マット・ニール

From Wikipedia, the free encyclopedia

生年月日 (1966-12-20) 1966年12月20日(59歳)
デビュー 1991
マット・ニール
基本情報
国籍 イギリスの旗 イギリス
生年月日 (1966-12-20) 1966年12月20日(59歳)
出身地 イングランドの旗 イングランドスタウアブリッジ
イギリスツーリングカー選手権での経歴
デビュー 1991
所属 ハルフォース・ユアサ・レーシング
車番 25
過去所属 VX・レーシング
プジョー・スポーツUK
チーム・マツダ
テック-スピード モータースポーツ
ピラミッド・モータースポーツ
出走回数 693
優勝回数 63
ポールポジション 17
ファステストラップ 52
シリーズ最高順位 1位 (2005, 2006, 2011)
過去参加シリーズ
2001
1993
ETCC
DTM
選手権タイトル
200506, 2011 BTCC
受賞
BRDC Silver Star

マット・ニール(Matthew Neal、1966年12月20日 - )は、イギリスのレーシングドライバーである。

イギリスツーリングカー選手権(BTCC)での活躍で知られており、2005年と2006年及び2011年にチャンピオンを獲得。このレースでトリプルチャンピオンを獲得したドライバーの1人。

彼は、自動車メーカーのサポートを受けないインディペンデント(プライベーター)チームから長い間参戦していた事でも知られ、合計6度のインディペンデント部門のタイトルを獲得。1999年に日産・プリメーラを駆って初優勝を成し遂げた。

父親のスティーブによって設立された合金ホイールのメーカーであるリムストックのグループマーケティングディレクターとしての一面も持つ[1]

キャリア

キャリア初期

スタウアブリッジ生まれ。モトクロスでレースキャリアをスタートし、1988年にフォードフィエスタXR2iカテゴリーでドライブ。彼は1990年と1991年に英国のグループNチャンピオンを獲得[2]。彼はまた、BMW・M3で1990年にスネッタートン・サーキットで行われた、ウィルシャー24時間レースを制した。1991年からイギリスツーリングカー選手権(BTCC)に参戦を始めた。

イギリスツーリングカー選手権(1991–2001)

ニールは1999年にこのプリメーラをドライブし、初優勝を飾った。
2006年のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードホンダ・インテグラのデモ走行を行うニール。

ニールは、 1991年シーズンの シルバーストーン大会から、ピラミッド・モータースポーツのBMW・M3で、BTCCデビューを果たした。 1992年も自身の父親が運営する、チーム・リミストク(チーム・ダイナミックスに翌年から変更)から参戦した。

彼は1993年にメーカーのサポートを受けないドライバーが対象のインディペンデントタイトルを獲得。1994年には、マツダのセミ・ワークスチームからクセドス6(日本名:マツダ・ユーノス500)で参戦。しかし、シルバーストンでのレースで、チームメイトのデイビッド・レズリーとボクスホールのクリス・グッドウィンと接触し、横転する大きなクラッシュを負ってしまった。ニールは以降のレースを欠場し、マツダもシーズン半ばで撤退してしまう。1995年シーズンは、再びダイナミックスからフォード・モンデオで参戦。2回目のインディペンデントのタイトルを獲得した。1997年シーズン途中から日産・プリメーラに乗り換え、1999年にはドニントンパークで他のワークスドライバーを抑えて前年型プリメーラで初優勝を記録[3]。この年も自身3度目のインディペンデントタイトルを獲得し、翌年も前年タイトルを獲得した日産ワークスが不在の中、ブランズ・ハッチ戦では、ホンダのトム・クリステンセンとフォードのリカルド・リデルと優勝争いを演じ、再び優勝を飾る。この年も4度目のインディペンデントのタイトルを獲得した[4] [5]。2001年シーズンはヨーロッパツーリングカー選手権に参戦することになり開幕戦のみ、プジョーチームから参戦した。また同年のBTCCは大幅なレギュレーション改定がなされている。

