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ペギー葉山

日本の歌手、タレント(1933-2017) From Wikipedia, the free encyclopedia

ペギー葉山(ペギー はやま、本名:森 シゲ子(もり シゲこ)[注 1]、旧姓:小鷹狩 シゲ子(こたかり シゲこ)、1933年11月9日 - 2017年4月12日)は、日本の女性歌手、タレント。社団法人日本歌手協会7代目会長(後に名誉会長)。

出生名 小鷹狩 繁子
(こたかり しげこ)
生誕 (1933-11-09) 1933年11月9日
死没 (2017-04-12) 2017年4月12日(83歳没)
概要 ペギー 葉山(はやま), 基本情報 ...
ペギー 葉山(はやま)
ひまわり社『それいゆ』第23号(1952)より
基本情報
出生名 小鷹狩 繁子
(こたかり しげこ)
生誕 (1933-11-09) 1933年11月9日
出身地 日本の旗 日本・東京市四谷区
(現・東京都新宿区)
死没 (2017-04-12) 2017年4月12日(83歳没)
学歴 青山学院女子高等部
(現・青山学院高等部)
ジャンル ジャズ
歌謡曲
職業 歌手
タレント
活動期間 1952年 - 2017年
レーベル キングレコード
事務所 東和商会太田事務所
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東京都新宿区出身。青山学院女子高等部(現・青山学院高等部)卒業。1952年にキングレコードよりレコードデビュー。

生涯

東京・四谷に生まれる。生まれたのは1933年11月9日だが、当時同居していた祖父が出生届を引き出しに入れたまま出し忘れたことから、戸籍上の出生日は1933年12月9日となった。このことから幼少時は誕生日プレゼントを2度貰っていた。

幼少時から歌が好きだったことから、青山学院中学部(現・青山学院中等部)在学中に内田るり子に師事し声楽を習い、音大進学を志す。しかし次第にFEN放送(現・AFN)から流れるアメリカのポピュラー音楽へ関心を深めていき、青山学院女子高等部(現・青山学院高等部)2年の時に映画『我が道を往く』を観た際、劇中で主演のビング・クロスビーが歌う「アイルランドの子守唄」に感動、クラシックからポピュラー・ジャズへの転向を決意。

ほどなく友人の紹介から進駐軍のキャンプで歌い始め、その歌声とセンスを見込んだティーブ・釜萢の口利きで、当時の一流ビッグバンドである渡辺弘とスター・ダスターズの三代目専属歌手として活躍する。

1954年10月6日、日劇「秋の踊り」

学校卒業後の翌1952年11月にキングレコードから「ドミノ/火の接吻」を発売し、レコードデビュー。1954年には「第5回NHK紅白歌合戦」(NHK総合・ラジオ第1)に紅白歌合戦初出場を果たす。渡辺弘とスター・ダスターズの専属解除後の1955年2月には初渡米。各地で歌い、盛況を博す。

1958年、ミュージカル『あなたの為に歌うジョニー』で芸術祭個人奨励賞受賞。翌1959年には「南国土佐を後にして」の空前の大ヒットで、ジャズ/ポピュラー界だけではなく歌謡界においても、その地位を不動のものにする。

1960年、オーストラリア/ゼネラルテレビの招きで、テレビ番組『今宵のメルボルン』に1か月間レギュラー出演する。

同年の8月にはロサンゼルスの日米修好百年祭に日本人代表として招かれる。この際にミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』を鑑賞。帰国後、自身の作詞で同ミュージカルの劇中歌「ドレミの歌」を葉山自身の訳詞で紹介した。葉山の訳詞・歌唱による「ドレミの歌」はNHK「みんなのうた」でも使用され、音楽の教科書にも掲載されるなど、国民に広く知られている。

しかし、生来病弱であったことに加え、その人気による過密スケジュールから、1963年の春に気胸を患い半年間の療養を余儀なくされたが、病気療養中に「ラ・ノビア」「爪」もヒットしたことも幸いし、ブランクをものともせず無事復帰した。また、復帰翌年の1964年には「学生時代」がロングセラーとなり、人気の健在ぶりを示した。

