第40師団 (日本軍)
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1939年(昭和14年)6月30日に軍令甲弟21号により編成下令[注釈 1]、善通寺の留守第11師団の担当で編成され中国戦線に投入、同年10月2日の大陸命弟371号により華中の第11軍戦闘序列に編入、咸寧・武昌方面の警備に当たる一方、1940年(昭和15年)5月からの宜昌作戦、1941年(昭和16年)1月からの予南作戦、同年9月からの第一次長沙作戦、第二次長沙作戦に参加した。
1942年(昭和17年)4月18日にドーリットル空襲があり、爆撃したB-25が中国に着陸したことをきっかけに浙贛作戦が実施されると、これにも参加した。1943年(昭和18年)2月には、江北殲滅作戦に参加。なお同年3月には山砲兵第40連隊を山砲兵第31連隊として第31師団に転用し、以後砲兵力を欠いての作戦遂行を強いられることとなった。
1944年(昭和19年)4月から大陸打通作戦に参加、湘桂作戦にて6月10日に益陽を、7月9日に金蘭寺を攻略した。粤漢作戦では、4組の挺進隊が1945年(昭和20年)1月3日から次々と潜行を開始し粤漢鉄道の各所に達し、師団主力が1月18日に行動を開始、27日には南側から侵攻してきた第104師団と連絡、ほぼ無傷で粤漢鉄道を確保することに成功、一時曲江に駐屯した。
その後更に南下し第23軍隷下華南・広東に移駐、広東(マカオ近辺)に展開して連合軍の中国南部上陸に備えていたが、同年4月に連合軍が沖縄に上陸するなど戦局の変化により広東から上海方面に向け移動を開始、支那派遣軍直轄師団となり、まだ日本軍の支配地域であった南昌に入ったところで終戦を迎える[注釈 2]。
師団概要
年表
部隊歌
- 南国土佐を後にして(歩兵第236連隊の歌)
- 作詞・作曲:不詳(女学生の慰問袋に入っていた歌とのこと)
南国土佐を後にして 中支へ来てから幾歳ぞ
思い出します故郷の友が 門出に歌ったよさこい節を
土佐の高知のはりまや橋で 坊さんかんざし買うをみた
よさこい よさこい
月の露営で焚き火をかこみ しばしの娯楽のひとときを
わたしも自慢の声張りあげて 歌うよ土佐のよさこい節を
みませ見せましょ浦戸をあけて 月の名所は桂浜
よさこい よさこい
国の父さん室戸の沖で 鯨釣ったと言うたより
わたしも負けずにいくさのあとで 歌うよ土佐のよさこい節を
言うたちいかんちやおらんくの池にゃ 塩吹く魚が泳ぎよるよさこい よさこい
戦後、「中支」を「都」に変え、1953年~1954年頃に丘京子が、1955年に民謡歌手の鈴木三重子がレコードに吹き込んだ。そして1959年にはペギー葉山が歌い大ヒットした。