ヨーロッパツーリングカー選手権(2001)

BTCCの開幕戦に参戦後、ニールはRJN・モータースポーツからヨーロッパツーリングカー選手権のスーパーツーリングカテゴリにエントリーした。マシンはBTCCでもドライブした、日産・プリメーラ。第5戦のマニクール戦から参戦を開始。ニールは266ポイントを獲得し、ランキング14位となる。また最終戦のエストリル・サーキットで優勝を飾った。

BTCCに復帰(2002–2003)。

2002年にBTCCに復帰。ニールはポール・オニールと一緒にボクスホール・アストラクーペをドライブする。チームはデレック・ワーウィック率いるエッグ・モータースポーツ。145ポイント獲得することに成功し、チームメイトを上回るシリーズ3位を獲得。2003年は、アリーナ・インターナショナルからホンダ・シビックでチームメイトのアラン・モリソントム・チルトンと共に参戦。この年もシリーズ3位を獲得した。

チームダイナミクスに戻る(2004–2007)

ニールは2006年に 2回目のBTCCタイトルを獲得した。
ニールは、 2007 BTCCシーズンに スネッタートンでチームハルフォーズが運営するホンダ・シビックを運転しました。

ニールはチームダイナミクス(現在のスポンサーはハルフォード)に再加入し、ドライバーズランキング全体で5位、インディペンデントランキングでは、4位となった。

2005年にチームはホンダ・インテグラを独自に開発。インディペンデントチームながら、他のワークスチームに対抗した。この動きは長い歴史を持つBTCCでも、非常に珍しい事だったが、ニールはブランズ・ハッチでドライバーズタイトル獲得を決め、全30戦でポイントを獲得することに成功している。 またこの年のダイナミクスは、チーム部門のタイトルも獲得し、2000年以来5度目のインディペンデントタイトル獲得となった。

2006年もニールのインテグラは高い完走率を保持し、BTCCを2年連続で制すことに成功。チーム部門とインディペンデント部門のタイトルも合わせて、3冠を達成した。

2007年は、マシンをホンダ・シビックに変更して望んだが、この年はセアトボクスホール勢のタイトル争いとなり、タイトル争いもファブリツィオ・ジョヴァナルディジェイソン・プラトが最終戦まで争い、ジョヴァナルディがシリーズタイトルを獲得。ニールはランキング4位に留まった。また、この年2回目の開催となった、ブランズ・ハッチでの第1レースでクラッシュし、一時的に入院を余儀なくされた。

VX Racing(2008–2009)

2008年はボクスホールのVX・レーシングに移籍。ボクスホール・ベクトラをドライブした。しかし、この2年間は1勝ずつ挙げるに留まり、2008年はシリーズ5位。2009年はシリーズ4位となっている。

ホンダレーシング(2010–)

2011 BTCCシーズンの ブランズ・ハッチでのホンダレーシングチームのニールドライビング
ニール、 2017年英国ツーリングカー選手権のノックヒルラウンドで。

ニールは2010年シーズンにチームダイナミクスに戻り、ゴードン・シェーデンと一緒にホンダ・シビックタイプRをドライブした[6]。 ドライバーズタイトルこそジェイソン・プラトに奪われはしたものの、ホンダの製造者タイトルとチームタイトル獲得に貢献し、翌2011年にシビックタイプRで自身3度目のドライバータイトルを獲得した。以降も引き続き、ホンダのドライバーとして毎年BTCCに参戦。50歳を越えた、2019年現在も第一線で活躍している。

オーストラリア

ニールは、オーストラリアのレースにも参戦経験を持ち、同国の耐久レースとして知られるバサースト1000にも4回参戦。1997年と1998年に同国にて活躍しているスティーブン・リチャーズとコンビを組みプリメーラで参戦。1998年には総合2位を獲得した。また同レースには2000年と2008年にも参戦している。

レース記録

参照資料

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI