ディーエスサンダー
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| ディーエスサンダー | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 欧字表記 | D S Thunder[1] | |||||
| 品種 | サラブレッド[1] | |||||
| 性別 | 牡[1] | |||||
| 毛色 | 鹿毛[1] | |||||
| 生誕 | 1999年6月8日[1] | |||||
| 死没 | 2004年2月4日(5歳没) | |||||
| 抹消日 | 2004年2月4日 | |||||
| 父 | タヤスツヨシ[1] | |||||
| 母 | アフターディナー[1] | |||||
| 母の父 | マルゼンスキー[1] | |||||
| 生国 |
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| 生産者 | 川上牧場[1] | |||||
| 馬主 |
(株)大和ステンレス工業 →秋谷壽之[1] | |||||
| 調教師 |
手島健児(北海道) →藤原辰雄(美浦北)[1] | |||||
| 競走成績 | ||||||
| 生涯成績 | 23戦5勝[1] | |||||
| 獲得賞金 | 1億8175万円[1] | |||||
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ディーエスサンダー(欧字名:D S Thunder、1999年6月8日-2004年2月4日)は日本の競走馬[1]。主な勝鞍は2003年のマーキュリーカップ
この項の出典は特筆ない限りJBISサーチ[1]及びnetkeiba.com[2]による。
2001年6月20日に旭川競馬場で行われたフレッシュチャレンジにて米川昇を背にデビュー、後続を1馬身離し初優勝を飾った。2002年に中央競馬の藤原辰雄厩舎に移籍。しかし、その後なかなか勝てずにいた。3月31日に行われたオープン特別競走・伏竜ステークスでは7馬人気と低人気で出走するとカイトヒルウィンドとの接戦を1/2馬身差で制し移籍後初勝利を挙げた。4月27日には芝の重賞初挑戦となる青葉賞に出走するもシンボリクリスエスの7着に終わった。芝から主戦場であるダートに再び転向して迎えたユニコーンステークスでは3着と善戦。しかしその後長期休養に入り、休養明けの準オープン・元町ステークスでは5着に終わった。
2003年は準オープン・雅ステークスから始動。11番人気であったクロノスシチーに3/4馬身差の2着と惜敗する。しかし続く準オープン・アレキサンドライトステークスでは3/4馬身差でサンライズキングを下し約9ヶ月ぶり3勝目を挙げた。勢いそのままで挑んだ初GIのフェブラリーステークスでは13番人気で出走し12着と二桁敗戦に終わった。前走の大敗から巻き返しを図ったマーチステークスでは5着、続くアンタレスステークスでは3着と掲示板入りはするもののなかなか重賞初制覇とは至らなかった。5月25日に行われた東海ステークスに至っては1着入線しかにもかかわらず、最終直線で斜行してしまい3着に降着。結果として9番人気で名古屋所属のゴールドプルーフに勝利を譲る形となり重賞初制覇は再びお預けとなってしまった[3][4]。しかし6月15日に行われたブリリアントステークスでは直線での接戦を制し、続くマーキュリーカップでは雨の影響で馬場不良にも関わらず後続のビワシンセイキを1.1/2馬身離し重賞制覇を飾った。3連勝が掛かったブリーダーズゴールドカップでは1番人気で押されるもイングランディーレから3馬身離され2着に終わる。続くエニフステークスでもクビ差の2着に終わった。11月1日に行われた武蔵野ステークスでは3番人気に押されるも6着となり、11月29日に行われたジャパンカップダートでは12番人気ながら5着と掲示板入りするもののやはり勝つことはできなかった。
2004年初戦は川崎記念に出走。4番人気で出走すると2周目の第4コーナーで左前第1指骨骨折を発症して競走を中止。診断の結果は予後不良で安楽死の処置が取られている[5]。享年5歳