ビルマ連邦革命評議会
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1962年3月2日、ネ・ウィンはクーデターを起こし、ウー・ヌ首相以下主要閣僚を拘束、議会を解散、憲法を停止して全権を掌握し、革命評議会を設立した。4月30日には、国家イデオロギーである『ビルマ社会主義への道[3]』発表し、14条で社会主義経済制度樹立を推進・擁護する民主主義だけを運営していくべきと宣言、その実現のためにビルマ社会主義計画党(BSPP)を設立し、ネ・ウィンが議長に就任した。1964年3月28日に国家統一法が施行され、BSPP以外の政党・政治団体の活動が禁止されたので、BSPPは1989年までミャンマー唯一の政党だったが、BSPPが本格始動するのは1971年6月の第1回党大会からであり、それまでは革命評議会に実権があった[4]。革命評議会とは別に、革命評議会のメンバー8人からなる内閣が別に組織された[5]。
クーデター直後、ネ・ウィンは側近たちに以下のように述べた[6]。
われわれは革命評議会を結成した。今、われわれは国民に政策を提示する必要がある。政策に盛り込んでほしい主な点をお話ししよう。最も重要なのは経済だ。政府はすべての大企業を国有化しなければならない。われわれは一部の分野で民間企業を認める。われわれは協同組合をより適切に運営するよう努める。このようにして、われわれは社会主義体制を段階的に確立するよう努める。政治問題に関しては、既存の政党と協議しなければならない。協力する方法が見つかれば、われわれはすべての政党と協力する。われわれは一党制を樹立する。これがわれわれに残された唯一の選択肢だ。複数の政党が権力を競い合う議会制度に固執していては、われわれはあまり前進できないだろう。他の人々はわれわれの制度を東洋民主主義やプロレタリア独裁と呼ぶかもしれない。農民、労働者、一般大衆の利益のために努力しなければならない。わが国の人口の大半は農民であるから、彼らを優先しなければならない。共産主義者と違って、労働者を単純に優先することはできない。農民や労働者だけでなく、国の利益のために働く意思のある人なら誰とでも協力する。 — ネ・ウィン
メンバー
| 役職 | 名前 | 階級(軍種) | ポスト |
|---|---|---|---|
| 議長 | ネ・ウィン | 将軍(陸軍) | 国軍総司令官 |
| 議員 | アウンジー | 准将(陸軍) | 陸軍参謀次長 |
| 議員 | タンペ | 准将(海軍) | 海軍参謀次長 |
| 議員 | T.クリフ | 准将(空軍) | 空軍参謀次長 |
| 議員 | ティンペー | 准将(陸軍) | 国軍司令部兵站局長 |
| 議員 | タンセイン | 大佐(陸軍) | 国軍司令部陸軍高級参謀 |
| 議員 | チョーソー | 大佐(陸軍) | 国軍司令部人事局長 |
| 議員 | チッミャイン | 大佐(陸軍) | 国軍司令部副兵站局長 |
| 議員 | キンニョー | 大佐(陸軍) | 国軍司令部訓練局長 |
| 議員 | フラハン | 大佐(陸軍) | 国軍司令部医務局長 |
| 議員 | サンユ | 准将(陸軍) | 西北軍管区司令官 |
| 議員 | セインウィン | 准将(陸軍) | 中央軍管区司令官 |
| 議員 | タウンチー | 大佐(陸軍) | 東南軍管区司令官 |
| 議員 | チーマウン | 大佐(陸軍) | 西南軍管区司令官 |
| 議員 | マウンシュエ | 大佐(陸軍) | 東部軍管区司令官 |
| 議員 | ソーミン | 大佐(陸軍) | 国境地域行政官 |
| 議員 | タンユサイン | 大佐(陸軍) |
革命評議会のメンバーのうち、アウンジー、ティンペー、タンセイン、チョーゾーの4人は、ネ・ウィンが隊長を務めた第4ビルマ・ライフル部隊出身者だった。他にも。他にも8888民主化運動の最中17日間だけ大統領を務めたセインルイン、1976年から1985年まで陸軍参謀総長、1976年から1988年まで国防相を務めたチョーティン(Kyaw Htin)、1988年にBSPPから改名した国民統一党(NUP)初代党首・ウー・タギャウ(U Tha Gyaw)、ネ・ウィンの専用コックで、強大な権力を有したラジュー(Raju)というインド人、皆、第4ビルマ・ライフル部隊出身で、革命評議会は俗に”第4ビルマ・ライフル部隊政権”と呼ばれた[8]。またその構成は、1962年時点の陸軍12万人、海軍3000人、空軍2500人という兵力を反映して、陸軍の圧倒的優位であり、ネ・ウィンより年長者はタンペだけという有り様で、ネ・ウィンの個人的色彩の強い組織だった[9]。
革命評議会のメンバーは頻繁に入れ替わったが、その交代は病死を除けば、辞任か失脚であり、最後まで革命評議会のメンバーだったのは、ネ・ウィン、サンユ、セインウィン、フラハンの4人だけだった[9]。
解散
1974年3月3日、 1974年ビルマ憲法が公布され、権力が人民議会に移譲されたことにより、革命評議会は解散した。