ヤバガン・メルゲン

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ヤバガン・メルゲンYabaγan mergen1527年 - 1558年?)は、オイラトに属するホイト部の始祖とされる人物。バラスの『モンゴル民族史料集』ではヨボゴン・メルゲン(Joboghon mergenn)とも[1]

チンギス・カンよりも前の時代の人物ともされるが、一方で近年では16世紀半ばに実在したホイト部首領のスタイ・ミンガトSutai mingγatu)と同一人物と見る説がある。

バートル・ウバシ・トゥメンの『四オイラト史』によると、『四オイラト史』の編纂から293年前(1527年/丁亥)にジュンガルからヤバガン・メルゲンという人物が生まれたとされる[2]。この頃オイラトが強勢となり、ヤバガン・メルゲンはホイト部を統べ、白帽派(中央アジアのムスリム勢力)からは「テムル」と呼ばれていたという[2]

また、バラスの『モンゴル民族史料集』によると、ホイトの始祖ヨボゴン・メルゲン(Joboghon mergenn)は、チンギス・カンより三世代前の時代の英雄であったとされる[1]。ある時、内乱中の中国に請われて出兵したが中国人に忌まれて毒殺され、その後配下の五人の部将がオイラトを分割したことでジュンガル部とドルベト部が生じたという[1]。また別の箇所では、ヨボゴン・メルゲンは天を逐われた天女(Tänggrin)と結婚したが、ある時天女はヨボゴン・メルゲンが出征している間にボー・ハーンと密通し、天女とボー・ハーンの間に生まれたオーリンダ・ブドゥンより生じたのがチョロース部であったとされる[3]

同じく『シラ・トージ』にも、「ホイトの一族はヤバガン・メルゲンの末裔である」との記載がある[1]。以上の伝承はいくつかの史実をかけあわせたものと見られ、例えば「内乱中の中国に出兵した」という点は、帝位継承戦争でオイラトがアリクブケ側として中国を拠点とするクビライと戦った史実に由来するのではないかとみられる[1]。また、「白帽派よりテムルと呼ばれた」というのは、中央アジアティムールと混同されたものと考えられる[2]

史実のスタイ・ミンガト

諸史料の記述

『四オイラト史』によるとヤバガン・メルゲンの息子はエセルベイ、その息子がサイン・ヒヤとされる[2]。一方で、『シラ・トージ』『蒙古源流』などのモンゴル年代記はエセルベイの父をスタイ・ミンガトなる人物としており、これによってスタイ・ミンガト=ヤバガン・メルゲンと見る説が李志遠によって提唱されている[4]。また、上述の通り『四オイラト史』はヤバガン・メルゲンの生年を1527年(丁亥)としているが、これも16世紀半ばに活躍したスタイ・ミンガトの生年として不自然でなく、スタイ・ミンガト=ヤバガン・メルゲン説を裏付けている。

なお、『アルタン・ハーン伝』ではこの人物をジャラマン・トルイ(Jalaman torui)と呼称しているが、これは後述するようにジャラマン山を拠点としていたことに基づくあだ名であったと見られる[5]。李志遠は以上の記述から、ホイト部首領の「スタイ・ミンガト」は、ジュンガル人からは「ヤバガン・メルゲン」、中央アジアの白帽派からは「テムル」、東のモンゴル人からは「ジャラマン・トルイ」と、それぞれ呼ばれていたのであろう、と整理している[6]

スタイ・ミンガトの事績

諸モンゴル年代記は一致してモンゴル高原東部のアルタン・ハーンがホイト部のスタイ・ミンガト(ジャラマン・トルイ)を討伐し、その妻子を捕虜としたとの逸話を伝えている。最も成立の古い『アルタン・ハーン伝』によると、午年(1558年)に西方に出征したアルタン・ハーンはジャラマン山に至り、ジャラマン・トルイとジゲケン・アガの夫妻に使者を派遣して婚姻を結ぶことを提案した。この時アルタン・ハーンに差し出されたのが、漢文史料側でも「三娘子」として広く知られたオヤンチュ・ジュンゲン・ハトンであったという[7]

一方で、『蒙古源流』では「アルタン・ハーンは47歳の壬子の年(1552年)に四オイラトに出馬して、クンゲイとジャブハンのほとりに八千ホイトのマニ・ミンガト(スタイ・ミンガト)を殺し……」と記されている[8]。このオイラト遠征の年代は『アルタン・ハーン伝』と一致しないが、恐らくは『蒙古源流』は数次にわたるオイラト遠征を一纏めに記載したものと考えられている。『アルタン・ハーン伝』と『蒙古源流』の記述を総合すると、恐らくは1558年末~1559年始めころに、スタイ・ミンガトはアルタン・ハーンとの抗争の中で死去したものとみられる。

さらにその後、黄色い辰年(1568年)にアルタン・ハーンは再びオイラトに出征し、この時ジゲケン・アガとその息子たちを降らせた[9]。李志遠は、「ヤバガン・メルゲンの妻の天女が夫を裏切って密通した」との伝承は、ヤバガン・メルゲンの死後にジゲケン・アガがアルタンに降ったことことから生じたものではないかと推測している[10]

スタイ・ミンガトの諸子

脚注

参考文献

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