マイケル・ヤング (内野手)

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生年月日 (1976-10-19) 1976年10月19日(49歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
200 lb =約90.7 kg
マイケル・ヤング
Michael Young
レンジャーズでの現役時代
(2009年4月27日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ロサンゼルス郡コビーナ
生年月日 (1976-10-19) 1976年10月19日(49歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手三塁手遊撃手二塁手
プロ入り 1997年 MLBドラフト5巡目
初出場 2000年9月29日
最終出場 2013年9月29日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
WBC 2006年2023年

マイケル・ブライアン・ヤングMichael Brian Young, 1976年10月19日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルス郡コビーナ出身の元プロ野球選手内野手)。メキシコ人の母を持つ。2014年1月に現役引退を表明、同年11月から古巣テキサス・レンジャーズGM補佐を務める。

プロ入りとブルージェイズ傘下時代

1997年MLBドラフト5巡目(全体149位)でトロント・ブルージェイズから指名され、プロ入り。契約後にプロデビューした傘下のA-級セントキャサリンズ・ストンパーズでは、リーグ3位タイの74試合に出場し、44試合で遊撃、28試合で二塁を守った。136塁打(リーグ3位タイ)、85安打(同4位タイ)、48打点(同5位タイ)を記録した。また、8月11日から28日にかけて16試合連続安打を記録した。

1998年にはA級ヘイガーズタウン・サンズ英語版で140試合に出場し、147安打、238塁打、86得点を記録。8月には月間打率.324、21打点を記録した。守備では二塁手として128試合、遊撃手として24試合に出場し、守備率.978を記録した。1999年にはA+級ダニーデン・ブルージェイズで二塁手として74試合、遊撃手として53試合に出場。打率.313、155安打、36二塁打、30盗塁を記録し、リーグのオールスターにも選ばれた。7月16日から30日にかけては14試合連続安打を記録。雑誌『ベースボール・アメリカ』では、ブルージェイズで上から4番目のプロスペクト(有望選手)で、リーグで最も守備のいい二塁手と評価された。カリフォルニア秋季リーグでも活躍し、打率.295、8本塁打、18打点を記録した。

2000年、AA級テネシー・スモーキーズでは24二塁打、5三塁打、16盗塁を記録。7月12日にはAA級全体のオールスターゲームに出場した。

レンジャーズ時代

2000年7月19日にエステバン・ロアイザとのトレードで、ダーウィン・クビアン投手と共にテキサス・レンジャーズに移籍した。傘下のAA級タルサ・ドリラーズでは43試合に出場し、打率.319、5三塁打を記録した。9月27日にはメジャー初昇格を果たし、9月29日のオークランド・アスレチックス戦に代走としてメジャー初出場を果たす。二塁の守備固めに起用され、2打数無安打だった。アリゾナ秋季リーグでは25試合に出場し、打率.268、1本塁打、6打点を記録。

2001年、開幕はAAA級オクラホマ・レッドホークスで迎えたが、5月25日にメジャー再昇格し、27日にメジャー契約を結ぶ。二塁手として102試合に出場。6月11日にはメジャー初本塁打を放った。9月11日にはMLB屈指の左腕投手バリー・ジト(アスレチックス)の完封を阻む本塁打を放った。年間で11本塁打、49打点、9犠打長打率.402、守備率.984を記録し、チーム新人王に選ばれた。2002年は156試合に出場し、メジャーに定着した。2003年終了後にアレックス・ロドリゲスとのトレードで守備位置の重複するアルフォンソ・ソリアーノが移籍。二塁での守備はゴールドグラブ賞級だったが[1]、「チームにとってベストなこと」とヤングはバック・ショーウォルター監督に遊撃手へのコンバートを直訴した[2]

4年総額1000万ドルの契約を2004年開幕前に結び[3]、開幕から遊撃手として出場し続けた。オールスターに初選出を果たした。ヤングはショーウォルター監督と良好な関係を築き[4]、守備・打線の要としてチームリーダーへ成長した[2]

2005年には打率.331で首位打者を獲得。2006年は、ワールド・ベースボール・クラシック米国代表で出場した。この年、ソリアーノの後釜に新人のイアン・キンズラーが就くことになり、ヤングはかつてロドリゲスと二遊間を組みながら吸収したように、キンズラーに様々なアドバイスを送った[5]。全162試合に出場し、球団記録となる打数691、二塁打52を記録した。オールスターでは、9回表二死二・三塁の場面で逆転の決勝三塁打を打ち、MVPに選出された。

4年契約を満了していないにもかかわらず球団は2007年3月2日に2008年の500万ドルのオプション契約を行使し、2009年から5年総額8000万ドルで契約延長。この金額はアレックス・ロドリゲスが2000年に結んだ10年2億5200万ドルに次ぐ球団史上2位の大型契約となった[3]

