ケバヤ
From Wikipedia, the free encyclopedia

ケバヤもしくはクバヤ(マレー語: Kebaya)は東南アジア、特にインドネシア、マレーシア 、シンガポール、ブルネイ、タイ南部などの女性が伝統的に着用する上衣。フィリピン南部やカンボジアの一部でも着用されている。
伝統的には絹、木綿、麻などのガーゼ、レース、ボイル(Voile)などの軽量の生地で作られ、前開きで刺繍が施されることもある。フロントはボタン、ピン、ブローチのいずれかで留められ、下衣としてはサロン、ケンベン、カインなどを着用し、バティック、イカット、ソンケット(Songket)など長い布を腰の周りまたは脇の下に巻きつけるが西洋式スカートを組み合わせる場合もある。
歴史
ケバヤの最古の形式は、既存の女性用ケンバン(Kemban)を新たに採用したイスラム教に合わせて控えめで許容できるように貴族の女性の胴体を包み調和するための手段とした、ジャワ島のマジャパヒト王国の宮廷に由来する。アチェ王国、リアウ、ジョホール王国、スマトラ北部ではより洗練された君主が社会的な地位の表現手段としてジャワスタイルのケバヤを取り入れた。[3]ケバヤの名称はとくにインドネシアに上陸したポルトガル人によって特定の衣服の名称として示されている。15世紀から16世紀にかけてインドネシア人女性によって着られ、ケバヤはブラウスタイプのものと結び付けられていった。1600年からジャワ島では王室などの上流階級のみがケバヤを着ることが優先し尊ばれ、身分の低い人々の多くは男女とも上半身は裸同然の姿で公然と歩いていた。交易や外交、社会的な相互作用によって、マラッカ、バリ島、ボルネオ島、スラウェシ島、スールー王国、ミンダナオ島などにゆっくりと自然に周辺地域にケバヤは広がっていった。[4][5][6]今日知られているジャワのケバヤは1817年にトーマス・ラッフルズによって言及されている。後の数百年間、宗教的な文化変容で衣類は高度に地域化された民族文化、芸術性、仕立て伝承の表現となった。最古の今日知られるケバヤの写真での証拠は1857年からでジャワのペラナカン・ユーラシアンスタイルであった。[3]
ケバヤの構成
今日知られている典型的なジャワのケバヤの構成は1817年にラッフルズが言及したものと変わっていない。[7][8] 綿のブラウス、絹とレース、錦かビロードのブラウスが中央の合う部分でブローチによって留められているが、伝統的なケバヤは前面にボタンがない。3ピースのkerongsang は基になるkerongsang ibuと二つの kerongsang anakで構成されている。 kerongsang のブローチは金や宝石で作られ、上流階級や貴族の社会的地位が示されるが、普通の人々や農婦などはシンプルでごく普通のケバヤで安全ピンで留められている。ブラウスは共通に半透明でkembenを着用するか布を胴に巻く。下はスカートをはくか、余裕のある約3メートルの布地のカインを巻く。