トリオ・ステレオの雑誌広告より。
手にしているのはフランク・チャックスフィールドのアルバム"The New Ebb Tide(引き潮)"。『スイングジャーナル』1966年1月号(スイングジャーナル社)

1965年に俳優の根上淳と結婚、1968年には長男を出産している。甥はROUTE 66とTHE CHAPPYSでボーカルを務めた森雅裕であり、THE CHAPPYSがデビューする際に雅裕は葉山の自宅へ挨拶に赴き、彼が持参したレコード会社の企画書に目を通しデビューを喜んだ。根上とは、芸能界きってのおしどり夫婦で知られ、1998年に根上が糖尿病の合併症から来る脳梗塞で倒れてから2005年に亡くなるまで歌手業の傍ら在宅介護を続けた。

1966年の「第17回NHK紅白歌合戦」(NHK総合・ラジオ第1)では、紅組司会を務める。ただし、歌手として出場することはできなかった。これは、当時のNHKの「例え歌手であっても司会に専念してもらう」という方針のためである(九重佑三子も同様)。

タレントとしての活動も多くこなし、知られているものではNHK紅白歌合戦の紅組司会(1966年の「第17回NHK紅白歌合戦」)や「歌はともだち」(NHK総合)の司会に、「ひらけ!ポンキッキ」(フジテレビ)のしつけコーナー、「ウルトラマンタロウ」(TBS)のウルトラの母の人間体である緑のおばさんとしても知られる。

1974年には司馬遼太郎に続き、2人目となる高知県名誉県人の称号を贈られた[1]。また、葉山が歌手生活60周年を迎えた2012年には高知市のはりまや橋公園に「南国土佐を後にして」の歌碑が設置され、葉山も除幕式に出席した[2]。よさこい祭りの全国コンクール(毎年8月12日)においては、葉山の名前を冠したペギー葉山賞が優秀チームに贈賞されている。

1991年、『It's Been A Long Long Time』(キングレコード)の録音でハンク・ジョーンズ、ケン・ペプロウスキーと共演した。

1995年に紫綬褒章、2004年には旭日小綬章[3]をそれぞれ受章。

2007年6月からは、青木光一の後を継ぎ、社団法人日本歌手協会7代目初の女性会長に就任し、2010年6月末日まで務めた。一般社団法人移行後は理事職。2014年6月には、田端義夫・青木光一に次ぎ3人目となる名誉会長に就任している。

2010年に発売した「夜明けのメロディー」(ラジオ深夜便のうた)は、『ラジオ深夜便』(NHKラジオ第1・FM)で初オンエアされて以来リスナーを中心に高く評価され、1971年発売の「雲よ風よ空よ」以来約40年ぶりのオリコンチャートインを果たす快挙を成し遂げた。また、登場回数も30回にせまりロングランも記録している。そのほか、NHK「みんなのうた」などでも歌声を聴かせている。

歌手としての活動のほか、日本歌手協会役員としての業務、亡夫の介護体験をもとにした講演など多方面で活動。デビューから60年を迎えてもなお、第一線で活躍し続けた。

2017年4月12日午前11時55分、肺炎により東京都内の病院で死去[4]。83歳没[5]。墓所は取手市弘経寺。

死去に先立つ1月4日から毎月第1水曜日付のデイリースポーツと西日本スポーツに聞き書き連載「人生はケ・セラ・セラ」の連載を開始していたが、訃報を受けて5月3日に掲載を予定していた分を死去翌日の4月13日付に、あらかじめ取材したものが前倒しで掲載された。

前記の通り、『ウルトラマンタロウ』に出演していたことから、訃報を受けてウルトラシリーズのファンから故人を悼む声が多数上がった[6]ほか、ウルトラの母の実子であるウルトラマンタロウ / 東光太郎役の篠田三郎が「スタッフや出演者にお菓子か何かを作ってきてくださった」「その後も偶然出会うことが多く、縁を感じた」「東京では桜が散り始めていますが、一つの大輪の花が散ってしまった」などと故人のあたたかな人柄や撮影当時のことを追悼の意と共に明かしている[7][8]。