有望株のエルビス・アンドラスに遊撃のポジションを空けるため、シーズン終了後の12月に球団はヤングにコンバートを打診。当初、ヤングはこれを拒みトレードを志願していたが、最終的に三塁手への転向に合意した[6]2009年は三塁手として出場。4月19日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦で自身初のサヨナラ本塁打を記録[7]。その後、22日に同点、24日に逆転の本塁打を9回に記録。9月1日のブルージェイズ戦のダブルヘッダー2戦目でハムストリングのケガで11試合欠場[8]。出場試合数はレギュラー定着後最低の135試合にとどまったが、打率.322、22本塁打は2005年以来の好成績となった。

2011年エイドリアン・ベルトレの加入により指名打者に回された。当初はこれを不服とし、トレードによる放出を要求した。しかし、高額の年俸が仇となってトレードは成立せず、そのままレンジャーズでプレーすることになった。開幕後はそのような騒動を忘れさせる活躍で自己最高の打率.338を記録。2年ぶりのオールスター選出を果たし、依然としてリーグ屈指の巧打者であることを証明した。

2012年は初の打率3割を達成した2003年以降では最低の成績に終わった。

フィリーズ時代

フィリーズ時代
(2013年4月27日)

2012年12月8日にジョシュ・リンドブロムリサルベルト・ボニーヤとのトレードで、フィラデルフィア・フィリーズへ移籍した。フィリーズはヤングを正三塁手として起用する方針を明かし、2013年の年俸1600万ドルの内1000万ドルをレンジャーズが負担する[9]

ドジャース時代

ドジャース時代
(2013年9月16日)

2013年9月1日にロブ・ラスムッセンとのトレードで、ロサンゼルス・ドジャースに移籍した[10]。オフの10月31日にFAとなった。

2014年1月30日に現役引退を表明した[11]

現役引退後

2014年11月5日、古巣・レンジャーズのゼネラルマネジャー(GM)特別補佐に就任したことが発表された[12]

ヤングのレンジャーズ在籍時の背番号「10」。
テキサス・レンジャーズの永久欠番2019年指定。

2019年、レンジャーズはヤングの在籍時の背番号『10』を永久欠番に指定し、同年8月31日に欠番表彰式を行った。

選手としての特徴

MLBを代表する安打製造機の1人。MLB史上5人しか達成していない5年連続200安打といった記録を持つ。一方でMLBの選手228名のアンケートで過小評価されている野手として1位となったこともある[13]

人物

小児がんと闘う子供たちを支援するNGO "ワイプ・アウト・キッズ・キャンサー"(Wipe Out Kids' Cancer)の大使を務め、2003年にはダラス・フォートワースBBWAAからハロルド・マッキニー・グッドガイ賞が贈られた[14]

趣味はゴルフビリヤード[14]。少年時代はニューヨーク・メッツのファン[14]で、憧れの選手はドン・マッティングリー[15]。お気に入りの球場はフェンウェイ・パークである[14]

いとこのザック・パディーヤは、1994年 - 1996年のプロボクシングWBO世界ジュニアウェルター(スーパーライト)級チャンピオンだった。もう1人のいとこ、ジョニー・チャベスもプロボクサーでマイナー団体IBCスーパーバンタム級チャンピオンだった。サンフランシスコ・ジャイアンツのマイナーで内野手としてプレーしたジェイソン・ヤングといういとこもいる[14]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2000 TEX 2220000000000000010.000.000.000.000
2001 1064293865796184111554931952603919.249.298.402.699
2002 1566335737715026892196267136411011214.262.308.382.690
2003 160713666106204339142977213237361110314.306.339.446.785
2004 16073969011421633922333991230444118911.313.353.483.836
2005 1597326681142214052434391520358039120.331.385.513.899
2006 1627486919321752314317103730848019627.314.356.459.814
2007 1566926398020137192679413301475510721.315.366.418.783
2008 155708645102183362122598210006550210919.284.339.402.741
2009 135593541761743622228068830447219016.322.374.518.892
2010 15771865699186363212919142011504111521.284.330.444.774
2011 1596896318821341611299106620947727817.338.380.474.854
2012 15665161179169273822667220633317026.277.312.370.682
2013 PHI 12651246849129244818542100142417818.276.336.395.731
LAD 215351316210204000110053.314.321.392.713
'13計 14756551952145265820546100243418321.279.335.395.730
MLB:14年 1970861279181137237544160185349110309030257257528221235236.300.346.441.787
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績



遊撃(SS)二塁(2B)三塁(3B)一塁(1B)
















































2000 TEX -10000------
2001 -104212284879.984--
2002 11210021.000152298420997.988403001.000-
2003 745011.00015930547110117.987--
2004 1582254231998.972---
2005 1552384271895.974---
2006 15524149214113.981---
2007 15021144619107.972---
2008 15119346511113.984---
2009 --13472208929.969-
2010 --155952651926.950-
2011 112011.0001428290111.00040306659.9503626713334.989
2012 466001.00016243128.96525183823.9664135824237.995
2013 PHI --9958166912.9612617680171.000
LAD 102001.000204001.00080911.9008282041.000
'13計 102001.000204001.000107581751013.95934204100211.000
MLB 7931121227881530.977448867123929312.9864652737554580.95811182947592.994

タイトル

表彰

記録

背番号

脚注

関連項目

外部リンク

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