チャック・クライン
From Wikipedia, the free encyclopedia
|
| |
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 |
|
| 出身地 | インディアナ州インディアナポリス |
| 生年月日 | 1904年10月7日 |
| 没年月日 | 1958年3月28日(53歳没) |
| 身長 体重 |
6' 0" =約182.9 cm 185 lb =約83.9 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投左打 |
| ポジション | 右翼手 |
| 初出場 | 1928年7月30日 |
| 最終出場 | 1944年6月11日 |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
| 選出年 | 1980年 |
| 選出方法 | ベテランズ委員会選出 |
この表について
| |
チャールズ・ハーバート・クライン(Charles Herbert Klein、 1904年10月7日 - 1958年3月28日)[1]は、主に1930年代に活躍したアメリカ・メジャーリーグの野球選手。ポジションは右翼手。インディアナ州インディアナポリス生まれ。右投げ左打ち。ニックネームは"Hoosier Hammer"(インディアナ・ハマー)。1933年にナショナルリーグ三冠王になった強打者。MLBの歴史上2人しかいない全打撃タイトル(打率・本塁打・打点・盗塁)獲得経験のある選手(もう1人はタイ・カッブ)。
1928年にフィリーズでデビュー。翌年1929年には219安打、43本塁打、打率.356をマークし、初の本塁打王となる。
1930年は250安打、打率.386をマークした年だったが、同じ年にニューヨーク・ジャイアンツのビル・テリーが254安打、打率.401を記録し、両部門ともタイトルを手にすることができなかった。またこの年は170打点を挙げたが、こちらはハック・ウィルソンが191打点(現在のメジャーリーグ記録)を達成していた。その後も1931年には初の打点王(121打点)、と得点王(121得点)、1932年は38本塁打で本塁打王になると共に、20盗塁でリーグ盗塁王も獲得、その年の最優秀選手になった。本塁打王と盗塁王を同時に獲得したのは、彼とタイ・カッブとジミー・シェッカードの3人だけである。
1933年には28本塁打、120打点、打率.368とし、ロジャース・ホーンスビー以来の三冠王となる。この年は他にも最多安打、最多二塁打、出塁率1位、長打率1位 (.602) などに輝いたものの、その年の最優秀選手にはカール・ハッベルが選ばれた。
1934年にシカゴ・カブスに移籍するものの、フィリーズ時代のような殆ど全試合の出場はさせてもらえず、打率も3割前後にとどまった。カブスには2年と少ししか在籍せず、1936年のシーズン中に再びフィリーズに戻った。フィリーズ復帰後の1936年7月10日、クラインはリーグ史上初となる1試合4本塁打を放っている。
この間の1938年にフィリーズはこれまでの本拠地ベイカー・ボウルが老朽化によりシャイブ・パークに移転したが、狭隘なベイカー・ボウルから広いシャイブ・パークへの移転がクラインの成績に影響を与えたらしく、移転後は打率を始めとした成績が落ち、1940年に通算2,000本安打を達成したもののそれ以降は時折代打として出る程度になり、1944年を最後に現役を引退した。
引退後は一時期フィラデルフィアでバーを開いていたが、飲酒癖がもとによる脳卒中を患い、左足の麻痺も発症したため、1947年に故郷インディアナに帰郷して自身の身内の元で療養生活を送ったが、1958年3月28日、53歳で死去した。
死後、1980年にベテランズ委員会の選考によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。
フィラデルフィア・フィリーズの永久欠番扱いとして2001年指定。
2001年、クラインはフィリーズの永久欠番選手に指定されたが、デビュー当時はまだ背番号導入前で、その後1932年よりフィリーズは背番号を導入したが、クラインは毎シーズンのように背番号を変えていた(後述)ため、番号の代わりに、デビュー当時のフィリーズのチームロゴ(オールド・イングリッシュ字体の"P")を欠番代わりとしている。
1000安打到達最速記録
クラインの背番号
前述の通り、1932年にフィリーズが背番号を導入した後も、クラインは自身の背番号を一定せず、毎シーズンのように背番号を変えていた[2]。使用した番号は10個にも及び、番号変更は12回も行った(『3』と『26』を2回使用)。このうちフィリーズ在籍時につけていた『1』、『32』、『36』は後にフィリーズの後輩にあたる選手(リッチー・アシュバーン、スティーブ・カールトン、ロビン・ロバーツ)の活躍により、それぞれの永久欠番となっている。
太字はフィリーズ在籍時の背番号。
- 3(1932年~1933年)
- 6(1934年・カブス在籍)
- 4(1935年~1936年・カブス在籍)
- 32(1936年)
- 36(1936年~1937年)
- 1(1938年)
- 26(1939年)
- 14(1939年・パイレーツ在籍)
- 29(1940年~1941年)
- 3(1942年)
- 8(1943年)
- 26(1944年)