芸名の由来

"ペギー"は友人宅の混線電話がきっかけで親しくなったテレホン・フレンドのアメリカ人から「君の声はペギーという感じだ」と言われたことから、"葉山"は進駐軍廻りの際に一緒にアルバイトしていた学生に「長谷川一夫にフランク・シナトラ…芸能人にとって、ハ行は縁起がいい。」と言われ、「確かにその通り。ペギーだけでは苗字が無いし、それなら何か…」ととっさに思いついたのが葉山であったことからである。ただ、芸名の由来となったペギーの愛称を付けたアメリカ人とは一度も会ったことがないそうである。

当時、巡業などで地方へ行くとペギー葉山ではなく、ペリー葉山、ペンギン葉山、ペジー葉山といった誤記が多数あった。

人物

好角家であり、砂かぶり席で観戦している様子が、度々NHKの大相撲中継の際に確認されていた。

戦前からの宝塚歌劇の大ファンで特に葦原邦子とは葦原ママと慕い、親子のような親しい関係を築いていた。

家系

父方・小鷹狩家の先祖は広島藩主・浅野家の家老職を勤めたこともあった[9]。また、母方の祖父は白虎隊の生き残りである[10]。なお父方の叔母は能楽師・粟谷益二郎(粟谷家は元広島藩お抱え能楽師であった)と結婚し、粟谷菊生の母となったのでペギーと粟谷はいとこ同士になる[11]。

両親も広島の出身で[12]、戦争中、父方の実家がある広島に疎開する予定だったが、直前に父・明が「広島の近くは呉という軍港もあるし、海の近くより山奥の方が安全だろう」と急遽集団疎開に切り替え、福島県石城郡大野村(現・いわき市)に疎開し原爆被災を免れた[9][12][13]。しかし父方の祖父は被爆死し原爆投下1か月後に白骨化した状態で発見された[14]。

楽曲に関して

代表曲「学生時代」(平岡精二作詞・作曲)は自身の学生時代がモデルである。当初曲名は「大学時代」だったが「自分は大学へは行っていないから」と現在のタイトルへと改めてもらった。同歌の歌詞中に出てくる「蔦のからまるチャペル」とは、青山学院青山キャンパス内にある国の登録有形文化財のベリーホール内にあるチャールズ・オスカー・ミラー礼拝堂のことである。同建物の前には、「学生時代」の歌碑が2009年に建立され、葉山も除幕式に出席している。

訳詞も手がけ、後に音楽の教科書にも掲載されるなど広く親しまれている「ドレミの歌」について、葉山は後に「(『サウンド・オブ・ミュージック』の)第1幕終了後の休憩時間に、客が皆ロビーで「ドレミの歌」を口ずさんでおり、その光景を見ながら『この歌に日本語の詞を付け、お土産に持ち帰ろう』と思わずにはいられなかった」、「終演後、劇場の売店で購入したヴォーカルスコアとオリジナルのLP盤を大事に抱えて、ホテルにまっしぐらで帰り、辞書と原譜とにらめっこ。先ずドレミの『ド』はドーナツのド。幼い頃大好きだった母の手作りおやつが浮かんで、戦時中の集団疎開で空腹な時、一番食べたかった。最高のおやつでした。子供の好きな食べ物でまとめよう!そう思いますが、『ファ』で行き詰まりました。発想を転換し、易しく考えてみたら、浮かびました。そうだ、『ファ』ではファイト、『シ』は幸せ、出たア!『ドレミの歌』の誕生です。今も摩天楼に朝の光が差し込む風景を覚えていますよ。」と語っている[15]。

「ドレミの歌」の歌詞は当初、すべて食べ物にしようとしていたが(ミはミカンなど)、「ファ」で始まる食べ物がファンタ(炭酸飲料)しか思いつかず、商品名(商標名)になるため断念した[16]というエピソードがある。また、2番の詞は、レコード化される際に新たに付け加えられたものであり、葉山が東北地方へコンサートに出かけた際に、車窓から小学校で運動会の予行演習をしていた子供たちの姿を見て、歌詞にしたものである[16](英語原詞には2番は存在しない)。

「ドレミの歌」の日本語詞を作詞したことが縁となり、1995年(平成7年)11月25日放送のNHK BS2のテレビ番組「世界・わが心の旅」で、当時存命中であったトラップ家の人々との対面が実現した[17][18]。

