ベアルン (空母)

From Wikipedia, the free encyclopedia

建造所 ラ・セーヌ造船所
艦種 空母
ベアルン
ベアルン, 1937年
ベアルン, 1937年
基本情報
建造所 ラ・セーヌ造船所
運用者  フランス海軍 自由フランス海軍
艦種 空母
級名 ノルマンディー級
前級 フードル
バポーム[1]
次級 ジョッフル級
クレマンソー級
艦歴
起工 1914年1月10日
進水 1920年4月15日
就役 1927年5月
最期 1967年3月21日にスクラップとして処分
その後 1923年8月より航空母艦へと改設計。
要目
基準排水量 22,146トン
常備排水量 27,951トン
満載排水量 28,400トン
全長 182.6m
水線長 170.6m
最大幅 35.2m
水線幅 27.1m
吃水 8.7m
満載:9.3m
飛行甲板 176.8m x 21.38m
機関 パーソンズ高速型直結タービン2基
&三段膨張式四気筒レシプロ機関2基
ボイラー ド・テンム ノルマンディー式重油専焼水管缶12基
出力 37,500shp
(タービン:22,500shp
+巡航用レシプロ:15,000shp)
推進 4軸
最大速力 21.5ノット[2]
燃料 石炭:900トン(常備)、1,800トン(満載)
重油:300トン
航続距離 10ノット/7,000海里
18ノット/4,500海里
乗員 875名
兵装 Model 1920 15.5cm(50口径)単装速射砲8基
Model 1927 7.5cm(60口径)単装高角砲6基
(1935年:Models 1927 10cm(45口径)単装高角砲6基に換装)
Model 1933 3.7cm(50口径)連装機関砲4基
Model 1929 13.2mm(76口径)単装機銃16丁
55cm水中魚雷発射管単装4基
装甲 舷側装甲:83mm(水線部)
甲板:25mm(飛行甲板)、70mm(主甲板装甲)
主砲ケースメイト:70mm(最厚部)
搭載機 40機以上[3]
テンプレートを表示

ベアルンフランス語: porte-avions Béarn[注釈 1]は、フランス初の航空母艦[5]ノルマンディー級戦艦として建造が始まったが[6]第一次世界大戦で建造が中止され[7][注釈 2]ワシントン海軍軍縮条約により戦艦から空母に艦種変更した軍艦である[8][注釈 3]。名の由来は、当時スペインとの国境地帯にあったベアルン州(現在のピレネー=アトランティック県)から。

1923年(大正12年)8月より空母への改装を開始し[10]、1927年(昭和2年)5月に竣工[11]。初期の航空母艦としては高い完成度をもっていたが[12]海軍休日時代のフランス海軍が保有していた空母は[13]、本艦だけであった[14][注釈 4]。 さらに明確な運用方針をもっていなかった[16][注釈 5]海軍航空隊艦載機の問題もあり[注釈 6]、総合力としては列強各国の空母に大きく見劣りした[21]第二次世界大戦ではフランス海軍ヴィシー軍[注釈 7]ヴィシー政府[注釈 8]自由フランス海軍に所属し[注釈 9]、大戦を生き延びた[26]。その後は航空機輸送艦や練習艦として使用され、1967年(昭和42年)に解体された[27]

超弩級戦艦ノルマンディー級戦艦5番艦として、ラ・セーヌ=シュル=メール造船所で建造[注釈 10]。1914年(大正3年)1月10日に建造がはじまったが[29]第一次世界大戦の勃発により陸戦兵器の生産が優先されたので、姉妹艦やリヨン級戦艦と共に建造中止になった[30][31]。第一次世界大戦終結後の1920年(大正9年)4月15日に進水。その状態で放置された[29]。フランスの戦後政策により、ノルマンディー級やリヨン級戦艦の建造計画は流動的になっていた[注釈 11]

