イヴァン・ミュラー
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| イヴァン・ミュラー Yvan Muller | |
|---|---|
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2010年 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 |
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| 生年月日 | 1969年8月16日(56歳) |
| 出身地 | アルトキルシュ (フランス) |
| 親族 | キャシー・ミュラー (姉) |
| 世界ツーリングカー選手権での経歴 | |
| デビュー | 2006 |
| 所属 | RML |
| 車番 | 12 |
| 過去所属 | セアト スポーツ |
| 出走回数 | 172 |
| 優勝回数 | 35 |
| ポールポジション | 18 |
| ファステストラップ | 27 |
| シリーズ最高順位 | 1位 (2008, 2010–11) |
| 過去参加シリーズ | |
| 1988 1989–91 1992 1993 1994–95 1996 1997 1998–2005 2000, 2002 2004–05 2001, 2003 2010–11 2010, 2012 |
フランス・フォーミュラ・ルノー フランス・F3選手権 イギリス・F2選手権 国際F3000選手権 フランス・スーパーツーリング イタリア・スーパーツーリズモ ドイツ・スーパーツーリング BTCC V8スーパーカー ETCC 世界ラリー選手権 V8スーパーカー |
| 選手権タイトル | |
| 1992 1995 2003 2008 2010–2011 |
イギリス・F2選手権 フランス・スーパーツーリング BTCC WTCC |

イヴァン・ミュラー(Yvan Muller、1969年8月16日 - )は、フランスのカーレースドライバー。アルザス地方オー=ラン県、スイス国境に程近いアルトキルシュにて生を受けた。
BTCC
初期のレースキャリアにおいて、1992年にイギリスF2選手権でチャンピオンを獲得したほか、ヨーロッパF3000選手権においても数々の優勝を収めている。
1994年にFIAツーリングカー・ワールドカップに出場したのを皮切りに、以後はツーリングカーを主な活躍の場とするようになり、1995年にはフランス・スーパーツーリング選手権でBMWを駆ってチャンピオンを獲得。翌年はイタリア・スーパーツーリズモ選手権、翌々年はドイツ・スーパーツーリング選手権と、各国の国内ツーリングカー選手権を渡り歩き、1998年からイギリスツーリングカー選手権(BTCC)に参戦を始めた[1]。
初年度の1998年は、それまでのイタリア、ドイツの各ツーリングカー選手権と同じくアウディを駆って参戦し、ランキング7位でシーズンを終えた。
翌1999年はボクスホールを駆り、初優勝を挙げた。ボクスホールとの関係はBTCCを去る2005年まで続くこととなる。
2001年に同選手権においてレギュレーション改正があり、これがボクスホールに有利に働いたこともあり、2003年には同選手権でチャンピオンとなり、それ以外の年も、2001年、2002年、2004年、2005年といずれの年もランキング2位を得た[2]。
WTCC
2005年11月12日、翌年セアトから世界ツーリングカー選手権(WTCC)に参戦することを公表した。
5月にブランズハッチで行われた第3ラウンド第1レースで早くも同選手権における自身初優勝を記録している。なお、イヴァンの参戦により、この年のWTCCは前年以前から参戦しているヨルグ・ミューラー、ディルク・ミューラーのドイツ人コンビに加えて3人目の「ミュラー(ミューラー)」を抱えることとなった。この3者のいずれも親戚関係などは存在しない。
2007年・2008年も引き続きセアトからWTCCに参戦。2008年には初のWTCCシリーズチャンピオンを獲得した。
2009年を最後にセアトを離れ、2010年はシボレーから参戦。同年と翌年にアンディ・プリオールに続くチャンピオン連覇を果たす。しかし2012年を最後にシボレーがワークス撤退し、2013年はワークス支援を失ったRMLから引き続き参戦。カスタマー体制にはなったがミュラーの強さは衰えずこの年WTCC最多となる4度目のチャンピオンを獲得した。
2014年からは新規参戦のシトロエンへ移籍。しかしこの年から初のフル参戦となったチームメイトのホセ・マリア・ロペスは圧倒的な強さで10勝を挙げるも、自身は4勝に留まりロペスに126ポイント差をつけられランキング2位となる。2015年・2016年も同様にロペスに叶わずランキング2位となり、5度目のチャンピオン獲得は叶わなかった。
2017年はボルボのワークスポールスター・シアン・レーシングの開発ドライバー兼アドバイザーに就任。 当初レース参戦はなかったが、最終戦カタールでチームメイトセッド・ビョークのサポートとマニュファクチャラータイトル獲得のために助っ人としてネストール・ジロラミに代わり1年振りに実戦復帰を果たした。
2018年はWTCCに代わり新設されたWTCR(世界ツーリングカーカップ)に自身が代表を務めるMレーシング-YMRからヒュンダイ・i30 N TCRを駆って参戦。同じマシンで参戦するガブリエル・タルキーニとチャンピオン争いを繰り広げるも、わずか3ポイント届かずランキング2位となった。しかしチーム選手権ではBRCレーシングチームを3ポイント上回りチームズチャンピオンを獲得した。
2019年はボルボのワークスチームでありLynk & Coとタッグを組むシアン・レーシングから参戦。4勝を挙げ前年同様にチャンピオン争いを繰り広げるが、最終戦マレーシアでは苦戦を強いられ前年を下回るランキング3位となる。
2020年も同チームから参戦。この年はチームメイトで甥のヤン・アーチャーのチャンピオン獲得に向けサポート役に適したが、最終戦のレース1で勝利しチャンピオンを獲得したアーチャーに次ぐランキング2位となった。
2021年も同様の体制で参戦。母国戦となったフランスのレース2でポールポジションを獲得したが、シーズンを通じての最高位は3レースの2位表彰台に留まりランキング4位となったが、WTCRになってからは初の年間未勝利となった。
2022年は開幕戦のレース1で3位表彰台を獲得するも以降は苦戦を強いられ第5戦ポルトガル終了時点でランキング9位につけていたが、第2戦ニュルブルクリンクで発生したタイヤトラブルが第6戦で再発し、更にBoPで他チームより多いウェイトを搭載していたため危険だと判断したチームはレースを棄権。そして安全性を重視するためにミュラーの母国である第7戦を前にチームはWTCRを即時撤退した。これによりミュラーはランキング14位で終えた。
オフロード系競技
基本的に主なキャリアはサーキットレースの分野で積んでいるが、フランス人らしく並行してオフロード系の競技にも参戦している。
中でもフランスの氷上レースシリーズのアンドロス・トロフィーでは、2006年までに計11回にわたってシーズン優勝(1995年~2002年、2004年~2006年)という圧倒的な記録を残している。マシンはBMW・318i、オペル・アストラ、キア・リオなどを用いた。
WRC(世界ラリー選手権)にもシトロエン・クサラWRCやミニ・ジョン・クーパー・ワークスWRCでフランス戦にスポット参戦した。
2007年と2009年にはダカール・ラリーにも出場した。2007年は日産フランスと提携するチーム・ドスードからプロトタイプSUVで参戦。ナビは3度四輪でダカールを制したルネ・メッジだった[3]。2009年はSMGバギーをドライブした。
補足
80年代から90年代にかけて活躍していた女性ドライバーのキャシー・ミューラーは実の姉である。
またキャシーの息子であり、イヴァンにとっては甥にあたるヤン・エアラッシも2017年にWTCCにフル参戦し、アルゼンチン戦では初優勝をポールトゥウィンで飾っている。WTCCの後継カテゴリのWTCR(世界ツーリングカーカップ)にも叔父イヴァンと共にシリーズに参戦し、2021年にドライバーズタイトルを獲得した。