作曲家の古賀政男とは家が隣同士であったことから家族ぐるみで交流があった。1968年、長男の誕生祝いに古賀は曲を書き下ろし贈ったが当時はレコード会社の違いなどの事情もあり、世に出すことは叶わず譜面も紛失し幻の曲となっていた。しかし古賀の生誕100年の年だった2003年に葉山が書棚を整理した際に発見、曲は『天使のための子守唄』これをコンサートで披露したところ、好評であったことに加え、当時クリアできなかった権利問題もクリアできたことからCD化されている。

作品

シングル

すべてキングレコードより発売

  • バラの刺青/純愛のワルツ(1956年8月、EA-1)
  • もしも君を愛したら/トゥ・ラヴ・アゲイン(1956年8月、EA-4)
  • ケ・セラ・セラ/ノッテーラ・ラ・ルー(1956年11月、EA-7)
  • ブルース歌って/いとしのシンディ(1957年4月、EA-15)
  • アナスタシア/枯葉(1957年6月、EA-17)
  • 魅惑のワルツ/ママ・ギター(1957年11月、EA-23)
  • タミー/愛情の花咲く樹(1958年2月、EA-28)
  • 四月の恋/いとしのヴァレンタイン(1958年3月、EA-33)
  • 愛の調べ/ビギン・ザ・ビギン(1958年6月、EA-39)
  • チューチュートレイン/すばらしき恋(1958年7月、EA-45)
  • ヘルナンドス・ハイドアウェイ/ヘイ・ゼァー(1958年9月、EA-52)
  • 年頃ですもの/バリハイ(1958年10月、EA-56)
  • 風は知らない/ラヴ・ラヴ・エヴリボディー(1958年11月、EA-63)
  • 忘れ得ぬ今宵/爪(1959年2月28日、EB-155/EB-7004)
  • 愛の誓い/自由の大地(1959年4月、EA-79)
  • 南国土佐を後にして/ドクトル・ジバンヌ(1959年4月10日、EB-164/EB-7006)
    • 200万枚を越す大ヒット。発売からほぼ1年で約100万枚を売る大ヒット[19]。第40師団歩兵第236連隊の歌のリメイク
  • ママ/トウア~あなたのもの~(1959年6月、EA-87)
  • よさこい時雨/城ケ島の雨(1959年8月10日、EB-200)
  • 五つの銅貨/デリシャス(1959年11月30日、EA-105)
  • ユンタ恋しや懐かしや/島原地方子守唄(1960年1月2日、EB-267)
  • 夏の日の恋/ワルスイング・マチルダ(1960年6月、EA-110)
  • オルフェの歌/アイ・ラヴ・パリス(1960年7月10日、EA-113)
  • 生きる/カリーナ(1960年8月31日、EA-114)
  • モッチャベン/南の島の(1960年10月、EC-57)NHK連続放送劇「黄金孔雀城」主題歌
  • 忘れな草/かわらぬ愛を(1961年3月10日、EA-122/SEA-7)
  • 愛するために愛されたい/エンブレイサブル・ユー(1961年5月20日、EA-125/SEA-9)
  • 南部牛追いうた(A面:高英男/根来の子守歌)(1961年5月20日、EB-499/SEB-10)
  • ごりがん人生/調子をそろえてクリッククリッククリック(1961年7月20日、EB-7039/SEB-23)
  • 栄光への脱出/ルーシーのテーマ(1961年8月10日、EA-127)
  • さよならをもう一度/トゥナイト(1961年11月20日、EB-7053)
  • 渚の子守唄/ナポリの青い風(1961年12月10日、EB-7054)
  • 琵琶湖周航の歌/二つの岸(1962年2月1日、EB-653)
  • 三色すみれ/この世で娘ほどステキなものはない(1962年2月28日、EB-7083)
  • 夜は帰って来ない/ラヴ・アンド・マリッジ(1962年5月、EB-7089)
  • ちいさいあの日に帰りたい/はねたりとんだり(友竹正則と)(1962年6月20日、EB-733)
  • 大人とこども(庄司淳と)/ドレミのうた(1962年7月10日、EB-7114)
    • A面:(原題はフランス語: L'Homme et l'Enfant)- エディ・コンスタンティーヌとタニア・コンスタンティーヌが歌った同名映画の主題歌のカバー。「大人と子供」とも表記される。原曲の歌詞は大人の男性と子供の対話だが、ペギー版はママと子供の対話になっている。
    • B面:映画『サウンド・オブ・ミュージック』より、日本語訳詞も自身の手によるもの。もともとは「大人とこども」のB面だが、A面をはるかに凌ぐ大ヒット。「ドレミの歌」「ドレミの唄」とも表記される。『みんなのうた』でも使用された