1922年(大正11年)2月にワシントン海軍軍縮条約が締結され、ノルマンディー級戦艦が「戦艦」として日の目を見る機会は失われる[33][15]。しかし建造途中の戦艦もしくは巡洋戦艦を航空母艦に改装して保有することが軍縮条約で認められたため、フランスはベアルンを改造対象に選んだ[9]1923年(大正12年)8月1日より、ベアルンは航空母艦へと改装されることとなった[3]

戦艦から空母への改造先例としては[34]チリ海軍むけに建造中の戦艦アルミランテ・コクレンを買収し[35][36]、空母に改造したイギリス海軍の2万2,000トン級空母イーグルが存在する[37][注釈 12]

ワシントン軍縮条約により戦艦(巡洋戦艦)から空母に改造された例としては[12]巡洋戦艦として建造中に空母に改造された日本海軍の赤城[40]、戦艦から空母になった加賀[41][注釈 13]レキシントン級巡洋戦艦より改造されたレキシントン級航空母艦が該当する[43][44]

なお、ワシントン軍縮条約の規定により[45]、フランスとイタリアは6万トンの空母保有枠を認められた[46][47]。フランスは枠内でベアルンを戦艦から空母に改造したが、まだかなりの枠が余っていた[10]

1935年(昭和10年)6月に英独海軍協定[48]によってドイツは38,500トンの空母保有枠を獲得し[49][注釈 14]グラーフ・ツェッペリン級航空母艦2隻の建造を開始する[51][注釈 15]。対抗策としてフランスはジョッフル級航空母艦を建造することにした[54]。1番艦ジョッフルは1938年(昭和13年)11月に起工したが、第二次世界大戦の勃発とフランスの敗北により、完成度約3割で解体された[55]。同級2番艦パンルヴェと同級3番艦は未起工のまま建造中止になった[55]

建造思想

1928年に撮影されたベアルン。

ノルマンディー級戦艦を改造した空母であるため、全幅の広い船体形状であったことから高速を出しにくい[56]。さらに航空母艦への改設計時に問題が生じた。本来の設計では、11,250馬力タービン4基(合計出力45,000馬力)4軸推進であった[57]。第一次世界大戦の戦訓により航続距離を伸ばすため、その内2基を低速巡洋時に燃費のよい三段膨張式四気筒レシプロ機関2基(合計15,000馬力)に変更した[58]。このため合計馬力37,500馬力となり、最高速力21.5ノットとなった[57]。ベアルンが竣工した時期は小型低速の複葉機が主流であり、21ノットでも充分であった[57]。だが艦載機の大型化が進むと、発艦時に必要となる速力が足らなくなった。

しかし、フランス海軍は本艦の改設計前に、フードルを筆頭に水上機母艦や通報艦バポーム[1]で得られたアイディアや運用実績を参考にしながら、独自の設計や機構を具体化し、ベアルンに搭載した。これらのアイディアの何例かは列強各国の空母で既に実装されていたが、フランス独自のアイデアも散見され、後の空母の標準形態となった[59]

