サム・ライス

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生年月日 1890年2月20日
没年月日 (1974-10-13) 1974年10月13日(84歳没)
サム・ライス
Sam Rice
1924年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 インディアナ州モロッコ
生年月日 1890年2月20日
没年月日 (1974-10-13) 1974年10月13日(84歳没)
身長
体重
5' 9" =約175.3 cm
150 lb =約68 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
初出場 1915年8月7日
最終出場 1934年9月18日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1963年
選出方法 ベテランズ委員会選出

エドガー・チャールズ・ライス(Edgar Charles "Sam" Rice, 1890年2月20日 - 1974年10月13日) は、アメリカ合衆国インディアナ州モロッコ出身のプロ野球選手右翼手)。右投げ左打ち。

ニックネームは"Man O'War"(マノウォー)。1920年代ワシントン・セネタース全盛期を支えた外野手

メジャーデビュー前にはインディアナやイリノイのマイナーリーグでプレーしていた。ライスは1912年に竜巻の被害で家族や兄弟を全てなくすという悲劇に見舞われたが、ライス自身は、後年になっても、自らはそのことを公表しなかった。その後彼はインディアナを離れ、一時期アメリカ海軍に所属、メキシコベラクルスでの戦いに加わったこともあった。

1915年バージニア州のピータースバーグ球団からワシントン・セネタースに移籍し、同年メジャーデビューを果たす。当初は投手を務めていたが、すぐに外野に転向。外野のレギュラーに定着したのは1919年以降で、その頃は足の速さを売り物にしていた。1920年は63盗塁を決めて盗塁王となる。

以後盗塁数は減ったものの、四球の少ない積極的なバッティングで多くの安打数を稼ぐようになる。1924年から1926年にかけて3年連続で年間200安打以上(うち2回はリーグ最多安打)を放ち、セネタースを2度のワールドシリーズ出場に導いた。特に1925年のワールドシリーズ第3戦で、彼は後に大きな物議をかもすプレーを見せる。4-3でセネタースがリードしていた8回裏の守備で、ライスは相手の打ったホームラン性の打球にフェンス際で飛びつく。捕球後、体がフェンスを乗り越えてしまったため、審判はしばらく彼が捕球したのかどうかを確認できなかった。しかしライスがフェンスから起き上がったとき、彼のグラブにはボールが収まっていた。この試合の後、実際に打球を捕ったのかどうかについて、彼は身内にすら口外しなかったという。真相を尋ねられたとき、彼は「金のためじゃない。ミステリーにしておいた方が楽しいだろう」("I don't need the money. The mystery is more fun.")というコメントを残した。

1930年に6度目の200安打を達成、40代の選手でシーズン200安打以上を記録したのは2016年シーズン終了時点でもこの年のライスのみである。

セネタースには計19年間在籍したが、1933年の3度目のワールドシリーズ出場後に放出され、翌1934年クリーブランド・インディアンスで現役を引退する。通算安打数は3000本にわずかに足らないが、本人はそのことを知らないままだった。

引退後、ライスはメリーランド州で養鶏場を経営していた。かつて捕虜収容所にいた数人の日本人移民を、そこで雇っていたことが話題になったこともあった。1963年、ベテランズ委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出される。1974年にメリーランド州で死去。上記1925年のプレーの真相は、彼の死後に開けるよう遺言されていた手紙に書かれていた。その手紙にいわく「ボールを落とす暇なんてなかったよ」。

詳細情報

関連項目

外部リンク

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