  • 恋をさがしてる私/三つの恋(1962年7月31日、EB-678)
  • 愛のセレナード(コメ・セレナータ)/あなたの胸に抱かれる時は(1962年8月10日、EB-7115)
  • 泣きぬれて(泣いている花嫁)/いとしい人(1962年9月20日、EB-7134)
  • 今宵こそ/すべてはバラ色に(1962年11月20日、EB-7154)
  • だまって愛して/アル・ディ・ラ(1963年2月20日、EB-7182)
  • やさしいやさしい雨でした/あなたはだれ(1963年3月、EB-828)
  • 調子をそろえてクリック・クリック・クリック/町の小さな靴屋さん(1963年3月10日、EB-7195)
  • 酒とバラの日々/牧場のわが家(1963年5月10日、EB-7200)
  • ロビーの子守唄/黒い瞳に青い空(1963年10月1日、EB-7234)
  • まほろばの国/あの人のシルエット(1964年1月、EB-1015)
  • フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン/悲しみがいっぱい(1964年1月20日、EB-7253)
  • ドンナ・ドンナ/行こうよ、ボタニイベイ(1964年3月、EB-7256)
  • ドミニク/のぼれ丘の道を(1964年3月10日、BS-7002)
  • 南国土佐を後にして/よさこい時雨(1964年5月、EB-1088、再発)
  • ムーン・リバー/アズ・タイム・ゴーズ・バイ(1964年5月1日、HIT-3001)
  • 指のほてり/私のショール(1964年6月1日、BS-13)
  • ラ・ノビア/爪(1964年6月1日、BS-7015)
  • 道はとこしえに/キラ星の中に(1964年7月10日、BS-7024)
  • 知らなかった/アモール、モン・アムール、マイ・ラヴ(1964年7月20日、BS-7030)
  • ラ・マンマ/チャオ・チャオ・バンビーナ(1964年9月20日、BS-7045)
  • ひとりのための子守唄/シェルブールの雨傘(1964年12月1日、BS-7056)
  • 鏡/学生時代(1964年12月10日、BS-144)
  • アモーレ・ミオ/ナポリは恋人(1965年2月1日、BS-7069)
  • ウォーク・アウェイ(想い出は涙だけ)/1+1は2(1965年3月10日、BS-7075)
  • 秘密/モアー(1965年4月10日、BS-7087)
  • ウンパッパ/次郎物語(1965年4月20日、BS-7091)
    • A面:映画『オリバー!』より、『みんなのうた』でも使用された
  • チム・チム・チェリー/ひとりぽっちの羊飼い(1965年7月10日、BS-7103)
  • 愛への祈り/祖谷の粉ひき唄(1965年8月20日、BS-285)
  • ドレミの歌/ひとりぽっちの羊飼い(1965年11月1日、BS-7125)
  • はねたりとんだり(友竹正則と)/(A面:楠トシエ、ひばり合唱団/おーい体操だい)(1965年12月10日、BS-348)
  • イルモンド(限りなき世界)/二人を許して(1966年2月1日、BS-7129)
  • 愛は限りなく/嵐ヶ丘によせる愛のテーマ(1966年4月20日、BS-7137)
  • 愛してあげて/そして今は(1966年9月1日、BS-7151)
  • 雨に消えた恋/しあわせの涙(1966年10月1日、BS-508)
  • 君について行こう/メイム(1966年11月20日、BS-7159)
  • 悲しみは星影とともに(B面:アンサンブル・リオンソー/悲しみは星影とともに)(1966年12月1日、BS-7157)
  • 愛のわかれ/孤独の太陽(イン・マイ・ルーム)(1967年4月20日、BS-7165)
  • わたしの鏡/哀愁のローマ(1967年7月1日、BS-671)
  • 飛騨の子守歌/母さんの歌(1967年8月10日、BS-691)
  • バラは恋してる/夜に抱かれて(1968年1月20日、BS-758)
  • ウンパッパ/調子をそろえてクリック・クリック・クリック(1968年4月1日、BS-7173)
  • 愛の花咲く時/この恋に生きて(1968年6月20日、BS-7177)
  • バラにとげがあるように/むなしさのバラード(1968年11月1日、BS-918)
  • チキ・チキ・バン・バン(友竹正則と)/お山の子守歌(1968年12月10日、BS-7180)
  • 熱い想い出/立ちどまっちゃいけない(1969年2月1日、BS-954)
  • ニンナ・ナンナ/雨(1969年6月1日、BS-7182)
  • 愛の贈りもの/悲しい道(1969年9月1日、BS-1039)
