プラナカン料理
シンガポールにて中華料理とマレーシア料理とが混淆して生まれたシンガポールの伝統料理
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概要
特徴
シンガポールやマレーシアで「プラナカン風」「ニョニャ風」と冠する料理は、調理技術が高く評価されるハイグレードな料理という認識がある[4]。
プラナカン料理は「中国の調理法とマレーシアの食材、香辛料との結婚」と言われることがある[4]。
プラナカン料理におけるマレーシア系の要素を以下に例示する。
プラナカン料理のいくつかは、マレーシア料理のようでもあるが、明確な区別としてはプラナカン料理には豚肉が使用されることもあるという点が挙げられる[4]。マレーシア料理と同じ料理名のプラナカン料理もあるが、スパイスの違いから、その味は異なる[5]。
逆に中華料理の影響が色濃いものとしてチャプチャイ、ポピアなどが挙げられる[4]。
また、イギリスの植民地時代の影響も見受けられる[4]。プラナカン料理のフライドチキンであるインチー・キャビン(Inchee Kabin、Inchi Kabin)にはイギリス生まれのウスターソースが用いられている[4]。日本占領の影響と推測される料理もあるが、はっきりとはしていない[4]。
シンガポール
1980年代の半ば、シンガポール政府は〈記憶の共有〉が同じ国民という感覚に重要と認識した[6]。この国は1965年にマレーシアより分離独立して建国から歴史が浅いため、国民の各民族コミュニティの歴史をシンガポールの歴史につなぐことで、より深遠な「国のルーツ」を作ろうとしたのである[6]。
なかでも注目されたのが「料理」であり、この国民国家よりも歴史の古い食物が数多くあった[6]。こうしてプラナカンおよびプラナカン料理という、それまでの公式の歴史言説では周縁化されるか無視されてきたものが、注目されるようになった[6]。
シンガポールのプラナカン料理店
プラナカン料理店の宣伝には、ケバヤやサロンという衣装を来たプラナカン女性の画像が多用される[7]。料理店はしばしばプラナカンの伝統的な店舗スタイルを模して、1階で店舗を営み2階を住居にしている[7]。店舗ではプラナカン料理に用いる台所用具や食材を陳列し、ケバヤやサロンを着た女性が客を出迎え給仕を行い、プラナカンの磁器食器に盛り付けた料理や、茶を出している[7]。
料理店では、販売戦略、生存戦略として「伝統的な」プラナカン料理に改良を加えている[7]。例えばアヤム・ブアクルアは、チキンカレーにパンギノキの実(ブアクルア)を入れるのが伝統的なレシピであるが、名前は同じ「アヤム・ブアクルア」と称しながら、料理名にもなったこの苦い実を省く代わりにエビや豚挽肉を加えた一皿を提供するレストランもある[7]。
シンガポールでの国民料理化
シンガポール政府観光局は2001年にプラナカン料理を「シンガポール固有の料理にもっとも近い」(the closest Singapore has to an indigenous cuisine)と宣伝し、これを受けて同料理を出す料理店も「本物の伝統的な海峡華人の料理」(authentic and traditional Straits Chinese cuisine)と広告を打つようになった[7]。
このように、シンガポールの国民料理を創成するにあたって、プラナカン料理は不可欠な役割を担っていると言える[7]。
プラナカン料理は上述のように民族や文化の混成性の象徴として利用できるほか、プラナカンのコミュニティ規模がシンガポールでは小さく、他の民族コミュニティのヒエラルキーに及ぼす影響が少ない[7]点を反映して、この料理はシンガポール国民の過去を想起させるのに役立つと言える[7]。
実際に、シンガポールは対外的にもプラナカン料理を宣伝し、2010年の上海国際博覧会に出展したシンガポール館では、ラクサ、パイティー、チキンカレーといったプラナカン料理を提供してベストセラーとなった。同年、中華人民共和国に展開したケンタッキー・フライド・チキンで、カレー味の「ニョニャ鶏手羽先」(Nyonya chicken wing)を売り出して、ケバヤとサロンを着た女性が宣伝に用いられている[7]。
シンガポール政府観光局は2011年、シンガポール料理を広めるプロジェクトにインターナショナル・エンタープライゼス・シンガポールと取り組むと、「シンガポール・テイクアウト」(Singapore Takeout)という企画を立て、委嘱を受けた著名シェフはロンドンやパリ、香港や上海、モスクワやシドニー、あるいはデリーやドバイに派遣されてラクサやエビカレー、ポピアなどを食べさせた。こうして国外においてもプラナカン料理がシンガポールを代表する料理であるとの認識が広まっている[7]。