  • 飛行甲板に装甲を施す:全通式飛行甲板は、事実上世界最初の航空母艦アーガス (1918年9月就役) や[60][61]戦艦から空母になったイーグル[62]、1923年7月就役) [63]で実現している。ベアルンの全通式飛行甲板は、薄いながらも25ミリの装甲を施している点が特徴的である[64]
  • 島型艦橋(アイランド)と一体化した煙突:イギリス海軍は空母イーグルとハーミーズ[65]、艦橋と煙突が一体化した島型艦橋を採用した[66][67]レキシントン級航空母艦もこれに倣ったが[68]、ベアルンの場合は島型艦橋が飛行甲板の右舷側から舷外にはみ出し、舷側にふくらみを設けて支えている[69][注釈 16]
  • 島型艦橋の煙突(排煙処理):島型艦橋と一体化したベアルンの煙突(煙路)には、海水を利用した水噴霧式煤煙冷却装置が内蔵されている[73]。排煙に水を噴霧して煙を重くして冷却し、乱気流の発生を妨げる[64]。着艦時の搭載機の視界を妨げにくい[73]。フューリアス方式を採用して排煙処理に悩まされ、試行錯誤を重ねた赤城や加賀と対照的である[74]。のちに日本海軍の空母もこの方式を採用した[75]
  • 鋼索横張り式の着艦制動装置:最初期の空母はイギリスが採用した縦張り式に倣ったが[76][77]、ベアルンは世界に先駆けて横張り式を採用した[59]。当初はイギリス方式の縦張り式を採用したアメリカ海軍と日本海軍も、1930年(昭和5年)にフランスのシュナイダー社がフュー式横索式着艦制動装置を開発するとこの方式に切り替え[78]、最終的に世界の主流となった。
  • 空母として最初にエレベーターを装備したのはアーガスであり[79]、その後の世界各国空母もエレベーター2基が通例であった[80]。ベアルンでは、建造時からエレベーターを3基もうけていた[81]。これは緊急発進時の作業効率向上のためであった。多段式空母の赤城と加賀はエレベーター2基だったが[82]、近代化大改装のあとエレベーターを3基に増やしている[83][84]

設計年時が古いために旧世代な設計も見られる。

  • 水上機運用のためのグースネック(鴨の首)英語版型クレーンの装備[85]。なお第二次世界大戦直前に建造された新世代空母ジョッフルも、艦尾に水上機運用や飛行甲板搬入用の巨大クレーンを装備している[86]
  • 対水上艦艇攻撃のため、艦体側面(舷側)に中口径砲を搭載した[87]。初期の空母が対水上艦戦闘を考慮して中口径砲を装備するのは、世界的時流であった[88][注釈 17][注釈 18]。ベアルンの特徴は、艦首の両舷水面下に水中魚雷発射管を装備した点である[85]
  • 低速力。戦艦から空母に改造された加賀[41]は最大速力23ノット[93][94](本当は25ノット以上)[95]、戦艦から空母になったイーグルも最大速力24ノットだったが[96]、ベアルンはさらに低速の22ノットであった[97][56]

艦形

飛行甲板

障害物のない飛行甲板。

紆余曲折を経て完成した本艦の飛行甲板長は縦176.8m×幅21.38m。飛行甲板先端(艦首)は、船体の形状に沿って細くなってゆく[98]。飛行甲板最後部(艦尾)は、海に向かって傾斜している[99]。飛行甲板には25ミリの装甲が貼られていた[64]。 上面から見て3基の横長のエレベータを、飛行甲板の前部・中部・後部に1基ずつ設けた。このエレベータは全て形が違っていた。

竣工直後の着艦制動装置はフランス独自の鋼索横張り式の着艦制動装置を装備していた。当時、イギリス海軍に採用されていた鋼索縦張り式よりも安全に着艦でき、後に世界各国の航空母艦が同形式を採用した事からも本艦の先進性がうかがえる。

飛行甲板の下には密閉型の格納庫が設けられていたが、一部の機は分解して収納した。このため艦載機を全て使用する時は、分解してある部品を台車で運んでから組み立てる必要があった。防火扉もあり、飛行機の組み立て場と修理工場に区分されていた[注釈 2]

アイランド

1935年に撮影されたベアルン。(1935年)
1945年10月、輸送作戦の途次でセイロン島に寄港したベアルン。

初期の航空母艦は、空母アーガス[101]ラングレー[102]に代表される平甲板型(フラッシュデッキ型)と[103][104]、空母イーグルならびにハーミーズを元祖とする、艦橋と煙突を舷側にあつめた島型(アイランド型)に大別できる[105][106][107]。 ベアルンは島型艦橋(アイランド)を採用している[108]。艦橋は飛行甲板の邪魔にならないように右舷側に張り出しを設け、そこに配置されていた[11][109]。張り出しの基部には前述の海水利用の煤煙軽減装置が組み込まれており、さらに煙路冷却用のスリットが設けられていた。この基部の上に前部に箱型の艦橋を基部として簡素な単脚式のマスト、楕円筒型の煙突を組み込む先進的な構成となっている。