  • 南国土佐を後にして/よさこい時雨(1969年9月20日、BS-1056、再発)
  • 夜明けのドライブイン/わたしは生きる,朝のように(1970年3月1日、BS-1155)
  • 許されぬ恋/ユー・アンド・アイ(1970年5月1日、BS-1208)
  • パンのマーチ(東京少年少女合唱隊と)(B面:西六郷少年少女合唱団/トレロカモミロ)(1970年6月1日、ES(H)-1005)NHK「みんなのうた」
  • こっちをむいて/恋は鳩のように(1970年8月1日、BS-1240)
  • 赤い山青い山白い山(B面:楠トシエ(語り)、ひばり児童合唱団/おやゆびひめ)(1970年8月20日、ES(H)-50)学芸会レコード
  • 島原地方の子守唄/ユンタ恋しや懐しや(1970年9月1日、BS-1254、再発)
  • とてもとても/鏡(1970年10月1日、BS-1269)
  • 雲よ風よ空よ/登れ丘の道を(1971年1月20日、BS-1312)オリコン85位、2.4万枚
  • ケ・セラ・セラ/オー・マイ・パパ(1971年2月20日、BS-1336、再発)
  • ドミノ/キス・オブ・ファイヤー(1971年2月20日、BS-1337、再発)
  • ラ・ノビア/爪(1971年9月1日、BS-1424、再発)
  • ドレミの歌/ひとりぽっちの羊飼い(1971年9月1日、BS-1425、再発)
  • 秋よおまえなら/歩くということは(1971年9月20日、BS-1434)
  • 白い天使/雨だれの子守唄(1972年1月10日、BS-1457)
  • どこからきたのか(キミとボク)/恋よまわれ(1972年5月25日、BS-1548)
  • 小さな木の実/木の葉くん(1972年6月10日、BS-1556)
  • しあわせの詩/マイ・ウェイ(1972年9月10日、BS-1592)
  • わかれ/田園風景(1973年3月25日、BS-1654)
  • シング/失われた愛を求めて(1973年6月10日、BS-1696)
  • 学生時代/爪(1973年6月25日、BS-1710、再発)
  • あなたは花嫁/水たまり(1973年9月10日、BS-1754)
  • 白い風にのって/冒険コロポックル(1973年10月5日、TV(H)-12)よみうりテレビ放映「冒険コロポックル」
  • しあわせの黄色いリボン/ギリシャの恋(1973年12月25日、BS-1786)
  • 二人だけのパーティー/想い出のキャンパス(1974年6月25日、BS-1843)
  • わたしの旅/春の雪(1975年2月10日、BS-1883)
  • はまなすの恋/もしもあの町へ行ったら(1975年8月25日、BS-1947)
  • 裏窓/哀しみのロンド(輪舞)(1976年8月21日、GK-36)
  • 切手のないおくりもの(B面:ボニー・ジャックス/生きるものの歌)(1977年4月21日、TV(H)-31)NHK「歌はともだち」
  • にぎやかな日々/あわせ鏡(1978年2月5日、GK-163)
  • ラ・ノビア/ドレミの歌(1978年3月21日、GK-2030、再発)
  • 南国土佐を後にして/よさこい時雨(1978年4月21日、GK-2031、再発)
  • 学生時代/爪(1978年4月21日、GK-2032、再発)
  • ぶどうの国/甲斐の金山節(大塚文雄と)(1978年6月21日、GK-222)
  • キャンパス通り/海とふたりで(1978年11月5日、GK-262)
  • 星になりたい/天使のララバイ(1980年1月21日、GK-370)
  • 子どもの世界(杉並児童合唱団と)(B面:ボニー・ジャックス/ソーラン節)(1980年3月21日、GK-7021)
  • 言葉がうれしかった/今ごろどうかな(1980年10月5日、K07S-52)
  • 去年の今頃は/あつい想い出(1982年1月21日、K07S-256)歌手生活三十周年記念盤
  • もう一度ロマンス/金曜日の三番街(1982年10月21日、K07S-347)
  • ちょっと旅してみませんか/俺らの船は300屯(1983年6月21日、K07S-413)
  • 南国土佐を後にして/学生時代(1984年3月21日、K07S-2824、再発)
  • ラ・ノビア/爪(1984年3月21日、K07S-2825、再発)
  • シャンソン~ひとりの歌い手がいた~/サン・トワ・ミマミー(1984年11月5日、K07S-655)
  • ケ・セラ・セラ/ドレミの歌(1985年1月21日、K07S-2861、再発)
  • 花/歌ある限り(1987年1月21日、K07S-10153)

