ハートランドヒリュ
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2歳(現表記、以下同じ)の1998年12月に[2]阪神競馬場でデビューし(8着)[3]、初勝利は翌1999年4月の未勝利戦で、8戦目での勝ち上がりだった[3]。それ以後も月1 - 3回のペースで休むことなく出走を重ね、通算4勝を挙げた。レース間隔は最大でも中6週(4回)で、連闘での出走も3回あり、デビュー以来いちども出走しなかった月は2002年11月と2005年7月のみであった。
2004年4月25日に100回目の出走を果たす[4]。2005年10月23日に122回目の出走となり、オートダービーが保持していたJRAの(サラブレッド系)最多出走回数の記録に並び[5]、2005年11月13日に京都競馬場で行われたドンカスターカップ(1000万円以下)への出走により、記録を43年ぶりに更新した[3]。
10歳を迎えた2006年も現役を続け、出走回数は127回に上った[1][2][6]。当初より本馬を管理してきた清水久雄が2月いっぱいで調教師を勇退した[7]ため、3月1日付けで河内洋厩舎に移籍[6]。当時のJRAのアラブ系種最多出走記録はトキノヒカリの128回であり[1][2][6][注 1]、順調にいけばサラブレッド系・アラブ系を通じたJRAの平地競走最多出走記録[注 2]を更新する見込みであったが、3月22日の調教中に急性心不全のため死亡[1][2][6]。3月12日に中京競馬場で行われた遠州灘特別が最後の競走となった[2][6]。
競走成績
年別成績
2003年3月の名鉄杯(中京競馬場)を最後に勝利から遠ざかった[3]ものの、121戦目となった2005年9月のHTB賞(札幌競馬場)では追い込んで[8]単勝11番人気ながら3着となる[8][3]など、展開や馬場状態が向けばまだまだ走れるところを見せていた。2005年以降に出走した17戦はすべてハンデ戦で、負担重量もすべてで50キログラムであった。
| 年 | 年齢 | 出走 回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着 | 5着 | 6着 以下 | 獲得賞金 (円) |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1998 | 2歳 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
| 1999 | 3歳 | 19 | 1 | 1 | 2 | 3 | 2 | 10 | 15,930,000 |
| 2000 | 4歳 | 20 | 2 | 6 | 5 | 2 | 2 | 3 | 52,597,000 |
| 2001 | 5歳 | 16 | 0 | 0 | 0 | 3 | 3 | 10 | 9,550,000 |
| 2002 | 6歳 | 19 | 0 | 1 | 1 | 3 | 1 | 13 | 15,913,000 |
| 2003 | 7歳 | 19 | 1 | 2 | 1 | 1 | 0 | 14 | 32,548,000 |
| 2004 | 8歳 | 15 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 15 | 0 |
| 2005 | 9歳 | 14 | 0 | 0 | 1 | 0 | 2 | 11 | 6,546,000 |
| 2006 | 10歳 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 |
| 通算成績 | 127 | 4 | 10 | 10 | 12 | 10 | 81 | 133,084,000 | |
| 芝 | 107 | 3 | 10 | 8 | 9 | 6 | 71 | 117,754,000 | |
| ダート | 20 | 1 | 0 | 2 | 3 | 4 | 10 | 15,330,000 | |
競馬場別成績
2006年時点で中央競馬を開催していた10競馬場のうち、函館競馬場・中山競馬場・新潟競馬場での出走はなかった。
| 競馬場 | 出走 回数 | 1着 | 2着 | 3着 | 4着 | 5着 | 6着 以下 | 獲得賞金 (円) |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 京都 | 44 | 1 | 3 | 1 | 3 | 3 | 33 | 30,979,000 |
| 阪神 | 31 | 2 | 2 | 1 | 3 | 3 | 20 | 30,948,000 |
| 中京 | 28 | 1 | 4 | 2 | 3 | 1 | 17 | 46,961,000 |
| 札幌 | 15 | 0 | 0 | 2 | 2 | 3 | 8 | 12,496,000 |
| 小倉 | 6 | 0 | 1 | 3 | 1 | 0 | 1 | 9,800,000 |
| 福島 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1,900,000 |
| 東京 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
対戦した競走馬
生涯127戦、格上挑戦を一度もしたことはなかったが、同じ競走を走った馬の中では、
- テイエムオペラオー(1996年生)
- タップダンスシチー[9](1997年生)
- ブランディス(1997年生) - J・GI競走
- ツルマルボーイ[9](1998年生)
- ネームヴァリュー(1998年生) - 地方交流GI競走
- アサクサデンエン(1999年生)
- ヘヴンリーロマンス(2000年生)
- ハットトリック[9](2001年生)
の8頭がGI/J・GI優勝馬に出世し、さらに37頭の平地重賞(GII10頭・GIII/JpnIII27頭、地方交流重賞含む)優勝馬と、3頭の障害重賞優勝馬がいる(2007年7月29日現在)。
本馬と同じ1996年以降に生まれたオース(1996年生)、スキャターザゴールド(1997年生)の産駒に先着したことものべ3回(2頭)ある。
血統表
| ハートランドヒリュの血統ネヴァーベンド系(ナスルーラ系) / My Babu5×4=9.375%、*プリメロ・Avena5×5=6.25%(母内) | (血統表の出典) | |||
父 ランドヒリュウ 1982 鹿毛 北海道浦河町 |
父の父 *ブレイヴェストローマンBravest Roman 1972 鹿毛 アメリカ |
Never Bend 1960 | Nasrullah | |
| Lalun | ||||
| Roman Song 1955 | Roman | |||
| Quiz Song | ||||
父の母 *ナッシングライムドNothing Rhymed 1970 鹿毛 イギリス |
Emerson 1958 | Coaraze | ||
| Empenosa | ||||
| Martinetta 1965 | Ballymoss | |||
| Martica | ||||
母 テルノワカクサ 1982 鹿毛 北海道浦河町 |
*パーソロン Partholon 1960 鹿毛 アイルランド |
Milesian 1953 | My Babu | |
| Oatflake | ||||
| Paleo 1953 | Pharis | |||
| Calonice | ||||
母の母 ハッピーベレン 1968鹿毛 北海道浦河町 |
*チャイナロック China Rock 1953 |
Rockefella | ||
| May Wong | ||||
| ナンバイチバンヒメ 1959 | トビサクラ | |||
| トップフライト (サラ系 - バイカ系) | ||||