ヘルシリア
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またはホスティウス・ホスティーリウス
アオッリウス(アウィリウス)
| ヘルシリア Hersilia | |
|---|---|
| ローマ王妃? | |
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『サビニの女たち』の中のヘルシリア(ジャック=ルイ・ダヴィッド画) | |
| 配偶者 |
ロームルス またはホスティウス・ホスティーリウス |
| 子女 |
プリーマ アオッリウス(アウィリウス) |
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紀元前753年8月に行なわれたとされるサビーニー女性の略奪でローマに略奪された女性のうち唯一の既婚女性であった。
ヘルシリアは略奪ののちロームルスの妻となったとする説が一般的だが、ホスティウス・ホスティーリウスの妻になったとする説もある。ホスティーリウスの妻となったとする伝承では、第3代のローマ王トゥッルス・ホスティーリウスはホスティーリウスとヘルシリアの孫であるとされる。
サビーニー女性の略奪に対し、その被害を受けた諸勢力はローマに戦争を挑んだ。しかし、すぐに戦争を仕掛けたカエニーナ、アンテムナエ、クルストゥメリウムなどの都市はローマによって各個撃破された。このときヘルシリアは、略奪された女性たちの懇願を受け、ロームルスに対して敗れた女性たちの家族をローマに受け入れるよう要請した。ロームルスはその要望を聞き入れた。
略奪の被害を受けたうち最も強力であったサビーニー人は、クレースの王ティトゥス・タティウスによって率いられ、他の勢力とは異なり準備を重ね戦争を仕掛けた。その結果ローマは、タルペーイアの裏切りなどもありカピトーリウムを失い、パラーティウムを残すのみとなった。
カピトーリウムに布陣したサビーニー人とパラーティウムのローマ人との戦いは、2つの丘の間にある後のフォルム・ローマーヌムの辺りで行なわれた。この戦いは激戦で、ローマの指揮官として前線で戦っていたホスティウス・ホスティーリウスも命を落としている。しかしこの戦いは、略奪された女性たちが突如両軍の間に入ったことによって停戦を迎える。父と夫との間の戦いを止めるよう訴えた女性たちの懇願を受けて両軍は和解し、一つの市民となることを誓った。
その後のローマはティトゥス・タティウスをもう一人の王としてを迎えるも、間もなくタティウスは殺害され、その後はロームルス一人が王として支配した。ヘルシリアはロームルスとの間に、娘プリーマと息子アオッリウス(アウィリウス)をもうけたという。
紀元前715年(または紀元前716年)7月7日にロームルスは死ぬと、クゥイリーヌスとして神になったとされる。オウィディウスの『変身物語』によるとユーノーから使わされたイーリスに導かれ、ヘルシリアもまたクィリーナーリスで女神ホーラとなり、天上でクゥイリーヌスの妻になったという。
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