アルバム

オリジナル・アルバム

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枚 発売日 タイトル 備考/規格品番
キングレコード
1st 1960年 南国土佐を後にして LKF 1065
2nd 1963年 My Favorite Songs ─ペギーの歌日記─ SKJ 1013 / KC 29 / FL 31134
3rd 1964年 ペギーのクリスマス SKK 42
4th 1965年 鏡 〜ペギー、平岡精二を歌う〜 SKK 64
5th 1966年 ママとよい子のアルバム SKK 173
6th 1967年 ペギーのファミリーショー SKK 368
7th 1970年 ハッシャバイ ─ペギーの子守唄─ SKK 641
8th 1971年 雲よ風よ空よ SKD 64
9th 1973年 ふるさと 東日本編 SKW 51〜52
10th 1973年 クラシック・ラヴ・サウンズを歌う SKA 51
11th 1974年 心の窓に灯を SKD 209
12th 1976年 雨あがりの恋人たち SKA 161
13th 1978年 日本の旅情 SKS 26
14th 1979年 ペギーと歌おう 世界の子供のうた
  • SKA 260
  • 国際児童年記念盤
15th 1979年 恋歌 ─万葉の心を求めて─
16th 1983年 PEGGY'S MUSIC GEMS
  • K28A-416
  • 前田憲男プロデュースによるジャズ・アルバム
17th 1987年 What A Wonderful World 〜歌ある限り〜 K28A 821
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ライヴアルバム

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発売日 タイトル 備考/規格品番
1970年 愛のおくりもの ─ペギー葉山リサイタル─
  • SKK 890
  • 1969年12月6日サンケイホールにて収録
1972年 リサイタル マイ・ウェイ SKD 107
1975年 わたしの旅 ─ペギー葉山リサイタル─ SKA 103
1982年 我が心に歌えば ─ありがとう30年─(ペギー葉山・オン・ステージ) K20A-255
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企画アルバム

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発売日 タイトル 備考/規格品番
1960年9月 ひらけ!ポンキッキ
  • SKM(H)2229
  • 以下楽曲にて参加
    • おたまじゃくしは元気な子
    • 手のうた
    • 星がルンラン
    • 未来へつづくポンキッキ
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NHK紅白歌合戦出場歴

1966年の第17回NHK紅白歌合戦は紅組司会を務めたが、当時のNHKの意向により出場歌手には非選出。また、1967年の第18回NHK紅白歌合戦も妊娠中だったため出演していない。

