ルイス・アパリシオ

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生年月日 (1934-04-29) 1934年4月29日(91歳)
身長
体重
5' 9" =約175.3 cm
160 lb =約72.6 kg
ルイス・アパリシオ
Luis Aparicio
2012年10月3日
基本情報
国籍 ベネズエラの旗 ベネズエラ
出身地 スリア州マラカイボ
生年月日 (1934-04-29) 1934年4月29日(91歳)
身長
体重
5' 9" =約175.3 cm
160 lb =約72.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手
プロ入り 1954年
初出場 1956年4月17日
最終出場 1973年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 1984年
得票率 84.62%
選出方法 BBWAA投票による選出
アパリシオのホワイトソックス在籍時の背番号「11」。
シカゴ・ホワイトソックスの永久欠番1984年指定。
シカゴ・ホワイトソックスの本拠地USセルラー・フィールドに建つアパリシオの像

ルイス・エルネスト・アパリシオ・モンティエルLuis Ernesto Aparicio Montiel, 1934年4月29日 - )は、ベネズエラマラカイボ出身の元プロ野球選手遊撃手)。右投右打。ニックネームは"Little Louie"(リトル・ルーイ)

ボルチモア・オリオールズ時代
(1963年)

父もベネズエラで遊撃手として活躍した野球選手だった。また、アパリシオの叔父と共にウィンターリーグのチームを所有していた。

1954年シカゴ・ホワイトソックスに入団し、1956年MLBデビュー。新人ながら152試合に出場して打率.266、21盗塁を記録し、盗塁王と新人王をダブル受賞する。その後は打撃こそ一流とは言えないものの(打率3割は1度だけ)、俊足好守の遊撃手として活躍し、39歳で引退する1973年まで18年続けてレギュラーで出場。出場試合数も最少が1972年の110試合と、安定感もあった。

アウトになった回数8110回は歴代11位という不名誉な記録も作ってしまっているが、18年連続でレギュラーだっただけのことはあって、通算2601試合は歴代35位、通算10230打数は歴代20位、通算506盗塁は歴代34位、盗塁王9回、ゴールドグラブ賞9回、オールスターゲーム選出10回などといった輝かしい記録も数多く残している。特にゴールドグラブ賞9回は後にオジー・スミスに破られる(ただし、アメリカン・リーグのみでの記録に限ればオマー・ビスケルと1位タイ。)まで、遊撃手として最多の記録だった。また、9年連続盗塁王も史上1位の記録である(2位はリッキー・ヘンダーソンの7年連続)。

1984年に南米出身者として初めてアメリカ野球殿堂入りを果たし、同年8月14日にアパリシオのホワイトソックス在籍時の背番号11』は永久欠番に指定された。また、11番はベネズエラ代表の永久欠番にも指定されている。なお、アパリシオの欠番指定後、2010年から2011年の間のみ、ホワイトソックスに移籍したオマー・ビスケルがつけていたが、これはビスケル自身が長くつけていた背番号『13』を当時ホワイトソックス監督を務めていたオジー・ギーエンがつけていた事情から、ホワイトソックス側の依頼によってアパリシオが背番号『11』の貸し出しを快諾した[1]

引退後は2003年古巣ホワイトソックスの本拠地USセルラー・フィールドにて行われたMLBオールスターゲームでアメリカン・リーグの名誉キャプテンとして出場、またホワイトソックスが46年ぶりにワールドシリーズに進出した2005年のワールドシリーズ第1戦では始球式を務めた。

2006年、ホワイトソックスの本拠地USセルラー・フィールドに等身大の像が建てられた。

選手としての特徴

身長は175cmと決して高い身長ではなかったものの、右へ左へと動き回り、強肩を生かして相手チームの安打を単なるアウトに変え、チームメイトでこちらも守備の名手と評された二塁のネリー・フォックスと共に組んだ二遊間は当時鉄壁といわれた。巧打者としても一流で、伊東一雄は「今ならばオジー・スミス」「大リーグ牛若丸吉田義男」と評していた。18年間の現役で遊撃手を守り続け、打順もほとんど1番で、50、60年代の最高のリードオフマンとされる。アメリカ野球殿堂のプログラムには「彼のプレーした年代の最高の遊撃手」とある。のちにベネズエラからMLBを目指す選手達の大きな目標となり、デーブ・コンセプシオンボビー・マルカーノらもアパリシオに憧れていた[2]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1956 CWS 152583533691421963182562141413421639.266.311.341.653
1957 14364057582148226319141288945210557.257.317.332.649
1958 14560455776148209219240296833521388.266.309.345.63
1959 15268661298157185620351561311753134011.257.316.332.647
1960 1536706008616620722066151820643313912.277.323.343.666
1961 1566726259017024462204553134438013312.272.313.352.665
1962 1536225817214023571944031124432113611.241.280.334.614
1963 BAL 146651601731501885199454066636223510.250.291.331.623
1964 14664257893154203102103757177549035113.266.324.363.688
1965 14462956467127201081914026714246035611.225.286.339.625
1966 15170765997182258624141251112233214210.276.311.366.676
1967 13458754655127225417131185652921448.233.270.313.583
1968 CWS 1576646225516424442083617115233324310.264.302.334.636
1969 1566815997716824552175124410466122914.280.352.362.714
1970 14661655286173293522343835553113411.313.372.404.776
1971 BOS 1255414915611423041494564943502437.232.284.303.587
1972 1104744364711226331533933552602288.257.299.351.649
1973 1325614995613517101544913112743103312.271.324.309.633
MLB:18年 260111230102301335267739492833504791506136161767362227742184.262.311.343.653
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



遊撃(SS)












1956 CWS 1522504743591.954
1957 1422464492085.972
1958 1452894632190.973
1959 1522824602387.970
1960 15330555118117.979
1961 1562644873086.962
1962 15228045220102.973
1963 BAL 1452754031276.983
1964 1452604371598.979
1965 1412384392087.971
1966 15130344117104.978
1967 1312213332567.957
1968 CWS 1542695351992.977
1969 1542485632094.976
1970 1462514831899.976
1971 BOS 1211943381656.971
1972 1091833041654.968
1973 1321904042168.966
MLB 2581454880163661553.972

タイトル

表彰

記録

背番号

脚注

関連項目

外部リンク

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