サンダーボルト・パターソン

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リングネーム サンダーボルト・パターソン
T・ボルト・パターソン
スウィート・ダディ・ブラウン
サンダーボルト・ピーターズ
K・O・パターソン
本名 クロード・パターソン
ニックネーム 黒い稲妻
身長 184cm
サンダーボルト・パターソン
プロフィール
リングネーム サンダーボルト・パターソン
T・ボルト・パターソン
スウィート・ダディ・ブラウン
サンダーボルト・ピーターズ
K・O・パターソン
本名 クロード・パターソン
ニックネーム 黒い稲妻
身長 184cm
体重 120kg(全盛時)
誕生日 (1940-07-08) 1940年7月8日(85歳)[1]
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
アイオワ州の旗 アイオワ州
ブラックホーク郡ウォータールー[1]
デビュー 1964年[2]
引退 1987年[3]
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クロード "サンダーボルト" パターソンClaude "Thunderbolt" Patterson1940年7月8日[1] - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーアイオワ州ウォータールー出身のアフリカ系アメリカ人

南部を中心とした各テリトリーにおいて、主にベビーフェイスのポジションで活動した[4]。クラッシャー・ブル・ベドウやイワン・プトスキーらと同様に、来日が待たれたものの日本マット参戦が実現しなかった「幻の強豪」の一人である[3]

1964年、故郷のアイオワをサーキット・エリアとするNWAセントラル・ステーツ地区にてデビュー[2]1966年2月9日にはロサンゼルスWWAにてエンリケ・トーレスと組み、ゴリラ・モンスーン&エル・モンゴルからWWA世界タッグ王座を奪取[5]、デビュー2年目にしてビッグタイトルへの戴冠を果たした。

1960年代後半はドリー・ファンク・シニアの牛耳るテキサス西部(アマリロのNWAウエスタン・ステーツ・スポーツ)で活動、ラフファイトの強さを発揮してブラスナックル王座を再三獲得している[6]1969年上期にはヒールのポジションでWWWFワシントンD.C.での興行に出場、アーノルド・スコーランロッキー・ジョンソンカルロス・コロンらと対戦した[7][8]

1969年下期からはテキサス東部(ダラスのNWAビッグタイム・レスリング)にも参戦し、ワフー・マクダニエルとのタッグで活躍、同年8月にはダスティ・ローデス&バロン・フォン・ラシクからNWAアメリカン・タッグ王座を奪取している[9]。アマリロでは1970年テリー・ファンクと組んで坂口征二&朴松男の大型東洋人コンビとも対戦[10]、同年11月12日にはドリー・ファンク・ジュニアNWA世界ヘビー級王座に挑戦した[11]

1970年代フロリダジョージアを経て、1975年にはNWFの残党が参画していた新団体IWAに登場。アーニー・ラッドを相棒にソウル・パトロールThe Soul Patrol)なる黒人タッグチームを結成し、ジート&ボロザ・モンゴルズイワン・コロフ&ブルドッグ・ブラワーと抗争した[12][13]

IWA崩壊後は再び南部のNWA圏を主戦場に活動し、1976年2月4日にはフロリダでフランク・グーディッシュからフロリダ・ヘビー級王座を奪取[14]1977年からはジム・バーネットジョージア・チャンピオンシップ・レスリングにて、ジン・アンダーソンラーズ・アンダーソンオレイ・アンダーソンミネソタ・レッキング・クルーとの抗争を開始。ミスター・レスリングトミー・リッチをパートナーにジョージア・タッグ王座を争った[15]1978年オクラホマのトライステート地区にも参戦し、4月1日にスタン・ハンセンを破りブラスナックル王座を獲得している[16]

1980年代初頭は、ランディ・サベージの父親アンジェロ・ポッフォが運営していたケンタッキーの独立団体ICWに出場、1982年ザ・シークからUSヘビー級王座を奪取した[17]。パターソンとシークは1976年の末にもカナダトロントにてNWA認定のUSヘビー級王座を争っており[18]、当時の抗争が再現された。

その後はジョージアに戻り、1985年1月11日に旧敵オレイ・アンダーソンと組んでロング・ライダーズ(スコット・アーウィン&ビル・アーウィン)からNWAナショナル・タッグ王座を奪取したが[19]、オレイはパターソンを裏切り、アーン・アンダーソンとミネソタ・レッキング・クルーを再編。以降はマニー・フェルナンデスを新パートナーに、ジョージアを買収したジム・クロケット・ジュニアミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリングにてオレイ&アーン・アンダーソンと抗争を展開した[20]

1987年の引退後は、1993年5月23日に居住地のアトランタで開催されたWCWPPV "Slamboree 1993" に出場、ブラッド・アームストロングを従えてイワン・コロフ&バロン・フォン・ラシクとレジェンド対決を行った[21]。後年はアトランタにて少年犯罪者の更生活動にも取り組んだ[2]

公民権運動にも参加し、ダスティ・ローデスに "Jive Talk" と呼ばれる黒人アクセントを教えた人物でもある[22]

2024年WWE殿堂に迎えられた[23]。4月5日にペンシルベニア州フィラデルフィアウェルズ・ファーゴ・センターで行われた式典では、ニュー・デイがインダクターを務めた[24]

得意技

獲得タイトル

脚注

外部リンク

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