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年度/放送回 回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1954年(昭和29年)/第5回初月光のチャペル09/15笈田敏夫(1)
1955年(昭和30年)/第6回2マンボ・イタリアーノ07/16笈田敏夫(2)
1956年(昭和31年)/第7回3ケ・セラ・セラ13/25山形英夫
1957年(昭和32年)/第8回4シャンテ・シャンテ21/25旗照夫(1)
1958年(昭和33年)/第9回5年頃ですもの19/25笈田敏夫(3)
1959年(昭和34年)/第10回6南国土佐を後にして12/25フランク永井(1)
1960年(昭和35年)/第11回7マンマ25/27フランキー堺
1961年(昭和36年)/第12回8ブリア12/25フランク永井(2)
1962年(昭和37年)/第13回9トゥナイト20/25アイ・ジョージ
1963年(昭和38年)/第14回10女に生れて幸せ21/25旗照夫(2)
1964年(昭和39年)/第15回11ラ・ノビア15/25フランク永井(3)
1965年(昭和40年)/第16回12学生時代18/25ボニージャックス
1968年(昭和43年)/第19回13愛の花咲くとき03/23千昌夫
1989年(平成元年)/第40回14南国土佐を後にして(2回目)第1部に出演(対戦相手なし)
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(注意点)

  • 1989年の紅白第1部は、「紅白40年特別企画」として行われたものである。従って、通常の紅白歌合戦とは異なる取り扱いがなされており、曲順も男女交互という形ではなかった。
  • 対戦相手の歌手名の()内の数字はその歌手との対戦回数を表す。
  • 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
  • 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。

NHKみんなのうた出演歴

▲はラジオのみの放送、△はNHK衛星第2テレビ(現 - BSプレミアム)の『なつかしのみんなのうた』での放送。★は現時点で映像素材がアーカイブ保存されていない楽曲、☆は視聴者提供による保存された楽曲[20]。

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初放送 曲目 コーラス 再放送
1961年(昭和36年)12月 - 1962年(昭和37年)1月赤鼻のトナカイ★東京放送児童合唱団(なし)
1962年(昭和37年)2月 - 3月かあさんの歌
(1962年版)
(なし)2003年(平成15年)12月 - 2004年(平成16年)1月
2006年(平成18年)8月8日△
2006年(平成18年)10月15日△
2007年(平成19年)1月1日△
1962年(昭和37年)6月 - 7月ドレミの歌★音羽ゆりかご会2021年(令和3年)4月▲
1962年(昭和37年)8月 - 9月アイルランドの子守唄★[21]ヴォ―チェ・アンジェリカ(なし)
1962年(昭和37年)10月調子をそろえてクリック・クリック・クリック西六郷少年少女合唱団2022年(令和4年)1月▲
1963年(昭和38年)2月 - 3月小さな靴屋さん★[22](なし)2019年(平成31年)2月 - 3月▲
1963年(昭和38年)9月走ろう子馬よ★[23]東京放送児童合唱団2020年(令和2年)8月 - 9月▲
1964年(昭和39年)2月 - 3月回転木馬★西六郷少年少女合唱団(なし)
1964年(昭和39年)4月 - 5月五月のうた★(なし)
1964年(昭和39年)10月 - 11月フルーツサラダの歌★[24]2022年(令和4年)10月 - 11月▲
1964年(昭和39年)12月 - 1965年(昭和40年)1月木ぐつをはいて(サボをはいて)★[25]西六郷少年少女合唱団(なし)
1965年(昭和40年)4月 - 5月ウンパッパ★東京放送児童合唱団2018年(平成30年)10月 - 11月▲
2021年(令和3年)3月▲
1965年(昭和40年)8月 - 9月トム・ピリビ★(1965年版)(なし)(なし)
1966年(昭和41年)8月 - 9月ひなげし☆[26]大阪放送児童合唱団2015年(平成27年)2月 - 3月▲
1969年(昭和44年)12月 - 1970年(昭和45年)1月パンのマーチ東京少年少女合唱隊(詳細)
1973年(昭和48年)6月 - 7月算数チャチャチャヤング101(詳細)
1974年(昭和49年)6月 - 7月ひげなしゴゲジャバル(なし)(詳細)
1994年(平成6年)4月 - 5月みどりの星[27]タンポポ児童合唱団2024年(令和6年)10月 - 11月▲
2012年(平成24年)6月 - 7月とんとんとん(なし)2019年(令和元年)6月 - 7月(リクエスト)
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出演は全19回で、ソロ歌手としては天地総子の全22回に次ぐ。


出演

吹き替え

CM

受賞歴

著作

脚注

外部リンク

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