アイランド後方の飛行甲板に、水上機運用のためのグース・ネック型クレーンが後向きに1基配置していた[85]。艦載機の積み込みや艦載艇の運用にも使用する[85]。艦載艇は、舷側部に2本1組のボート・ダビッドを置き、平時は必要分をこれに吊るした。さらに船体後部にもこのボート・ダビッドを片舷3組ずつ計6組配置し、艦載艇を吊っていた。

舷側の前後部には、主砲の「Model 1920 15.5cm(50口径)速射砲」が舷側ケースメイト配置で、片舷4基ずつ計8基が配置されていた。この時期から、大型艦を中心に高角砲の搭載が始まっており、本艦にも「Model 1927 7.5cm(60口径)高角砲」が砲弾の断片防御程度の防盾を被せられた上で前部ケースメイト後方の舷側部に、前向きに片舷2基ずつと、飛行甲板後部に後向きに1基の計6基が装備されている。これらの高角砲は1935年に配置を変更せず新型の「Models 1927 10cm(45口径)高角砲」6基に更新された。船体中央部に「Model 1933 3.7cm(50口径)機関砲」が連装砲架で片舷2基ずつ計4基配置されている。他に上部構造物上に「Model 1929 13.2mm(76口径)機銃」が、単装砲架で16丁装備されていた。このほか対艦攻撃用として、船体の水面下に55cm魚雷発射管を単装で片舷2基ずつ、計4基を配置していた[87]

武装

主砲、備砲兵装の詳細

1940年代に撮られた「ベアルン」。

主砲は新設計の「Model 1920 15.5cm(50口径)速射砲」を採用した。砲身は当時の最新技術である自緊型砲身を採用し、製造にいち早く成功したものである。砲の旋回・俯仰動力はフランス軍艦伝統の電動方式を採用しており、竣工当時から艦橋の上部に射撃方位盤が取り付けられ、方位盤管制による効果的な射撃が可能になった。その性能は重量56.5kgの砲弾を仰角40度で25,000mまで届かせることができた。 俯仰能力は仰角40度・俯角5度で、旋回角度は140度の旋回角度を持つ。装填形式は自由角度装填で発射速度は人力装填のため毎分3~5発であった。

他に、対空兵装として「Model 1927 7.5cm(60口径)高角砲」が採用された。この砲はロングセラーで、続く「シュフラン級」と戦利巡洋艦にも搭載された。その性能は重量5.93kgの砲弾を仰角40度で14,100mまで、最大仰角90度で高度8,000mまで届かせることができた。 砲身の俯仰能力は仰角90度・俯角10度で、旋回角度は左右150度の旋回角度を持っていたが実際は遮蔽物に制限された。装填形式は自由角度装填で、発射速度は人力装填のため毎分8~15発であった。これらは後に「Models 1927 10cm(45口径)高角砲」へと換装された。この砲身の俯仰能力は仰角85度・俯角10度で、旋回角度は360度の旋回角度を持っていたが、これも実際は遮蔽物に制限された。装填形式は自由角度装填で発射速度は人力装填のため毎分10発であった。

他に近接対空火器としてオチキス社製の「Model 1933 3.7cm(50口径)機関砲」が採用された。その性能は重量0.725kgの砲弾を仰角45度で7,175mまで、最大仰角80度で高度5,000mまで届かせることができた。 砲身の俯仰能力は仰角80度・俯角15度で、旋回角度は360度の旋回角度を持っていたが実際は遮蔽物に制限された。装填形式は自由角度装填で発射速度は機力装填のため毎分30~42発であった。これを連装砲架で4基を搭載した。他に同じくオチキス社の「Model 1929 13.2mm(76口径)機銃」が、単装砲架で4丁が載せられた。対空武装が大人しめに感じられるが、本級が竣工した時代はまだ航空攻撃が確立していない為、設計に盛り込まれていないという背景がある。

