ドン・マッティングリー

アメリカ合衆国の野球選手、野球指導者、野球監督 From Wikipedia, the free encyclopedia

ドナルド・アーサー・マッティングリーDonald Arthur Mattingly, 1961年4月20日 - )は、アメリカ合衆国インディアナ州エバンズビル出身のプロ野球監督、元プロ野球選手一塁手)。左投左打。愛称はマット[1]

生年月日 (1961-04-20) 1961年4月20日(65歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
175 lb =約79.4 kg
概要 フィラデルフィア・フィリーズ 暫定監督 #8, 基本情報 ...
ドン・マッティングリー
Don Mattingly
フィラデルフィア・フィリーズ 暫定監督 #8
ニューヨーク・ヤンキース時代
(1984年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 インディアナ州エバンズビル
生年月日 (1961-04-20) 1961年4月20日(65歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
175 lb =約79.4 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手
プロ入り 1979年 MLBドラフト19巡目
初出場 1982年9月8日
最終出場 1995年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
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1982年から1995年までニューヨーク・ヤンキース一筋でプレーし、シーズンMVP首位打者打点王シルバースラッガー賞ゴールドグラブ賞などを獲得。背番号『23』は球団の永久欠番に指定されている。2011年から2015年まではロサンゼルス・ドジャースの監督を務め、2016年から2022年までマイアミ・マーリンズの監督を務めた。2026年シーズン途中よりフィラデルフィア・フィリーズの暫定監督を務める。2020年最優秀監督賞を受賞。

経歴

現役時代

現役時代のマッティングリー(1988年)

1979年MLBドラフトニューヨーク・ヤンキースから19巡目に指名を受け入団。

1982年にAAA級コロンバスで打率.315を記録してメジャー昇格を果たし、9月8日ボルチモア・オリオールズ戦でメジャーデビュー。

1983年6月24日のボストン・レッドソックス戦でジョン・テューダーからメジャー初本塁打を放つ。1984年は開幕からメジャーに定着し、前半戦で打率.330をマークしてオールスターゲームに初出場し、以後5年連続で選出された。後半戦で打率.357と更に数字を伸ばし、打率.343・23本塁打・110打点、共にリーグ最多の207安打・44二塁打の成績で首位打者のタイトルを獲得した。同年はチームメイトのデーブ・ウィンフィールドと激しい首位打者争いを演じ、シーズン最終戦で逆転した。MVPの投票では5位に入った。

1985年は打率.324、共にキャリアハイの35本塁打・145打点、ウェイド・ボッグスに次ぐリーグ2位の211安打、リーグ最多の48二塁打を記録して最多打点のタイトルを獲得し、初のMVP・シルバースラッガー賞ゴールドグラブ賞を受賞した。

1986年はボッグスに次ぐリーグ2位の打率.352、31本塁打・113打点、共にリーグ最多で現在も球団記録の238安打・53二塁打を記録。長打率.573もリーグトップだった。MVPの投票ではロジャー・クレメンスに次ぐ2位に入った。

1987年は6月に故障者リスト入りするが7月8日ミネソタ・ツインズ戦から、オールスターゲームを挟んで7月18日テキサス・レンジャーズ戦にかけて、史上2人目となる8試合連続本塁打を達成。7月16日には満塁本塁打を含む7打点を記録した。同年はメジャー記録となる1シーズン6本の満塁本塁打を放つなど[2]、打率.327・30本塁打・115打点を記録した。

1989年は23本塁打・113打点を記録したが1990年は不振に陥り、故障もあって102試合の出場で打率.256・5本塁打に終わり同年を境に成績は下降。

1991年はチームの10代目キャプテンに就任。8月16日、髪を切らないことを理由に試合への出場停止と罰金250ドルの処分を受けた[3]1994年8月11日まで打率.304・出塁率.397を記録し、チームも地区首位に立っていたが翌日から1994年から1995年のMLBストライキに突入。そのままシーズンが打ち切られ、史上初めてワールドシリーズが中止となり、ポストシーズン出場のチャンスを逃してしまった。

ストライキが収拾された1995年にチームはワイルドカードを獲得する。自身初のポストシーズンとなったシアトル・マリナーズとのディビジョンシリーズでは第2戦で本塁打を放つなど打率.417と活躍。しかしチームは最終第5戦で逆転サヨナラ負けを喫し、2勝3敗で敗退した。オフに背中の故障を理由に34歳で現役を引退。プロ入りから引退までヤンキース一筋でプレーした、近年では数少ないフランチャイズ・プレイヤーだった。

マッティングリーの背番号「23」。
ニューヨーク・ヤンキースの永久欠番1997年指定。

1997年に自身の背番号23』がヤンキースの永久欠番に指定された。歴代のヤンキース永久欠番選手で唯一、ワールドシリーズ出場を果たすことができなかった。

コーチ・監督時代

ヤンキース打撃コーチ当時のマッティングリー

2004年にヤンキースの打撃コーチに就任して現場復帰。同年のヤンキース日本開幕戦にも来日している。2007年シーズンからはヤンキースのヘッドコーチに就任し、ジョー・トーリ監督の後継者の最有力候補と目されたが、同年オフにトーリの監督辞任を受けヘッドコーチを辞任した。2008年にトーリがドジャースの監督に就任し、それに従って打撃コーチに就任する予定であったが、1月になって家庭の理由で打撃コーチを辞し、特別コーチに就任することとなった。

2010年シーズン終了後、トーリの退団に伴い監督に昇格した。

ドジャース監督当時のマッティングリー

2014年1月7日にドジャースとの契約を2016年まで延長したことが報道された[4]

