ジョン・ラトクリフ・ジュニア
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ラトクリフは1549年にイギリスのランカシャーで生まれた。若くして船員になると、やがて植民地探査船の3隻のうちの1つであるディスカバリー号の指揮官に就任した。ディスカバリーは3隻すべての船の中で最小で、乗組員はわずか21人だった。
ほどなくして植民地となるジェームズタウンを発見すると、評議員となり同地区の総督に就任。
1609年10月には砦を建設するために派遣された。この砦は「アルジュノーンフォート」と名付けられた[1]。
その後は探検家のジョン・スミスと協力して、スミスに先住民との貿易のための組織を用意するように依頼した。しかし取引が弾圧的なものだったことにより不満が高まり、任期満了の2か月前の1608年7月に辞任した。
1609年に12月にラトクリフと14人の入植者が、ポウハタンの部族との集まりに招待された。しかしその会合は罠であり、彼と残りの14名はそこで火炙りにされて殺害された。享年60歳。この出来事はジェームズタウンアドベンチャーに含まれる目撃証言に記録されている。