搭載機

ベアルンの予定搭載機数は約40機であった[15][14]。主翼に折り畳み構造を持つ艦上機の場合、50機程度可能とみられる[110]。 第一次世界大戦後、フランスの航空政策は混乱した[111]フランス海軍海軍航空隊が運用した艦上機は、海軍休日が終わろうとする1935年(昭和10年)以降になると、アメリカ海軍日本海軍の使用機体に比べて見劣りするようになった[112]。世界大戦の気配が漂うなか、フランス海軍は技術研究を兼ねてアメリカの航空機輸入を決断する[20]。艦上機の一部は、フランス国産で開発・製造する方針であった[112]

攻撃機

就役時のベアルンに配備されたのは、ルバッスール社英語版フランス語版複葉機であった。まず艦上攻撃機PL 2英語版 (Levasseur PL 2) 、偵察機のPL 4 (Levasseur PL 4) が配備された。PL2の後継機としてPL 7 (Levasseur PL 7) が登場し、ベアルンに配備された。

その後、フランス海軍は空母で運用する小型輸送機の開発に乗り出した。ポテーズ社 (Potez) のポテーズ 56英語版フランス語版に着艦装置をとりつけ、ポテーズ56E型として1936年(昭和11年)頃にベアルンで着艦訓練をおこなった。

単座式艦上爆撃機ロアール・ニューポール LN.401英語版フランス語版は、世界水準の能力をもっていた[113]。フランス海軍は1937年(昭和12年)に先行試作型7機の生産をニューポールSNCAO)に命じ、1939年(昭和14年)に36機の量産を命じた[113]。ベアルンに2個の急降下爆撃中隊(24機)が配備予定であり、陸上基地で訓練を開始した[114]。ところが1940年(昭和15年)5月10日にドイツ軍のフランス侵攻がはじまり、LN.401部隊は地上支援のため連日出撃して全滅した[114]

次世代のジョッフル級航空母艦のため、国営企業SNCAOSNCAO CAO.600英語版フランス語版双発爆撃機/雷撃機を開発した。だが1940年(昭和15年)3月21日に試作機が初飛行をおこなった段階であり、独仏休戦協定締結までに量産できなかった。

1939年(昭和14年)9月の第二次世界大戦勃発時、アメリカ海軍はカーチス社が開発した複葉機のSBC ヘルダイヴァーを装備していた[115]。フランス海軍はSBCに目をつけ、カーチス社に90機を注文した[116]。納期までに90機を揃えるのは無理と判断したカーチス社は、在庫や予備機をかきあつめて50機を確保し、フランスに引き渡す[116]。ベアルンはSBC多数を搭載して大西洋を航行中に、祖国の降伏という事態に遭遇した[117]

第二次世界大戦勃発時、アメリカ海軍の新鋭艦上爆撃機は、ヴォート社が開発したSB2U ヴィンディケイターだった[118][注釈 19]。ヴォート社はSB2Uの輸出型を開発し、これがフランス海軍の興味を引く[118]。SB2Uのフランス輸出型はV-156とよばれ、ベアルンに配備予定だった。フランスは降伏までに約90機を発注したが、フランス本国に配備されたのは34機にすぎなかった[118]。V-156はフランス空軍に引き渡され、1940年(昭和15年)5月10日からのフランス侵攻で地上支援のために出撃した[118]

戦闘機

就役時のベアルンに配備された艦上戦闘機は、ウィボー社英語版フランス語版ウィボー7英語版フランス語版を空母搭載用に改修したウィボー74フランス語版であった。 続いてデヴォアティーヌ社D.371を艦上機型に改修したD.373が納入された。

1930年代後半、フランス空軍は主力戦闘機をモラーヌ・ソルニエ M.S.406から、D.520に更新しようとしていた。D.520の艦上機版をD.790と呼ぶが、実用化されなかった。