2015年9月29日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦に勝利し3年連続の地区優勝を果たしたことにより、ドジャースでは初めて3年連続でポストシーズン進出を果たした監督となったが、ディビジョンシリーズではニューヨーク・メッツに2勝3敗で敗れ、3年ともリーグ優勝は果たせなかった。10月22日に監督解任が発表された[5](後任監督はデーブ・ロバーツ)。10月29日にマイアミ・マーリンズの新監督に就任することが発表された[6][7]

2022年11月30日、2023年シーズンからトロント・ブルージェイズのベンチコーチに就任することが決定した[8]2025年にはベンチコーチとして、現役時代から数えて自身初となるワールドシリーズを経験している(チームは3勝4敗で敗退)。

2026年1月5日、フィラデルフィア・フィリーズのベンチコーチに就任したことが発表された[9][10]。 4月28日、開幕からの成績不振によりロブ・トムソン監督が解任され、後任人事としてシーズン終了まで暫定監督に昇格した[11][12]

人物

  • 息子のテイラーが2003年のMLBドラフトでヤンキースから42巡目に、もう一人の息子プレストンも2006年のMLBドラフトでドジャースから1巡目に指名を受けた。なお、プレストンは2024年にフィラデルフィア・フィリーズのGMに就任した。ドンが2026年シーズン中に暫定監督に昇格したことにより、MLB史上初となる「父が監督、息子がGM」の例となった。
  • 左投げでありながら、二塁手を1試合(パインタール事件の発生により、行われた1983年8月18日の再開試合)、三塁手を3試合務めたことがある。
  • 現役時代は大スターであるにもかかわらず飾らない気さくな性格で、アンチヤンキースからも支持されていた。
  • ウィリアムズ以外でもルーキーやトレードで移籍した選手が彼のおかげでメジャーに馴染めたと感謝する選手は少なくない。
  • 長髪事件で散髪した髪がオークションで3000ドルで落札され、慈善団体に寄付した

詳細情報

年度別打撃成績

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O
P
S
1982 NYY 713120200021000100012.167.154.167.321
1983 91305279347915441143200222151318.283.333.409.742
1984 1536626039120744223324110118941813315.343.381.537.918
1985 1597276521072114833537014522215561324115.324.371.567.938
1986 1627426771172385323138811300110531113517.352.394.573.967
1987 14162956993186382303181151408511313816.327.378.559.937
1988 1446515999418637018277881008411432913.311.353.462.815
1989 158693631791913722330111330010511813015.303.351.477.828
1990 102428394401011605132421003281332013.256.308.335.643
1991 152646587641693509231682009461144221.288.339.394.733
1992 157686640891844001426686300639714311.288.327.416.743
1993 134596530781542721723686000361924220.291.364.445.809
1994 974363726211320161535100046070248.304.397.411.808
1995 12850745859132322718949020840713517.288.341.413.754
MLB:14年 178577217003100721534422022233011099149139658813621444191.307.358.471.829
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  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

内野守備
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一塁(1B)二塁(2B)三塁(3B)




































1982 NYY 140001.000--
1983 4227812130.99710000-----
1984 13311071245135.996--
1985 1591318877154.995--
1986 16013771006132.996-311112.923
1987 1401239915122.996--
1988 1431250999131.993--
1989 1451274877143.995--
1990 8980078381.997--
1991 1271119775135.996--
1992 14312091164129.997--
1993 1301258843123.998--
1994 9791968295.998--
1995 12599681790.994--
MLB 1634141481104641500.99610000----311112.923
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外野守備
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左翼(LF)中堅(CF)右翼(RF)




































1982 NYY 5111001.000-10000----
1983 14160001.000-3956321.967
1984 1317211.950120001.0006170001.000
1988 10000------
1989 --120001.000
1990 10000------
MLB 3444311.979120001.0004775321.975
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年度別監督成績

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年度球団地区年齢試合勝利敗戦勝率順位/
チーム数
備考ポストシーズン
勝敗
2011 LADNL 西 50歳1618279.5093 / 5-
2012 51歳1628676.5312 / 5-
2013 52歳1629270.5681 / 5NLCS敗退5勝5敗
2014 53歳1629468.5801 / 5NLDS敗退1勝3敗
2015 54歳1629270.5681 / 5NLDS敗退2勝3敗
2016 MIANL 東 55歳1617982.4913 / 5-
2017 56歳1627785.4752 / 5-
2018 57歳1616398.3915 / 5-
2019 58歳16257105.3525 / 5-
2020 59歳603129.5172 / 5NLDS敗退2勝3敗
2021 60歳1626795.4144 / 5-
MLB:11年 1677820857.489 10勝14敗
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  • 2020年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はプレイオフ進出(ワイルドカードを含む)。
  • WS…ワールドシリーズ、LCS…リーグチャンピオンシップシリーズ、DS…ディビジョンシリーズ、WC…ワイルドカードゲーム(ワイルドカードシリーズ)。

タイトル

  • 首位打者:1回(1984年)
  • 打点王:1回(1985年)

表彰

  • シーズンMVP:1回(1985年)
  • シルバースラッガー賞:3回(1985年 - 1987年)
  • ゴールドグラブ賞:9回(1985年 - 1989年、1991年 - 1994年)
  • ルー・ゲーリッグ賞:1回(1993年)
  • 最優秀監督賞:1回(2020年)

記録

背番号

  • 46(1982年 - 1984年)
  • 23(1984年 - 1995年)

脚注

関連項目

外部リンク

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