マイク・フォン・エリック

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リングネーム マイク・フォン・エリック
本名 マイケル・ブレット・アドキッソン
ニックネーム 豹の爪
身長 188cm
マイク・フォン・エリック
マイク・フォン・エリックの画像
右は兄のケリー(1984年)
プロフィール
リングネーム マイク・フォン・エリック
本名 マイケル・ブレット・アドキッソン
ニックネーム 豹の爪
身長 188cm
体重 108kg
誕生日 1964年3月2日
死亡日 (1987-04-12) 1987年4月12日(23歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テキサス州の旗 テキサス州ダラス
トレーナー フリッツ・フォン・エリック
デビュー 1983年11月
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マイク・フォン・エリックMike Von Erich、本名:Michael Brett Adkisson1964年3月2日 - 1987年4月12日)は、アメリカ合衆国プロレスラー。「鉄の爪」フリッツ・フォン・エリックの息子(五男。レスラーのフォン・エリック兄弟としては四男)である。

日本ではケビンの「鷹の爪」、ケリーの「虎の爪」に対し「豹の爪」の異名が付けられた[1]

3人の兄の後を追い、1983年11月24日のスカンドル・アクバ戦でデビュー[2]。父フリッツの主宰するテキサス州ダラスのWCCWを主戦場として、ファビュラス・フリーバーズマイケル・ヘイズテリー・ゴディバディ・ロバーツ)、ジノ・ヘルナンデスクリス・アダムスジェイク・ロバーツなどのヒールを相手に兄達とのタッグで活動[3][4]。シングルでは1984年8月4日、ヘルナンデスを破ってNWAアメリカン・ヘビー級王座を獲得した[5]

1987年1月、当時WCCWと提携していた新日本プロレスに初来日[1]星野勘太郎越中詩郎とシングルマッチを行い、コンガ・ザ・バーバリアン&ブラック・バートと組んでの6人タッグマッチではアントニオ猪木藤波辰巳とも対戦した[6]

帰国後はWCCWでブライアン・アディアスと抗争していたが[7]、1987年4月12日、精神安定剤の過剰摂取により服薬自殺[8]23歳没。彼は1985年8月に肩を負傷して以来、毒素性ショック症候群Toxic shock syndrome)に苦しめられていた[9][10]

2009年4月、フォン・エリック・ファミリーの一員としてWWE殿堂に迎えられた[11]

得意技

獲得タイトル

フォン・エリック・ファミリー

脚注

外部リンク

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