権 (ERC) では、第3戦・第4戦を連続して優勝、シュコダ所属のオリバー・ソルベルグを逆転し、最終戦を残して1ポイント差でERC1ジュニア・カテゴリー首位に立った[2]が、最終戦はポイントを獲得できずドライバーズ・チャンピオンシップ 3位、ERC1ジュニア 2位となった[3][4]。
2022年のラリージャパンではヒョンデ・i20N ラリー2で総合7位 (WRC2では優勝) で完走を果たす[5]。
2023年はMスポーツへ移籍しWRC2にフォード・フィエスタ ラリー2で参戦。第7戦ケニアでは初出場ながら2日目途中までクラス首位を走行し移籍後初優勝が期待されたが、メカニカルとサスペンションのトラブルで無念のリタイアに終わる。ケニア以外の6戦では全く優勝争いに絡めず最高はアクロポリスの5位(WRC2チャレンジャーでは優勝)、WRC2ランキングは17位に終わる。第2戦スウェーデンと第7戦エストニアにはフォード・フィエスタ ラリー3でJWRCに出場。エストニアではクラス優勝を果たした。この年は並行してチリとセントラル・ヨーロッパではトップカテゴリーの3台目としてフォード・プーマ ラリー1をドライブした。固定ナンバーは「13」を選択した。チリではラリー1初ドライブながらポイント圏内の7位をキープしていたが、2日目最後のステージでパンクによりダメージを負い大幅タイムロス、ステージは完走したものの最終結果は13位に終わる。2戦目となるセントラル・ヨーロッパでは前戦同様に堅実に走行を続け、SS11でチームのエースオィット・タナックより0.3秒速い4番手タイムをマークし7位に浮上、そのまま最終日まで走り切りフル参戦のチームメイトピエール=ルイ・ルーベを上回る7位に入りラリー1で初ポイントを獲得した。最終戦ラリー・ジャパンはWRC2ポイント対象外だがラリー2で参戦。初日雨の難しいコンディションでラリー1に割って入るタイムをマークし日本のファンの注目を集めた。
2024年は前年チームメイトのアドリアン・フルモーと共にトップカテゴリーへ昇格(フルモーは再昇格)。レギュラードライバーとしてフォード・プーマ ラリー1をドライブする。ルクセンブルク国籍としては初めてのフルタイムWRCドライバーとなった。開幕3戦では時折スピードを発揮するも、経験不足からかミスを連発しポイント圏内完走を逃していたが第4戦クロアチアでようやく7位につけた。第6戦サルディニアでは上位が次々脱落していく荒れたサバイバルラリーを走り切り自己最高の5位を獲得した。その後ポーランドは7位、ラトビアは9位とポイントを獲得するもフィンランドでは49位、アクロポリスはリタイアと失速。しかしチリで初日一時4位につけ本来の実力を発揮し始めると、セントラル・ヨーロピアンとラリー・ジャパンではどちらも5位に入りフル参戦初年度はランキング8位と健闘した。
2025年はアドリアン・フルモーがMスポーツから離脱したことでチームの1stドライバーに昇格。チームメイトには初フル参戦でアイルランド出身のジョシュ・マッカーリンを迎える。開幕戦モンテカルロではSS10で自身初のトップタイムをマークするもリタイアに終わる。続くスウェーデンでは8位、ケニアは上位陣の脱落にも助けられ5位に入った。ここから勢いに乗るかと思われたが以降はラリーによってはチームメイトのマッカーリンにも遅れを取るようになるなど精彩を欠いてしまう。しかしラリー・ジャパンではトップ争いには加われなかったもののケニアに続いてこの年2度目の5位を獲得した。しかしエースとして期待されていたにも関わらずスピード不足という課題を残すこととなった。ランキングではこの年エストニアにトヨタからスポット参戦で初優勝を挙げたオリバー・ソルベルグを下回る10位に終わった。
エピソード
- ラリー1デビュー戦となった2023年のチリで初日コ・ドライバーのルイス・ルーカがペースノートを忘れる事態が起きた。ノートがない午前のステージではチームからペースノートをスマホに送ってもらい、それを読み上げなんとか急場を凌いだ。この出来事があったにも関わらず午前の時点で7位つける健闘を見せた。