グース・ゴスリン
From Wikipedia, the free encyclopedia
|
| |
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |
|
| 出身地 | ニュージャージー州 |
| 生年月日 | 1900年10月16日 |
| 没年月日 | 1971年5月15日(70歳没) |
| 身長 体重 |
5' 11.5" =約181.6 cm 185 lb =約83.9 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 外野手 |
| 初出場 | 1921年9月16日 |
| 最終出場 | 1938年9月25日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
| 選出年 | 1968年 |
| 選出方法 | ベテランズ委員会選出 |
この表について
| |
グース・ゴスリン(Leon Allen "Goose" Goslin、1900年10月16日 - 1971年5月15日)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州セイラム出身のプロ野球選手(左翼手)。右投げ左打ち。
"Goose"(ガチョウ)は、彼が煩いほど外交的だったことからついたあだ名である。
1921年、サウスアトランティックリーグのコロンビア球団からワシントン・セネタースに入団。強肩と勝負強い打撃で2年目から外野のレギュラーとなる。入団4年目の1924年に、打率.344、打点129で打点王のタイトルを獲得。セネタースをリーグ制覇に導く。同年のニューヨーク・ジャイアンツとのワールドシリーズでは3本塁打、7打点を挙げてシリーズ制覇にも貢献した。
1925年にはリーグ最多の20本の三塁打を含めシーズン200安打を達成、セネタースはリーグを二連覇する。ゴスリンは1924年から1928年までの5年間、打率で.333以上、100打点以上の成績5年連続で挙げた。また1928年には打率.379で首位打者にも輝いた。
1930年のシーズン中に、ヘイニー・マナシュらとの2対1のトレードでセントルイス・ブラウンズに移籍。ブラウンズに3年間在籍した後1933年に再びセネタースに復帰すると、その年セネタースは3度目のリーグ制覇を遂げた。翌1934年にはデトロイト・タイガースに移籍、チャーリー・ゲーリンジャーやハンク・グリーンバーグらと共にタイガースの"Gメン"の一員としてチームを牽引し、1934年、1935年と2度のワールドシリーズ出場を果たした。特に1935年のワールドシリーズでは、3勝3敗で迎えた第7戦にサヨナラヒットを放ち、タイガースを初の世界一に導く活躍をした。
1936年には打点125、122得点、24本塁打の活躍をし、オールスターゲームにも出場したが、1937年末にタイガースが放出。翌1938年に三たびセネタースに復帰して38試合に出場するも同年引退した。実働18年で、100打点以上を挙げたシーズンが12度あるほか、打率3割以上は11度、100得点以上が7度に及ぶ。またゴスリンは、ヤンキー・スタジアムで通算32本の本塁打を放っており、これは、ビジター選手がヤンキー・スタジアムで放った本塁打の最多記録である。