フサイチペガサス

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欧字表記 Fusaichi Pegasus
性別
フサイチペガサス
ノーザンホースパークにある
黄金のフサイチペガサスの像[1]
欧字表記 Fusaichi Pegasus
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1997年4月12日
死没 2023年5月23日(26歳没)
Mr. Prospector
Angel Fever
母の父 Danzig
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Arthur B. Hancock III
& Stonerside Ltd.
馬主 関口房朗
社台ファーム
調教師 Neil D. Drysdaleアメリカ
競走成績
生涯成績 9戦6勝
獲得賞金 1,994,400ドル
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フサイチペガサスFusaichi Pegasus1997年4月12日 - 2023年5月23日)は、アメリカ合衆国競走馬種牡馬

来歴

1998年アメリカケンタッキー州で行なわれた「キーンランド・ジュライセール」で関口房朗が400万ドル(当時のレートで約5億6000万円)で購入。400万ドルは同じ世代では世界一の高額取引であった。

アメリカの調教師ニール・ドライスデールの元で1999年12月11日ハリウッドパーク競馬場で行なわれたメイドン(未勝利戦)でデビュー。ビクター・エスピノーザ騎乗で2着に敗れる。翌2000年1月2日サンタアニタ競馬場で行なわれたメイドンで初勝利(この時から引退レースまでケント・デザーモが騎乗)。

これを皮切りにアローワンス、G2サンフェリペステークスと連勝し、ケンタッキーダービーの前哨戦、アメリカ西海岸・アケダクト競馬場ウッドメモリアルステークスでも快勝。5月6日チャーチルダウンズ競馬場で行なわれたケンタッキーダービーでは1番人気に支持され、2分1秒12のタイムで優勝した。1番人気馬の勝利は1979年スペクタキュラービッド以来実に21年ぶりであり、また馬主の関口房朗はアジア人で初めてのケンタッキーダービー優勝馬オーナーとなった。続いてアメリカ三冠の二冠目・プリークネスステークスに出走、断然の1番人気に推されるもレッドブリット(ウッドメモリアルステークス2着馬)の2着に敗れる。この後は三冠最終戦・ベルモントステークスに向けて調整されたが、入厩していたベルモントパーク競馬場の馬房内で右前脚をぶつけて蹄を痛めるアクシデントを起こしたことから出走が見送られた。

6月末には同馬の引退後の種牡馬としての権利がアイルランドの一大牧場クールモアスタッドに世界史上最高額となる6000万-7000万ドル(約84億円)で売却されたことが発表された(それまでの最高額はシャリーフダンサーの4000万ドル)。その後は9月23日のG2ジェロームハンデキャップで復帰しこれを制したが、次走に予定したジョッキークラブゴールドカップを調教中の故障のため回避、ブリーダーズカップクラシックでは体調不良もあってかティズナウの6着と敗北。馬主の関口はこの後ジャパンカップへの出走に意欲を見せたものの、馬の体調が伴わず断念、引退となった。

戦績

出走日競馬場競走名距離着順騎手着差1着(2着)馬
1999.12.11ハリウッドパーク未勝利D6.5f 2着V.エスピノーザクビDavid Copperfield
2000.01.02サンタアニタ未勝利D6.5f 1着K.デザーモ2馬身(Spicy Stuff)
2000.02.19サンタアニタ一般競走D8.5f 1着K.デザーモ3 1/2馬身(Trubunal)
2000.03.19サンタアニタサンフェリペSG2D8.5f 1着K.デザーモ3/4馬身(The Deputy)
2000.04.15アケダクトウッドメモリアルSG2D9f 1着K.デザーモ4 1/4馬身(Red Bullet)
2000.05.06チャーチルダウンズケンタッキーダービーG1D10f 1着K.デザーモ1 1/2馬身(Aptitude)
2000.05.20ピムリコプリークネスSG1D9.5f 2着K.デザーモ3 3/4馬身Red Bullet
2000.09.23ベルモントパークジェロームHG2D8f 1着K.デザーモ3/4馬身(El Corredor)
2000.11.04チャーチルダウンズBCクラシックG1D10f 6着K.デザーモ7 1/2馬身Tiznow

種牡馬入り後

引退後はクールモアがケンタッキー州に所有するアッシュフォードスタッドで供用され、シャトル種牡馬としてオーストラリアでも種付けを行っている。2004年に産駒がデビュー。初年度産駒から2005年ブルーグラスステークス (G1) 優勝馬バンディニ、同年のハスケル招待ハンデキャップ (G1) 優勝馬ローマンルーラーを輩出している。ローマンルーラーは種牡馬として2011年ベルモントステークスを優勝したルーラーオンアイスを出し、孫の代でクラシックホースが誕生した。

また関口房朗は2004年2月にフロリダ州カルダーで行なわれた2歳セールで父フサイチペガサス、母Hidden Stormの牡馬を450万ドル(2歳馬としては当時の世界レコード)で購入。同馬はフサイチサムライ (Fusaichi Samurai) と命名され、アメリカでデビューを果たしたものの、1勝するに止まった。

産駒は日本にも輸入されており、傾向としては、父と同じくダートを得意とする馬が多い。2006年4月23日京都競馬場で行われたアンタレスステークスフィフティーワナーが勝利し、日本国内における産駒の初重賞制覇を果たした。

2020年種付けシーズン後に種牡馬を引退[2]。2023年5月23日、老衰とそれによる体調悪化のため安楽死処分となった[3]。引退後にフサイチペガサスを繋養していたアシュフォード・スタッドのゼネラルマネージャーであるダーモット・ライアンは「『フー・ペグ』は素晴らしい競走馬であり、個性豊かな性格でした。アシュフォードでの繋養中、『フー・ペグ』を最大限にケアしてくれた(種牡馬マネージャーの)リチャード・バリー氏を含め、過去から今まで彼に関わってきたチーム全員に感謝したい」とコメントしている[4]

エピソード

  • ケンタッキーダービーで実況したアメリカ人アナウンサーがFusaichi PegasusのFuが発音しづらいため、実況前に「正しいフサイチの発音法」なる研修が急遽行われたが、本番でもうまく発音できず、やむなく「フ〜サ〜イ〜チ〜」と実況している。発音のしづらさから馬名を省略して「フーペグ」と呼ばれた[5]
  • フサイチペガサスの黄金像は、関口の会社に展示されていたが、2006年に関口がノーザンホースパークに寄贈し、現在もノーザンホースパークで展示されている[6][7]
  • ケンタッキーダービーを制覇した日の表彰式において、関口は舞妓の集団も連れて来たと一部の記事で報じられた[8]
  • 競走馬としてデビューする前は一部の関係者から「スーパーマン」と呼ばれていた[5]
  • ドライスデールから「実際のところ調教するのが難しい馬でしたね。暴れん坊でエネルギーが有り余っていました。毎日なにか違うことをしなければなりませんでした。ほとんどの馬はルーティンを好むものですが、彼はそうではなかったですね」と評された[9]
  • 2023年5月25日時点において「最高価格のケンタッキーダービー馬、フサイチペガサスが26歳で死亡(アメリカ)[生産]」という記事で「ケンタッキーダービー優勝馬の1歳や2歳の落札額で400万ドルは最高価格であり、実際のところ100万ドルを超えた馬は他にいない。さらにケンタッキーダービーの出走馬の中でさえも、フサイチペガサスは最高価格馬なのだ。」と解説された[5]

主な産駒(主な勝鞍)

ブルードメアサイアーとして

血統表

脚注

外部リンク

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