艦上戦闘機としてフランス海軍が目をつけていたのが、グラマン社F4F ワイルドキャットだった。1939年(昭和14年)12月、フランス海軍とグラマン社はベアルンとジョッフル級2隻のためにワイルドキャット81機を購入する契約を交わした[119]。フランス向けのF4F-3は「G.36A」と呼ばれ、エンジンをライトR-1820へ換装し、武装をフランス製7.65mm 4丁にするなど、仕様が変更されていた[120]。計器はメートル表記だったという[121]。G.36Aは1940年(昭和15年)5月2日に初飛行に成功したが、直後にフランスが降伏して行き先がなくなり、イギリス海軍に引き渡されてマートレット(Martletアマツバメをモチーフにした伝説の鳥)と呼ばれた[116]

艦歴

1927年4月から6月にかけて、グルドゥ=ルセールGL.22ET.1練習機を用いて着陸試験を行うベアルン

フランス軍は第一次世界大戦で何隻かの水上機母艦を投入した[注釈 2]。つづいてアラス級通報艦英語版フランス語版バポーム (Bapaume) 」に飛行甲板を設置したが、小型すぎて外海での運用ができず、発艦練習用として用いられた[注釈 20]

空母への改装が検討された1920年、パイロットのポール・テスト少佐がフランス海軍史上初めて、臨時に設営されたモックアップではあったが甲板上への離着陸を成功させた。

ベアルンは、竣工後に欧州最新鋭の航空母艦として運用されていた[59]。当初は搭載機の多くが複葉機であったために、低速の空母でも離着艦できた。しかしベアルンの性能は、次第に航空機の大型化・重量化などの進化に対応できなくなった。またフランスの国内事情により、航空機の開発も遅れがちであった[122]。フランスはロンドン海軍軍縮条約に部分参加だったことから、新世代戦艦(ダンケルク級リシュリュー級)や補助艦艇(巡洋艦、通報艦、駆逐艦、潜水艦)に関しては比較的順調に充実しつつあった[123][124]。ところがフランス海軍航空隊の有力な飛行機搭載母艦は[125]、ベアルンと[20]、水上機母艦コマンダン・テストの2隻しかなかった[126][注釈 21]

1936年(昭和11年)になるとドイツが19,000トン級空母2隻[50]グラーフ・ツェッペリン級)を建造することが判明し[注釈 15]、フランス海軍はジョッフル級航空母艦を複数隻建造することで対抗した[54]。ベアルンはジョッフル級に一線を譲り、航空機輸送や戦時の船団護衛に使用することとされた。この経緯から「ジョッフル」級の就役まで、逆に一線に留まる事が確実となる。

1936年(昭和11年)7月以降のスペイン内戦で、フランス艦隊の航空支援を実施した。

1939年(昭和14年)9月からはじまった第二次世界大戦初期、いわゆるまやかし戦争Phoney War)において、ドイツ海軍は、連合国軍のシーレーン攪乱を狙って通商破壊艦(ポケット戦艦[128]仮装巡洋艦Uボート)を大西洋に放った。ベアルンは、それに対応する英仏海軍部隊の一つ、L部隊に属してドイツ艦の捜索にあたった(イギリス海軍の任務部隊一覧[129]。さらにフランス海軍は、本艦とダンケルク級戦艦2隻および軽巡洋艦や大型駆逐艦で襲撃部隊を編成していた。当時のフランス海軍が保有する唯一の空母であったベアルンは[124]、大規模な海戦に参加する機会もなく、フランスとアメリカ間の航空機輸送任務に従事した[115]

