デーブ・ロバーツ (外野手)

アメリカ合衆国の元プロ野球選手、指導者 From Wikipedia, the free encyclopedia

デビッド・レイ・ロバーツ: David Ray Roberts、日本名:池原 礼〈いけはら れい〉[1][2]1972年5月31日 - )は、沖縄県那覇市生まれ、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ出身の元プロ野球選手外野手、左投左打)、プロ野球監督

生年月日 (1972-05-31) 1972年5月31日(54歳)
身長
体重
5' 10" =約177.8 cm
180 lb =約81.6 kg
概要 ロサンゼルス・ドジャース 監督 #30, 基本情報 ...
デーブ・ロバーツ
Dave Roberts
ロサンゼルス・ドジャース 監督 #30
ロサンゼルス・ドジャース監督時代
(2023年3月5日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ
日本の旗 日本沖縄県那覇市生まれ)
生年月日 (1972-05-31) 1972年5月31日(54歳)
身長
体重
5' 10" =約177.8 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 外野手
プロ入り 1994年 MLBドラフト28巡目(全体781位)
初出場 1999年8月7日
最終出場 2008年9月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • サンディエゴ・パドレス (2011 - 2015)
  • ロサンゼルス・ドジャース (2016 - )
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概要 獲得メダル, 男子 野球 ...
獲得メダル
男子 野球
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
パンアメリカン競技大会
1999英語版野球
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2016年からMLBロサンゼルス・ドジャースの監督を務める。日本生まれの監督として初めてワールドシリーズで指揮をとり、優勝を経験している(2020年、2024年、2025年)[3][4][5]

経歴

プロ入り前

沖縄県那覇市で、母・栄子(旧姓・池原、1948年-[6])と在沖下士官だったアフリカ系アメリカ人の父・ウェイモン(1948年8月21日-2017年3月17日[6])との間に生まれ、1歳の時に家族でカリフォルニア州サンディエゴ郡オーシャンサイド市に移住した[7]。父が転勤をリクエストしたため、6歳の時に再び沖縄で1年間暮らした[7][8]。その後、米国内の基地での異動を経て、1984年にオーシャンサイドに定住した[8]。母は宮古列島伊良部島で生まれ[9][10]、3歳で那覇へ移った[10]。1998年に父が海兵隊最先任上級曹長の階級で退役した後、AT&Tの管理職として勤務を続けた[11]

カリフォルニア大学ロサンゼルス校に進み、1991〜94年、野球部で活躍した。残した盗塁「109」は、現在もUCLA野球部の歴代記録となっている。

プロ入りとタイガース傘下時代

1994年MLBドラフト28巡目(全体781位)でデトロイト・タイガースに指名され、6月9日に契約を結びプロ入りを果たした[12]

1996年カリフォルニアリーグバイセリアオークスに配属された。 オークスは複数の団体の選手で構成された協同チームだったが、その配属に不満を抱き、野球を辞めようかとも考えたが、父親に止められた。その時のチームメイトに千葉ロッテマリーンズから派遣されていた干場崇永伊藤真とともにプレーもした。 126試合に出場し、打率.272、65盗塁[ 15 ]を記録し、マイナーリーグ全体トップの成績を収めた。また、カリフォルニアリーグでは112得点を挙げた。[ 16 ]シーズン終盤にはサザンリーグのAAジャクソンビルサンズで3試合に出場し、9打数2安打の成績を収めた。

インディアンス時代

1998年ジェロニモ・ベローア英語版とのトレードで、ティム・ウォーレルとともにクリーブランド・インディアンスへ移籍。

1999年同年のパンアメリカン競技大会英語版野球アメリカ合衆国代表に選出された[13]。大会後の8月7日の対デビルレイズ戦でメジャーデビュー[12]

ドジャース時代

ロサンゼルス・ドジャース時代
(2004年5月16日)

2002年からはロサンゼルス・ドジャースでプレーし、移籍1年目の2002年はチーム最多の45盗塁。

2003年は2度の故障者リスト入りで出場試合数が107だったが、前年に続き2年連続で40盗塁。

また、ドジャース在籍時の2002年.2003年はシーズン終了後に来日し、2003年と2004年の1月1日にTBSで放送された最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦に収録に参加した。(記録は2003年が総合6位、2004年は総合10位)

レッドソックス時代

2004年はシーズン途中の7月31日にボストン・レッドソックスへトレードで移籍。両チームで41回の盗塁を試みて38回成功し、成功率92.7%は両リーグでカルロス・ベルトランの93.3%に次ぐ[14]。ポストシーズンでは0勝3敗で迎えたヤンキースとのアメリカンリーグチャンピオンシップシリーズ(ALCS)4戦目で1点ビハインドの9回に代走に出て盗塁を決め、チームはその後4連勝、ワールドシリーズ優勝を果たした。

パドレス時代

サンディエゴ・パドレス時代
(2006年6月9日)

2005年サンディエゴ・パドレスへ移籍した。

2006年は、前年オフにメジャー屈指の中堅手であるマイク・キャメロンが加入したため、左翼手にコンバートされた。6月には守備の際にフェンスに激突し、故障者リスト入りする。故障が多いので左投手が先発するときは休養を取りながらプレーした[15]。この年に記録した13三塁打は、トニー・グウィンとならぶ球団記録であった[16]

ジャイアンツ時代

2006年オフにサンフランシスコ・ジャイアンツと3年総額1800万ドルの契約を結んだ。

2007年は最も得意な中堅を守ることになった[15]。この年は故障で戦線離脱したが、チーム最多の31盗塁を決め、バリー・ボンズ以来球団史上10年ぶりに30盗塁を達成した[17]

2009年4月10日に放出され、12日に現役引退を発表。

引退後

サンディエゴ・パドレスでのコーチ時代
(2013年9月3日)

引退後はパドレスの特別補佐役を務めていたが、2010年に血液のガンを発症して闘病。克服後の2011年にコーチとして現場復帰を果たした[18][19]

2015年6月15日のオークランド・アスレチックス戦では、前日の14日に解任されたバド・ブラックの代理監督を務める[20]。これによってMLB史上初の日本出身監督となった[3]

ドジャース監督時代

2015年11月23日、ドジャース新監督に就任することが発表された[21]

2016年は就任1年目にして地区優勝し、最優秀監督賞を受賞した[22]

2017年2018年には再び監督としてワールドシリーズに出場したが、いずれも敗退している[23]2018年のワールドシリーズ第4戦での投手交代は当時のアメリカ合衆国大統領であったドナルド・トランプに批判された[24]

2019年は地区優勝したものの、ワシントン・ナショナルズとの2019年のNLDSに敗れてリーグ優勝を逃した。

2020年には監督として2年ぶりにワールドシリーズ出場を果たし、タンパベイ・レイズとのワールドシリーズを4勝2敗で下し、日本出身監督としては初のワールドシリーズ優勝監督となった[5][25]

2022年オフの11月15日に全米野球記者協会(BBWAA)から1位票が8、2位票が4、3位票が5の計57ポイントで最優秀監督賞2位となった[26]

2024年3月15日に開幕戦のために韓国を訪れた際、外国人選手を手厚く迎えることに不満を持っていた男が仁川国際空港にてロバーツに向かって卵を投げつけるという災難に遭っている[27]。同年は地区優勝を果たし、4年ぶりにワールドシリーズ出場を果たした。ニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズを4勝1敗で下し、監督として2回目のワールドシリーズ優勝を果たした。オフの12月5日に那覇市役所で那覇市特別栄誉賞を受賞した。

詳細情報

年度別打撃成績

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O
P
S
1999 CLE 411561432634402441211331900160.238.281.308.589
2000 1913101200020111020020.200.333.200.533
2001 1513123410052010010020.333.385.417.801
2002 LAD 127479422631171473154344510614810511.277.353.365.718
2003 1074403885697652119164014504301390.250.331.307.638
2004 6827023345594728321331232804312.253.340.356.696
BOS 451018619221002381452131001172.256.330.442.772
'04計 1133713196481147412135383363860384.254.337.379.716
2005 SD 115480411651131910817638231211453435910.275.356.428.784
2006 129566499801461813219644496755152615.293.360.393.752
2007 SF 11444239661103179214423315404201664.260.331.364.695
2008 52130107182422030953122010180.224.341.280.621
MLB:10年 8323090270743772195532399121324358411930781636224.266.342.366.708
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年度別守備成績

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左翼(LF)中堅(CF)右翼(RF)




































1999 CLE 120001.00038850001.000-
2000 1230001.000570001.00010000----
2001 950001.000230001.00020000----
2002 LAD 310001.0001152504011.000-
2003 -105203451.976-
2004 4877020.9751941211.977-
BOS 18100001.00016180001.0001425111.963
'04計 6687020.9783559211.9841425111.963
2005 SD -109235420.992-
2006 1162390001.00013341001.000-
2007 SF 20240001.00092223630.987-
2008 32543021.000--
MLB 259415322.995514109921113.9901725111.963
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  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別監督戦績

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ポストシーズン
勝敗
2015 SDNL 西 43歳101.0004 / 5代理監督、順位は最終順位
2016 LAD 44歳1629171.5621 / 5NLCS敗退5勝6敗
2017 45歳16210458.6421 / 5WS敗退10勝5敗
2018 46歳1639271.5641 / 5WS敗退8勝8敗
2019 47歳16210656.6541 / 5NLDS敗退2勝3敗
2020 48歳604317.7171 / 5WS優勝13勝5敗
2021 49歳16210656.6542 / 5NLCS敗退5勝6敗
2022 50歳16211151.6851 / 5NLDS敗退1勝3敗
2023 51歳16210062.6171 / 5NLDS敗退0勝3敗
2024 52歳1629864.6051 / 5WS優勝11勝5敗
2025 53歳1629369.5741 / 5WS優勝13勝4敗
通算:11年 1520944576.621-69勝48敗
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  • 2025年度シーズン終了時
  • 順位の太字はプレーオフ進出(ワイルドカードを含む)
  • 太字年は最優秀監督賞受賞年
  • WS…ワールドシリーズ、LCS…リーグチャンピオンシップシリーズ、DS…ディビジョンシリーズ

表彰

背番号

  • 52(1999年 - 2000年)
  • 10(2001年、2005年 - 2008年、2011年 - 2015年)
  • 30(2002年 - 2004年途中、2016年 - )
  • 31(2004年途中 - 同年終了)

代表歴

  • 1999年パンアメリカン競技大会野球アメリカ合衆国代表

脚注

関連項目

外部リンク

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