マイケル・バレット
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |
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| 出身地 | ジョージア州アトランタ |
| 生年月日 | 1976年10月22日(49歳) |
| 身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 215 lb =約97.5 kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 捕手 |
| プロ入り | 1995年 ドラフト1巡目 |
| 初出場 | 1998年9月19日 |
| 年俸 | $3,500,000(2008年) |
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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| 国際大会 | |
| 代表チーム |
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| WBC | 2006年 |
この表について
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マイケル・パトリック・バレット(Michael Patrick Barrett、1976年10月22日 - )は、ジョージア州アトランタ出身の元プロ野球選手(捕手)。右投右打。
高校時代は遊撃手としてプレイし、全米ジュニア代表チームに選出されている[1]。1995年のドラフトでモントリオール・エクスポズから1巡目(全体28位)で指名され入団。同年はルーキー級で遊撃手としてプレイ。1996年、A級では同じ守備位置に競争相手がいて、機敏性が欠けていることを理由に未経験の捕手へコンバートさせられた[1]。
1997年はA+級でフロリダ・ステートリーグのベストナインに選出された。バレットは捕手へ順応し、プロ入り後に三塁手から捕手へ転向した「ボブ・ブーンの再来」とも言われるようになった[1]。1998年はAA級で自己最高の打率.320・18本塁打・84打点を記録したが、クリス・ウィジャーがメジャーでレギュラー捕手として出場していたため、球団からは三塁手転向を通告された[1]。9月19日に三塁手としてメジャーデビュー。
2001年以降は捕手として出場し、2003年シーズン後の12月15日にオークランド・アスレチックスにトレードされ、同日にはシカゴ・カブスにトレードされた[2]。2005年にシルバースラッガー賞を受賞し、2006年にはワールド・ベースボール・クラシックでアメリカ代表としてプレイした。
2006年5月20日、シカゴ・ホワイトソックスとの試合においては、ホームベース付近で交錯した走者A・J・ピアジンスキーに逆上して顔面を殴り、10試合の出場停止と罰金が課された。更に、2007年6月1日のアトランタ・ブレーブス戦では、自身のパスボールと暴投で得点を許し、先発カルロス・ザンブラーノの怒りが頂点に達してしまい、ザンブラーノとベンチやクラブハウスで殴り合いをした。その後、6月20日に1対2+金銭のトレードでパドレスに移籍した[2]。
2006年、当時チームメイトであったデレク・リーの娘ジャーダがレーバー先天性黒内障を患い、失明の危機にあることが判明し、同病気を根絶させるための「プロジェクト3000」を立ち上げ、バレットは同団体へ5万ドルの寄付と本塁打1本につき1万ドルの追加寄付を発表した。
2008年12月28日、トロント・ブルージェイズとマイナー契約。
2010年にニューヨーク・メッツ傘下マイナーでプレーしたのを最後に現役を引退した。