1940年(昭和15年)5月、ベアルンはフランス空軍向けの航空機輸送任務に従事していた[114]。5月10日よりドイツ軍のフランス侵攻がはじまり、ベアルン搭載予定の急降下爆撃中隊は地上支援で全滅する(上述)[130]。6月15日、アメリカへ発注した航空機の輸送をおこなうため、ベアルンはカナダハリファックスに入港した[131]カーチスSBC-4爆撃機多数、カーチスH75A-4戦闘機ベルギー向けのバッファロー戦闘機 (B-339B) 6機などを搭載する[131][注釈 22]。6月16日、練習巡洋艦ジャンヌ・ダルク[132]とともに出港した[133]。だが大西洋を航行中にドイツ軍侵攻によるフランス本国の情勢が急変し、6月22日に独仏休戦協定が結ばれる[117]。ベアルンはカリブ海マルティニークへ行き先を変え、27日に到着した[133]。本艦が搭載していた航空機は同地で陸上に移され、結局スクラップとなった[133]

6月22日の独仏休戦協定締結により、フランス本国はドイツ占領地区自由地域に分割され、フランス海外植民地の大部分はヴィシー政権を支持した。西インド諸島のフランス領マルティニークは、戦略的に重要な場所であった(マルティニークの歴史[134]。 ベアルンなどはマルティニークにとどまり[23][135]ヴィシー軍英語版フランス語版として、アメリカ海軍中立国)やイギリス海軍(連合国)の艦艇と睨み合う[注釈 8]

1941年(昭和16年)12月上旬に太平洋戦争が勃発、アメリカ合衆国連合国として参戦するという事態を迎えた[133]。アメリカは、カリブ海のフランス植民地とベアルン以下在泊艦隊に圧力をかける[24]。1942年(昭和17年)5月以降、アメリカとの協定で不稼働状態となった[注釈 23]。 これ以降、マルティニーク諸島で遼艦と共に逼塞していた[137]。5月から7月にかけて、ベアルンを故意に座礁させる工作がおこなわれた。 7月、マルティニーク諸島はヴィシー政権から離反した[注釈 24]。 ベアルンはフランス解放勢力に編入されたが、低速のため航空機運搬艦として運用されることになる[139]。アメリカ合衆国に回航されることになり[注釈 9]、そこで修理を実施した。同年12月からニューオーリンズのトッド造船所で改装工事が行われた[140]。以後は自由フランス海軍の艦艇として、航空機の輸送に従事したとされる[141]

1945年(昭和20年)3月13日、航空機(SBD ドーントレスP-47 サンダーボルトP-51 ムスタング)や兵員輸送任務に従事中、C3型貨物船マカンドリューと衝突して損傷した。7月末まで修理をおこなった。

自由フランス海軍が第二次世界大戦終結までに保有していた空母は、ベアルンと[142]、イギリス海軍から提供された護衛空母アーチャー級)のバイター[143](フランス側は「ディズミュド/デュズミュード」と改名)だけだった[144][145]

1945年(昭和20年)8月15日に日本ポツダム宣言受諾、9月2日に降伏文書に調印すると、日本軍の仏印処理によって混乱に陥っていたフランス領インドシナの情勢が激変した。ベトナム民主共和国独立を宣言し、局地的な戦闘状態になった[146]フランス共和国臨時政府の立場も危うくなる(第一次インドシナ戦争[147]。戦艦リシュリュー、軽巡洋艦グロワール、大型駆逐艦ル・トリオンファンなどと共に、極東海域に派遣された。ベアルンは、イギリスから貸与されたスピットファイア、アメリカから貸与されたベル社P-63やカーチス社のヘルダイバーなどを輸送した[27][注釈 25]。 同年12月、ベアルンはシンガポールからインドシナまで上陸用舟艇20隻を運んだほか[149]、1946年(昭和21年)3月のハイフォン上陸作戦では零式水上偵察機などを輸送している[150]。 1948年(昭和23年)前半、ベアルンは航空機輸送艦としても活動を終えた[27]。その後はツーロンで繋留され教育訓練艦、潜水艦乗員宿泊艦等として使用され、1967年に除籍[151]。イタリアで解体された[151]

出典

参考文献

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI